先日の大河ドラマの渋沢栄一みて思った。
僕らは想像もつかないわけだけど、当時は本気で刀を引っ下げて、命のやり取りをしていた。
「武士にとって生きるという事は、自分の正義をかけて、他人の正義と、命のやり取りをする事」
と言えると思う。
それぞれが大義名分を抱えて、そのイデオロギーの証明の為に命をかける。
でもさ。
人間、主義主張が違うのは当然の事で。
そこに「命」をかけたらダメだね。
だって、「命」より尊いものないもん。
それをかけたら、自分の主張が間違えていた場合にも、そのまま突き進むしか無くなっちゃう。
そこには、思考の柔軟性も生まれないし、常に相手に対して、0か100かを求めてしまう訳だから。
なんか配慮やリスペクトを相手に伝えられなくなる。
話は大河ドラマに戻って。
水戸藩の戦は終わり、渋沢栄一は、その財政を任せられるの。
そこで、立ち直しを図るために、渋沢は、百姓と武士の両方の力を合わせていこうとするわけ。
「百姓の皆さまには、自分たちを卑下せず、誇りを持ってもらいたい」
「武士の皆さまには、刀をおいて、力を合わせてもらいたい」
とまぁそんな事を言うんだけどさ。
冒頭に述べた様に、武士にとっての刀は命そのものだから。
なかなか手放せないのよ。
それでも、水戸藩の為に刀をおいて、そろばんを習ったりする訳だけど、もうこれまでの自分の人生に対する全否定と変わらんなぁ〜
と思った。
生きていく上で大変な事は、時代によって違いがあってもなくなる事はない。
真逆の人生を歩んで来た人間に対して、「これまでの自分の人生は全て間違っていました!
何でもするので、一から教えて下さい!」
って言えるだろうか?
と思った。
でも、自分が間違っていたと気づけたなら、すぐにそれを受け入れて変えていける人間でありたいとは思う。
よく変わっていく事がこわいという人がいる。
これは全く逆で、「変わらない方がこわいよ」と僕は思う。
時代も環境も年齢もどんどん変化していく。
その中で自分だけが変わっていなかったらほとんどホラー。
変化を受け入れられる自分でいようと思うのだ。
そうすれば、昨日より今日、今この瞬間を精一杯楽しめるはずだ。