Think Globally, Act Regionally:『言葉の背景、カルチャーからの解放、日本人はどこへ往く』

身のまわりに見受けられるようになった「グローバル化」と生きる上での大事な「こころの健康」。さまざまな観点から考えます。

●第18回「第4の波『コンセプチュアル社会』とハリウッドの世界戦略~”右脳流出の時代へ?”」

2007-08-18 16:28:58 | ■日本人はどこへ往く?

■第18回「第4の波『コンセプチュアル社会』とハリウッドの世界戦略~”右脳流出の時代へ?”」

ダニエル・ピンクは、彼の著書「A Whole New Mind」で、情報化社会(第3の波)に続く、第4の波として、「コンセプチュアル社会(時代)」の到来を予言している。

コンセプチュアル社会(時代)とは、西欧社会が培ってきた「論理中心の社会(時代)」ではなく、日本社会が育んできた「感性社会」に通じるものである。
(参照:当ブログ「感性系の勝利(日本人の良さを見直す)」)

ハリウッドは、現在、「日本人を待っている!!」ようだ。
確かこれまでにも、ハリウッドで映画のスタッフ(とくにアート分野)として活躍する日本人の名前を何人か目にしたことがある。今は、ご存知のように、日本人の俳優もハリウッドで活躍する時代となっている。

千歳香奈子のハリウッド直送便(2007年08月14日)によると、
現在の日本ブームの背景について、米プロデューサーのティム・ゴールドバーグ氏は、「日本の文化がアメリカで受け入れられつつあり、興味が増している。それに対して、ハリウッドには才能ある日本人俳優が少なすぎる」と分析し、「(彼が立ち上げたハリウッド映画オーディションサイトの)目標は、日本人のタレントを発掘して、育てて、管理すること。俳優やモデルだけでなく、監督やカメラマン、アニメーター、デザイナーなどあらゆる分野の才能ある日本人を発掘してハリウッドに送り出していきたい」と話し、「ハリウッドは常に新しいアイディア、人材を求めているのです」としめ括っている。

どうも、ダニエル・ピンクのコンセプチュアル時代(社会)の到来と、アメリカ(ハリウッド)の日本文化受容が交差しているような気がしてならない。
つまり、ハリウッドは、第4の波を見越した世界戦略に着手しているのだろう。彼らの世界戦略とは、コンセプチュアル時代でのリーダーとなること、および、ハリウッド・ムービーのマーケティング戦略(メジャーリーグと同じく、人材供給源と消費マーケットとしての日本)という双方の意味である。

アメリカは、これまでにも世界の波をリードしてきた。第2の波「工業化社会」では、フォードの車で世界を制覇。第3の波のときには、シリコンバレー、コンピュータ、インターネット関連で現在も、世界的な優位性を保ち、世界の富を牛耳ってきた。

そして、第4の波、来るべき「コンセプチュアル社会」でも、ソフト的な分野、つまり、創造力、エンパシー(他人の感情や問題への理解能力)、直観力(第3の波で重宝された事実分析能力よりもむしろ感情に基づいた理解力や認識力)の中心時代にも、君臨し続けようとしているのだろうか。

さて、ダニエル・ピンクに戻ろう。
現代では主流ではあるが、左脳に基づく第3の波は、直線的、論理的、分析的な意味づけ(理由付け)が中心になっており、それに続くコンセプチュアル社会は、創造力、エンパシー(他人の感情や問題への理解能力)、直観力(第3の波で重宝された事実分析能力よりもむしろ感情に基づいた理解力や認識力)といった、右脳による能力を中心としている。

この右脳重視の能力開発は、日本では、知らず知らずに(計画されたものではなく、日本という国の環境下で)開発されてきたものであり、自然なカタチで日本人には身についているもので、感性系分野、とくに、アート分野では、成功をおさめてきている。この日本人のもつ感性は、日本だけでなく、普遍性があるようで、(アジアだけでなく、世界に通用している!)、比較優位性をもつ能力に違いない。

さて
なぜ、米国(たぶん、日本を含む先進国)は、第3の波から第4の波へ移行しなければならないのだろうか?

ダニエル・ピンクは、その理由を米国内の経済状況を基に、
以下の3つの要因で捉えている。

1.裕福さ
2.技術
3.グローバリゼーション

1.裕福さ:
消費者は過剰なほどの商品の豊富さにアクセスでき、商品は、美的に消費者を満足/幸せにするものでなければならない。この現在の飽和市場では、際立つ商品が求められている。
20世紀のアメリカンドリームとは、家とクルマを保有することであった。現在、3分の2以上のアメリカ人が家を持った。クルマは言うまでもないだろう。免許保持者数以上のクルマ台数が確保されていて、平均して言えば、運転できるあらゆる人が彼/彼女自身のクルマを保有している。米国では、個人倉庫の市場が、年170億ドルになってきている、等々。
これらの繁栄は、もちろん左脳によってもたらされてきたものである。けれども、これからのビジネスは、もはや機能や納得できる価格といったものだけに頼る時代ではなくなってくる。それにプラス、人々の消費行動に強く影響する「美的で、ユニークで、意義あるもの」、つまり、デザイン、エンパシー、プレイ、ビジョンなどの「ソフト(右脳)」な能力が必要とされる。

2.技術:
19世紀の黒人労働者ジョンヘンリーの逸話が語られる。トンネル工事現場に蒸気パワードリルの売込みがあった。ジョンは、ドリルとの競争を申し出、超人的な力で競争に打ち勝った。そしてその場に倒れ、死んでしまった。
この逸話は、工業化時代の到来を告げた。また、チェス世界チャンピオンのカスパロフトと IBMのスーパーコンピュータ「ディープ・ブルー」との対戦。コンピュータが勝利する等々。
ジョンの逸話は、人間の肉体が、機械に取って代わられたこと。カスパロフトの敗北は、人間の左脳の代わりにコンピュータが取って代わったということを意味する。また、コンピュータの進展は、決まりきったステップを取る職業に取って代わる可能性をもつ。

3.グローバリゼーション
コンピュータプログラマーのアウトソーシングを例に出す。各種調査によれば、米国や欧州のシステム開発の仕事が、インド、中国、ロシアへの低賃金オフショア開発に移行する。また、工場労働者が何もしなければ、つまり右脳開発を怠れば、早晩、コンセプチュアル時代には取り残される等々。

右脳開発のため、ダニエル・ピンクは、6つの感覚開発を提示する。
1.デザイン能力、
2.情緒を育む物語能力(組織的な物語傾聴と物語創作)、
3.シンフォニー能力、つまり一見無関係なものを結びつける総合化・統合化能力
  (分析や特定の回答を与えるのではなくて)、
4.エンパシー能力(他人の感情や問題への理解能力、共感。シンパシー「同情」
  とは違う。)
5.プレイ(遊び。冗談や笑いの効用を重視する)
6.人生の意味を問う。


◎☆戦略のない日本にとって、最後の日本遺産、つまり、感性能力、右脳文化の遺産が、日本ではなく、アメリカあるいは、海外へ流出する「右脳流出」は、
日本・日本人にとって、
是なのだろうか、
非なのだろうか、
それとも、
新たな次元への挑戦なのだろうか?


【参考】
1.Daniel H. Pink (March 24, 2005) A Whole New Mind: Moving from the Information Age to the Conceptual Age, Riverhead Books
(邦訳:ハイ・コンセプト「新しいこと」を考え出す人の時代 (単行本) ダニエル・ピンク (著), 大前 研一 (翻訳) 三笠書房 2006/5/8 )

2.千歳香奈子のハリウッド直送便2007年08月14日 「ハリウッドは日本人を待っている!!」
http://blog.nikkansports.com/entertainment/chitose/archives/2007/08/post_127.html#more

●第17回「個人主義のルーツは、ソクラテスだった!」

2007-08-03 19:55:41 | ■カルチャからの解放

○個人主義のルーツは、ソクラテスだった!
~知的西欧文化の伝統とは~

「西欧の知的文化紹介」という公開講義に出てみた。

思想史の J. Barlow博士によると、

古代アテネの哲学者「ソクラテス」(紀元前469-399年)が、個人主義や現在の西欧大学教育のルーツになっているそうだ。

ソクラテス以前の古代ギリシャ(アテネ)では、「合理主義」、特に、人間以外の世界を合理的に説明する「(人間の5感を使った)科学的経験主義」が主であった。また当時の世界(アテネ)では、若者の心の荒廃、宗教や神に対する尊敬の欠如などが問題になっていた。

ソクラテスによって初めて、人間の内部、つまりMind(人間の知性)の探求が始まった、ということです。

ソクラテスは、まず、「外部の権威に対して、懐疑的な態度」を取りはじめました。そのため、「疑問を発すること」が重要だと、主張します。
また、倫理的な問題にも思いを寄せました。知識は美徳であり、美徳は幸福を追求すること、だと言います。
少人数でのグループ議論を推奨して、単純に神や専門家の言に従ってはいけないこと、智恵の探求のため、意思決定を合理的に改善すること、つまり一人一人の内部の合理性を追求し、「自己実現を図ること」が大事だと。これが、西欧個人主義のルーツと言われています。

さて、現在の西欧の大学(院)教育は、このソクラテスの方法論を基盤にしています。

1.疑問を発する習慣をつける(疑問の専門家養成)
2.答えを自ら考える
3.回答を与えるのではなく、疑問の創出が大事
4.議論の重要性(dialogue method対話重視)
5.真理の追求(自然科学では真理。社会・人文科学では真理の記述)

少なくとも、私が勉強している大学院のクラスの指導方法は、上記の通りに行われています。

つまり、
一方通行の講義(知識の伝授)にならないように、
レクチャーの先生は、先ず最初に必ずといっていいほど、
「私が話をしている途中でも構わないから、疑問やコメントがあったら、自由に言ってください」と話します。

また、ほとんどの教授が口癖のように、以下の言葉を引用します。
 私に話してください、そうすれば私は忘れるでしょう。
 私に教えて(示して)ください、そうすればきっと覚えているでしょう。
 私を巻き込んでください、そうすれば私は理解(学ぶことが)出来るでしょう。

"Tell me and I (will) forget,
Show (teach) me and I (might) remember,
(But) involve me and I (will) understand (learn)."

まあ、中には、(私にとっては)くだらないことを聞いたりする学生もいますが、
真摯にレクチャラーは耳を傾けます。
教授ー学生間や学生ー学生間の議論を中心に、クラスを進めたがっているようです。

この方法のメリットは、教授や学生の知識・経験を共有できる。議論により、知識・経験だけでなく、異なった見方に目が開かれる。教授を含めて、知的格闘への努力が垣間見られる。つまり、評価の定まった、著名な学者の理論にも克服すべき点がありそうだ、ということが分かる。

デメリットは、知的レベルの高くない学生や事前準備のない学生たちによる疑問や議論が始まると、時間の浪費になる。さまざまなレベルの学生のニーズに答えられるものかどうかとの疑問が生じる。
つまり、
議論の基盤(知識・経験の度合い)が違うと、議論が発散してしまい、不完全燃焼になる。

課題としては、議論をファシリテートするレクチャラーの能力がモノをいう。(言えることは、レクチャラーの負担・力量は、日本的な一方通行講義と較べると、かなり大変な気がする。日本では、まず批判的意見を受け入れられる度量の広い教授がどれだけ存在するか、疑問はありますが)

とまあ、いろいろな問題点が生じるわけですが、知的伝承の方法だけしか知らなかった私としては、この議論で回るクラスの方法は、なんとなく面白く感じています。ただし前にも言ったように、あるレベル以上の人間が集まらないと、効果がないように思います。効果を別にするならば、西欧人やしゃべるのが好きな中近東や南米からの学生は、こういう議論的クラスが好きなんだろうな、と思ってしまいます。
ただし、大学(院)の最終評価は、ライティングが基本ですので、日本人は比較的優位に立てるのではないでしょうか。

さて、西欧の知的文化の歴史に戻りましょう。

ソクラテス以後の西欧思想史は、簡略して言いますと、Dr.J.Barlow博士によると、3つ(4つ)の大きな流れがあるそうです。

1.宗教(ギリシャ時代の100%合理性をもつGodと「愛」という不合理性をもつキリスト教)が、反ソクラテス、反哲学の主張を貫きます。

2.心理学の勃興(Instinct=本能を初めて説いた19世紀のニーチェとフロイド。フロイドは、性的衝動と生物学的決定論を推奨した。)

3.ポストモダニズム(反リアリストのジャック・デリダやポップカルチャー)「価値とはなあに?」の問いかけが始まる。既成価値の堕落・崩壊。

そして、21世紀の今世紀は、

4.リアリズムの復活。(2001年~)
新リアリズムの誕生。
本21世紀に、ソクラテスが戻ってきた!

で締めくくられました。

最後に、今、Dr.J.Barlow博士の推奨図書(以下のレファレンス参照)の一つを読んでいますので、この分野に関心の方は、続編を少々お待ちください。

【参考文献】
Gunnar Skirbeck & Nils Gilje(2000). A History of Western Thought : from ancient Greece to the 20th Century, London & New York : Routledge