土浦藩第10代藩主、源寅直筆
茨城県土浦市 旧土浦藩は、禄高は九万五千石とさほど多くはなかったが、藩主、土屋家は江戸幕府の老中を20年余りのながきにわたって勤め、幕府に多大の影響力があった。
また、筑波山を望み、霞ヶ浦のほとりに位置する土浦は、予科練の地として多くの若人の思い出の城下町であり、「海原に、はた大空に散華せし、君ら声なく幾春やへし」、と詠まれた、国難に立ち向かった、若い多くの英霊に、思いをはせて、わたしの城下町をアップしたのである。
小生、子供の頃、予科練の方々が外出のときに我が家へきて、一緒に過ごしたことがしばしばありました。
あさっては伴奏合わせで、土浦まで行くんですよ~土浦というと、学園都市からさらにまっすぐ牛久方面ですよね~(ナビが付いていないので、古い地図を片手に頑張ります)
あさっては土浦までおいでになられるとの由、
土浦の中心にある亀城公園では16日に薪能が行われ、ブログにアップするのに撮影に出かけたら、舞台の準備などで、思うように撮影できずじまいでした。
土浦は子供の頃から40年近くすんでいました。
コメントによりますと学園都市からさらにまっすぐ牛久方面と書かれておりますが、右折して国道408号線よりは125号線をまっすぐ土浦方面へ進まれたほうが良いのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
演奏はもちろんのこと、音響設備も整って編集技術が凄いですね。
私はラジカセテープを、CDに保存するため先週に電気屋さんで色々と方法等を伺ってきました。オーディオケーブルを買って、パソコンにはダビング用ソフトを入れました。そこまでは一応、完璧だと自負しています?でもなかなか上手くいかなくて、諦めモードです。
再度、電気屋さんに行こうか、それとも来て頂くか思案しています。
なんと子供の頃は蓄音機、一曲ごとに針を取り替えて、途中でゼンマイがなくなりあわててハンドルをまわして元の速さになったり、次は電蓄でLPの33回転、や45回転その次はステレオ、そしてカセットテープ、それからCD、など。
先日姪が、中学のときに録音したLPを持ってきてCDに録音してやり、たいそう喜ばれました。
オーディオのことを思うと、ずいぶん長生きしたもんだ。
この先どうなんだっぺ。
が、125号まっすぐとあらば、まちがえようがありませんね真鍋というところまで行きます!
では、明朝、言ってまいりま~す!!!
言ってまいります~なんて…
行ってまいります!に改めます~♪
小生はかすみがうら市に住むまでは東真鍋に住んでいました。
土浦2中のすぐ近くでした。
小生16年も乗ったカローラを思い切ってヴィッツに変えましたが、やはりカーナビはありません。もっぱら勘ナビで走っています、がしかしCDは聴けるようになり、快適なドライブで8.11は、初めての遠乗りでワクワクして小山まで行きました。
その結果勘ナビが冴えて、まっすぐ駐車場の4階へ、おかげで、演奏も間違えずにすんで、めでたしめでたし。
でした。
追伸
ご丁寧に訂正していただき恐縮です。
おそらく入力は正しかったのですが、パソコンが、間違えたと理解しております。ハイ
素晴らしい景色でした。もうドライブしていて、るんるん…
「こやのさんは、いつもこの景色をご覧になっていらっしゃるんだなぁ=」などと思いながら運転しました。
火曜日は、雷雲が発生していて、なんだか竜巻でも起きたらどうしよう~などと考えていましたら、土浦で歌の方とあわせている最中、それまで全く雨も降らずもちろんゴロゴロ…もなかったのに、それはそれは今まで見たこともないような稲光がしたかと思うと同時にバリバリ!!!その音といったら、部屋の中にいても飛び上がるほどびっくりな音で…こんな経験は初めてです。
土浦では、こんなこと、よくあるのですか?
我が家は古い木造の建物で、雷でガラスが震えてがたがたとなるときがあります。
そんな時、昔、祖母が雷様が来ると蚊帳をつって、その中で、くわばら、くわばらと唱えていることなど思い出します。
なんったって、地震、雷、火事、親父とくるので、怖いもののナンバーツーですので。
今では余り聴きませんが、昔の人は、偉かったとしみじみ思います。
蛇足
怖いものがだんだんなくなって、なんでも思い通りになるとおもう時代、これが一番怖いと感じます。
なんでも、思うようになる…本当に怖いですね~思うようにならないのが、人生…
私の場合の怖いもの…
地震、竜巻、雷、本番(←これは練習あるのみですが~)