ふらっと風流記

自分の考えを深堀りしてみたり、意味のない事をあえて残してみたり。
自分の人生を生き続ける為の道しるべを綴ったり。

【悲報】氷川きよしとばーちゃんの話

2021-09-24 12:45:00 | 日記
ばーちゃんが昔、「きよし、きよし」って応援しとった。

氷川きよしさんがサイヤ人並みに限界を突破していくから。

なんか、ばーちゃんにその話題を触れられないわw

彼は、サイヤ人なのかな!?
変化のスピードにまわりの人間が追いついていかんだろうなぁ〜

まぁそれぞれの人生があるので。
頑張って欲しいわ。
氷川きよしさんも。
ばーちゃんも。

何を言うかより誰が言うか

2021-09-23 19:10:00 | 日記
小学生の頃は、逆だと思っていたやつ。
「誰が言うかよりも、何を言うか?」
って。
てか公平性を考えると、そうあるべきだと。

でも、これは社会に出ると、「世の中そうなってないなぁ〜」て感じる事が多々起こるわけ。

その違和感の本質的な部分を考えてみる。

それは、結局のところ、
「何もしないやつ、何の実績も残してないやつが、何言ったって説得力ないよ」
って事になる。

社会に出ると本当に多い。
何もせんのに口だけは一丁前なやつ。

実績ないのは仕方ないにしても、とりあえず口動かす前に行動に移そうぜ!
ってなる。

だから、同じ事言ったとしても受け取り側は違って聞こえたりするんだなと。

まずは行動に移す人間でありたい。

覚悟とは

2021-09-23 19:00:00 | 日記
いつでもギアを上げられる様、心の準備が整えられているか?
という事だと思う。

辛い時もある。
何もやる気が起きない時もある。

でもチャンスだと思ったら、なり振り構わず、がむしゃらでないと。

ビビらずに、アクセルに全開にできんのか?って事。

徳川家康は正にそういう嗅覚に優れていたんだと思う。

自分の順番を待ちに待って、いざチャンスが来たら、アクセルの踏み方がえげつない。

因縁つけて、批判されようが何しようが豊臣家を全力でつぶした。

どんな事があろうと耐え忍んで、その中でも、心の中に野心を忘れずにいられるか?

覚悟ってそういう事。
何かを成し遂げるってそういう事。

武士の刀は命そのもの

2021-09-22 18:56:00 | 日記
先日の大河ドラマの渋沢栄一みて思った。

僕らは想像もつかないわけだけど、当時は本気で刀を引っ下げて、命のやり取りをしていた。

「武士にとって生きるという事は、自分の正義をかけて、他人の正義と、命のやり取りをする事」
と言えると思う。

それぞれが大義名分を抱えて、そのイデオロギーの証明の為に命をかける。

でもさ。
人間、主義主張が違うのは当然の事で。
そこに「命」をかけたらダメだね。

だって、「命」より尊いものないもん。
それをかけたら、自分の主張が間違えていた場合にも、そのまま突き進むしか無くなっちゃう。

そこには、思考の柔軟性も生まれないし、常に相手に対して、0か100かを求めてしまう訳だから。
なんか配慮やリスペクトを相手に伝えられなくなる。

話は大河ドラマに戻って。
水戸藩の戦は終わり、渋沢栄一は、その財政を任せられるの。

そこで、立ち直しを図るために、渋沢は、百姓と武士の両方の力を合わせていこうとするわけ。
「百姓の皆さまには、自分たちを卑下せず、誇りを持ってもらいたい」
「武士の皆さまには、刀をおいて、力を合わせてもらいたい」
とまぁそんな事を言うんだけどさ。

冒頭に述べた様に、武士にとっての刀は命そのものだから。
なかなか手放せないのよ。

それでも、水戸藩の為に刀をおいて、そろばんを習ったりする訳だけど、もうこれまでの自分の人生に対する全否定と変わらんなぁ〜
と思った。

生きていく上で大変な事は、時代によって違いがあってもなくなる事はない。

真逆の人生を歩んで来た人間に対して、「これまでの自分の人生は全て間違っていました!
何でもするので、一から教えて下さい!」
って言えるだろうか?
と思った。

でも、自分が間違っていたと気づけたなら、すぐにそれを受け入れて変えていける人間でありたいとは思う。

よく変わっていく事がこわいという人がいる。
これは全く逆で、「変わらない方がこわいよ」と僕は思う。

時代も環境も年齢もどんどん変化していく。
その中で自分だけが変わっていなかったらほとんどホラー。

変化を受け入れられる自分でいようと思うのだ。
そうすれば、昨日より今日、今この瞬間を精一杯楽しめるはずだ。

25歳までと、それ以降って、、

2021-09-21 19:03:00 | 日記
こないだふと思った。
「社会的に楽しいと認めらる大抵のイベント事は25歳までに終えるんじゃね?」
と、、、

遠足、運動会、体育祭、文化祭、修学旅行、卒業旅行、部活動、恋愛、初めての就職などなど、、

以降、家庭を持ち始め、何もアクションを起こさなければ、いつでも遊べる友達が基本減っていく。

自分は今年、37歳で基本、自由にやっているけど、25歳までとそれ以降では大きく違うなと思う。

26歳以上になると、新卒でも、3年が経過し、徐々に「責任」が伴ってくる。

それは、仕事だけでなく、日常生活においても同様だ。

「自由」を求めるには、何らかの「責任」が課せられるのだ笑

僕は、バスケが好きで、自分でサークルの運営をしているのだが、何か自分の好きな事をやりたいってなっても、やはり責任がついてくる。

しばらくは厳しいだろうが、運動会や、遠足もしたいのにw
やろうと思うと、それなりに労力も必要になる。

そう考えると、日本の学校の制度って素晴らしかったなぁ〜なんて思うわけ。
みんなもっと感謝した方が良いw

でもさ。戦国時代に人生50年なんて言われていたものが、400年くらいしたら、人生80年だ100年だってなっている。

そしたら、26歳から死ぬまでの残り時間が半分どころじゃ済まないのよw

まだ3分の1だったり、4分の1でしかないの。
責任ばっかり押し付けられて、「老い」が醜くて「悪」とされる様な社会って、逆に今のこの現実に即してない。

僕の考えでは、26歳からは、新たな人生で、産まれたてというわけ。

責任ある分、自由だし、自分次第。
社会の仕組みが整っていないから、めちゃくちゃ試されている。

どうするかは完全に自分次第だ。