わが町金沢は、二つの川の織り成す二つの低地と三つの台地からなっています。その真ん中の小立野台地に私は今住んでいます。そこから文豪・室生犀星、最近読まれる方はあまりいないと思われますので、知る人ぞ知るかもしれませんが、とにかくその室生犀星ゆかりの犀川、もちろん二つの低地の一つで金沢最大の川の犀川、そこに向かう台地の端・低地の始まり、に猿丸神社があります。祭神は三十六歌仙の一人猿丸太夫で、約千年前平安時代の創建だそうです。境内は樹齢何百年という欅を中心とした杜でモミジの木も何本かあります。この神社の近くを先日通りかかったのですが、あまりに紅葉が見事なので、それをカメラに収めました。
今は全くの町の中ですが、私の小中学生時代までは周りはすべて田んぼで、村の鎮守様という雰囲気のお社で、小学校の理科の解剖実験のためのカエルをこの辺りで捕まえたことをいつも思い出します。やむを得なかったとはいえ、可哀そうなことをしました。あんな授業がなくなったのは、子供たちにはいいことなんだと思います。もっとも当時は、あんまり罪の意識はなかったというか、なんにも考えていなかったと思います
わたしの中学生の頃から、お社の脇を通って町の中心繁華街に通じる道路の建設が始まり、高校の時には、通学途中となりましたこのお社近辺は、開発が進んでいてお店も大分出来ておりました。自転車通学だったのですが、住んでいた(今も住んでいます。途中、京都・大阪時代が長いのですが)小立野台地から犀川低地に一気に下り、そこから今度は、寺町台地、加賀藩の方針でお寺が集められ、今もお寺が集中している台地に向かって急坂を登る。帰りは、その反対に坂を下り、上りを毎日繰り返していたものです。毎日自然に鍛えられていましたから、体力ありましたよ。ああー、昭和は遠くなりました。
このお社のすぐ近く、まさに私の通学路に面して、当時一軒のお店が出来ました。五人も入れば満員のステーキ専門店です。このお店が、すこぶる美味しくて、予約も取れないくらいの評判店だというのです。外見はどう見たってそうは思えないのです。なにしろ小ぶりのお店で、看板が出ていないのです。(ちなみに、現在は看板が出ています)通学仲間みんな、あそこの事じゃないよな、あんな小さいはずないよな(お店には失礼なんですが、高校生のことだとお許し願って。)と、どうしても信じれませんでした。当時、まだステーキって何、少なくとも私の仲間たちは、多分ステーキってよくわかっていない、ただ美味しいものだってよ、くらいの認識しかなかったからということもあったからかもしれません。大学生になって金沢を離れ、そのステーキ屋さんとは縁がないままに今に至っています。今もお店は健在で、外見は、昔とあまり変わっていないように思います。オーナー・シェフは相当なお歳のはずですが、ますます評判で、半年前でも予約は取れないと聞いています。テレビにも取り挙げられておりました。店内の壁に貼られているお品書きが小さくて、字が読み取れないくらいなのですが、お店を相対的に大きく見せるためだと、シェフご自身がテレビでおっしゃられておりました。
一度は行きたいと思いながらも、まだ果たせずにおります。ところがですね、先日、妹に聞いたのですが、なんと、父が何度も行っていたというではありませんか。自分一人でいい思いをしていたなんて、全く想像もしていませんでした。そういえば、お寿司の名店にもよく出かけていたらしいのです。ステーキ店もお寿司屋さんも、その他、多分いろいろな名店に行ってたと思うのですが、一度たりとも連れて行ってもらったことなどありません。文句を言いたいところですが、父は何年も前に亡くなっていますから、今更ですね。もっとも、私は、回転寿司でも十分に美味しくいただけますから、ここで書いてるほどには、恨んではいないですよ。声を大にして言いたい、恨んではいない。でも、あのステーキ屋さん、どれほど美味しいのかなー