日々是好日

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航空自衛隊小松基地航空祭

2015年10月10日 | 日記
先月21日、航空自衛隊小松基地航空祭を見学してきました。
何年も前からぜひと思いながらも、いつも見逃していましたので、ようやく念願かなったというところです。
午後から出かけましたので、一番見たかった航空自衛隊の主力機F-15の飛行は見れませんでしたが、メインイベントのブルーインパルスのデモ飛行には間に合いました。
T-4 という機体なので、駐機されていたF-15を目にした後では、さすがに迫力にはかける気がしましたが、それでも十分にその飛行技術を堪能させていただきました。

金沢に住んでいますので、家からでも小松基地へは車で30分なのですが、渋滞が目に見えていましたので車は避け、JR各駅停車を利用して小松駅、そこからシャトルバスで基地へ、帰りはその逆をたどったわけですが、案の定大渋滞に巻き込まれてバスが基地内ですでに立ち往生、駅まで普通は10分くらいの所が2時間かかりました。
ずっと立ちっぱなしで、おまけにJRの電車も座ることが出来ず、日ごろの運動不足を一気に解消して、大分おつりがきました。

政府の判断一つで実戦に立ち向かわなければいけないという安保法制の問題がありますので、複雑な感情で、基地の自衛隊員や飛行機を見ておりましたが、隊員のみならず、ひいては私たち国民皆が、今までにない事態に直面することになったわけですが、私にはまだその覚悟がありません。我が国が攻められたのなら、是非もなく立ち上がらなければならないのは自明ですが、そうではなくアメリカがどこか遠くで戦うことになった地点にも、場合によっては出かけて戦うことに、ひいては国内にも火の粉が飛んでくるという事態に、国民の皆さんは覚悟が出来ているのでしょうか。
圧倒的多数を占める自公政権は、今なんでも強行しようと思えばできるということに、今見てきた軍用機が本当に軍用に使われるのだということを重ね合わせて、立ちっぱなしからくるよりも大きな疲れを感じた日にもなりました。

夏山満開

2015年08月03日 | 日記

夏真っ盛り、2日は久しぶりに立山に、北日本観光の日帰りバスツアーで金沢から登山に出かけました。
麓の富山地方鉄道立山駅までは車で往復し、ケーブルカー、バスを乗り継いで室堂までがいつものコースなのですが、最近はバスツアーの便利さと手ごろなお値段に目覚めましたので、今回もそれを利用させてもらいました。
朝起きてお天気を見てからということができませんが、夏のこの時期、まず雨に降られることはなかろうと思って申し込んでおりましたが大正解でした。
多少の雲はありましたが、立山自体も、遠くの槍・穂高をはじめとした北ア南部の山々もくっきりと望むことができました。


夏休み中の8月前半の日曜日は、地元富山の中学生が学校単位で大挙立山を目指すと聞いておりましたし、北陸新幹線開業の影響もあって、雄山や大汝山には列をなすのではと思い、今回はお隣の室堂山、浄土山から竜王岳を縦走のつもりででかけました。雄山・大汝山は何回も登っていますし。
思った通り、主峰方面は結構な渋滞だったということで思惑どおりでしたが、わたくし自身の体力的な衰えはまったくの計算違いでした。あまりの好天で、撮りたいアングルが多くて撮影に時間がかかり過ぎたこともありますが、縦走はできずに、ただ室堂山展望台まで往復してきただけに終わりました。
それでも、青空の中、立山・剣、大日連邦、槍・穂高、薬師、黒部五郎や水晶岳と、バスツアーのサービスのお弁当をいただきながら眺めていると、山はやっぱりいいなーという月並みな感想が浮かびました。あの中のいくつかの山は、昔、登ったなー、今はもう無理かもなーという哀しい思いも頭をよぎりました。




ということで、今回は、日頃の不摂生を痛感させられた山行きともなってしまいました。
でもまー、一日たって、こうして撮ってきた写真を整理していますと、またすぐにでも行きたいという気持ちがふつふつと湧いてきています。
体を鍛えなおしてという前提がつくのは仕方がないところだとは自覚しておりますが、もうすこしまともな山登りに挑戦しなきゃとあらためて思っています。





秋常山古墳

2015年07月15日 | 日記
大分日が経ちましたが、5月の末に秋常山古墳に行ってきました。
石川県最大の河川・手取川が、山から平野に流れ出る扇状地の西側の山裾に沿って結構な数の古墳群があるのですが、その盟主的存在が秋常山古墳で、前方後円墳である1号墳は全長140mもあります。
北陸では最大級で、後円部の噴高は20m、墳頂の真下に埋葬施設が存在していることが確認されていますが、まだ未調査ということで、何が出てくるのか私なんかは興味深々です。なにしろ、周辺の古墳群からは鉄製の甲冑やら刀剣はじめいろんな武具や農具、馬具、鏡、埴輪などがすでに発掘されておりますからね。
4世紀後半ごろの築造と推定されているそうですが、当時にこんな大きな古墳を作れるほどの力をもっていた権力者が、あの能美市に存在していたなんて、ヤマト政権とのかかわりやなんかも考えると本当に興味が尽きません。能美市は、松井秀喜さんのみではなかったのですね。そういえば元総理の森喜朗さんも能美でしたね。
新国立競技場!あんなにお金をかけていいんですかね!あのデザインが東京招致の一因だったなんて、初めて聞ききましたよね。確か「お・も・て・な・し」と「お金をかけない」が売りだったはずですがね!

    前方部より見た後円部

存在は知っていましたが、家族で行くようなところとはちょっとイメージがずれておりましたので、訪れたのは初めてでした。誰一人おりませんでしたのでゆっくりと時間をかけて、隣接している巫女さんを葬っているらしい2号墳も含めて探訪させていただきました。

1号墳の後円部からの2号墳(方墳)                     2号墳上の埴輪

1号墳の後円部頂上からの眺めは、加賀平野とそこを流れる手取川、日本海が一望で、さすがにこのあたり一帯の支配者が眠っているにふさわしいところと思いましたが、残念なのは、古墳自体の全貌がわからない点です。これは日本一の大仙古墳(通称仁徳天皇陵)などでもいつも思うところですが、仕方がないですね。
全貌写真は公式ページより拝借しました。

金沢大学旧工学部校舎の取り壊し

2015年06月06日 | 日記
 妻が4月初めから5月末まで長女の所にいってましたので、その間炊事洗濯その他家事全般全て一人でやり、もちろん仕事もやっていますので忙しい毎日でした。
 普段はほとんど行かないスーパーにも、結構な頻度で食糧買い出しに行っておりましたが、そのスーパーのすぐ近くに2007年3月をもって移転した金沢大学工学部の跡地があります。
 その跡地に当時のままの状態でずっと放置されていた(ようにしか見えない)校舎が解体され始めていました。
 これは義弟に報告しなければと、いそいでカメラに収めました。義弟は、金大が金沢城内にあった時代に、世界でも貴重な城内にある大学ということにあこがれもあって金大に学び、今では日本法人のアメリカ支社の幹部としてアメリカに滞在中です。滞米生活は通算15年にもなります。
 城内からの移転にはずっと反対でした。あんな山の中に隔離されて、人間のいないところで狸相手に文系の連中は何を学ぶんだ・・・とよく言ってます。
 そしてついに、彼の学んだ工学部の校舎もなくなります。思い出の校舎の解体される画像を送ってやらなくてはと思っているのですが、余計なお世話でしょうかね 
 私も、街の真ん中にある金沢城に金沢大学があることを、教育を重視する町を標榜する金沢市民として誇らしく思っていましたから、角間なんていう山奥に移転することには大反対でした。「マムシに注意」なんて看板のたつ山の中に追いやっといて、学生に優しい街、どこが・・・という感じでした。


 しかし、1994年の城内からの移転後20年もたち、大学の去った金沢城がどんどん整備されて見どころ満載となるにつれ、お城ファンでもある私は「まぁーいいか・・・」と最近は思っています。
 それでも、移転先に開発された門前町に、進出しているほとんどが東京大阪などの県外大手資本ばかりで、門前町に金沢らしさのかけらもないことにはすごい違和感があります。
 といってもよく利用はするんですよね。何しろ便利ですからねー。
 古き良き日本はどこへいくんでしょうか・・・






女川といわれる浅ノ川と山側環状道路沿いの金大門前町
金沢大学は、写真奥の山のずっと左に連なったところの山間、街並から隔絶した所に存在します
写真ずっと右側、浅ノ川のずっと下流域が金沢の市街地
この写真の浅ノ川沿いと、川より左は、ここ15年くらいで忽然と現れた街です

河北潟干拓地の初夏

2015年05月18日 | 日記
5月17日(日曜日)の金沢は青空が広がりました。
家にいるのはもったいないし、さてどうしようかと考えている時に、耳寄りな話が聞こえてきました。
河北潟のひまわり村では今、クリムソンクローバーが満開だというではありませんか。
はて、クリムソンクローバーてどんな花なんだろうと思って車を飛ばしました。

ひまわり村だからひまわりなんですが、この時期、連作障害を避けるために植えられたそのクリムソンクローバーが満開になるということでした。
それを刈り取ってひまわりの種を植えると、いよいよ本番の7月下旬から8月初旬のお日様ぎらぎらな時にひまわりが咲き誇るという訳なのです。


その一面のクリムソンクローバーを撮ってきました。
刈り取って持って帰ってもいいと聞きましたが、そんなことをしている人は見かけませんでした。
ちょっと足を延ばしてメタセコイアの並木道もカメラに収めました。
北海道の広野を思わせる光景が気持ちいいので、いろんな季節に出かけています。

金沢近郊の、日本海につづく河北潟は、干拓されて私の中学生時代の半分以下になっています。
中学時代は友達と釣りに行き、もちろん素人の私たちが釣れるわけもなく、かわりにボート遊びに興じたりしたのですが、あのころの河北潟は水路が入り込んでいてちょっとした探検気分で本当に楽しかった思い出があります。
今の中学生には、絶対許されない遊びだと思いますが、当時も許されていたわけではないのかもしれませんが、別にとがめられることもなく、年に何回か遊びに行ってました。
たいてい北陸鉄道浅野川線の電車を利用しましたが、時には自転車のこともあり、今思うと、金沢でも山の麓のような地区に住む中学生が、海のすぐ横の河北潟まで、電車でも30分くらいかかる所へよく自転車でいったものだと、ひょっとしたら夢だったのかなと思うほどバイタリティにあふれていました。
あのころの仲間はいまどうしているんでしょうかね・・・

当初はコメの増産が目的だったようですが、ご存知のように日本の食事情が変わって、今では干拓地に稲作の田圃は見られず、代わりに色々な野菜や果物が栽培され、牧畜にも利用され、われわれの食卓を飾ってくれています。
しかも、昔はなかったひまわりの群生やメタセコイアの並木道を、大人の今楽しめるのですから、思い出を奪った形の干拓も、まー「良し」としましょう。