日々是好日

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その3 琳派、京を彩る

2015年11月27日 | 日記
琳派誕生400年記念展
 智積院をでたのは午後3時半。朝8時過ぎに金沢を出てここまでで相当に疲労がたまっていました。あとは京都国立博物館の琳派誕生400年記念展です。初めに京都に行こうと思った時には、こんな展覧会もやってるのなら、時間があれば寄ってみようくらいの、あくまで智積院の等伯が目的でした。
 宗達・光琳・抱一の風神雷神図のそろい踏みしかり、琳派の作品がこんなに一堂に揃う機会なんてもうないかもくらいの規模ということを教えていただいて、これはもう絶対見なきゃとなりました。

 智積院と国立博物館の裏手とは道路を挟んで相対している位置にありますので歩いて博物館に向かいます。三十三間堂ももう一つの反対側にありますので、この界隈は人であふれていました。
 今年はもう一つ二つということらしいですが、色彩豊かな紅葉にめぐまれ、1000年の歴史を持つ神社仏閣がそこらに存在し、荘重な建物・広い構内を誇る、そのうえ新館まで増築された国立博物館で見逃せない展覧会まで開かれる、なんて京都の人は贅沢なんだ。
 でも、お魚は金沢の方がおいしいよなんて対抗しても仕方がないですよね。私の金沢もいいけど京都は本当にいいよなー。

 入館するのに5時間待ちという日もあったと聞いてある程度の待ち時間は覚悟していましたが、人が多い割には案に相違してすんなりと入ることが出来ました。ところが、鑑賞するのに長い列。下絵が宗達、書が光悦という「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」など、13メートルを超える大作の13メートル全面で列が動きません。こういう機会はもうないかもしれないしすぐ目の前で見なくてはと大分頑張って列に並んでいたのですが、しびれを切らして並ぶのはあきらめ、ところどころ列の切れ間から鑑賞することになりました。宗達と抱一の風神雷神図をはじめ他の絵もどこが空いているということなく全て列が動かず、同様な鑑賞になりました。疲れている私には膨大な数の琳派の絵をすべて見終わるまでに3回の休憩が必要でした。
 琳派の絵は私の眼には現代デザインに通じるデザイン画という印象です。先ほど見てきた等伯や狩野派とはっきり違います。等伯の長谷川派と狩野派の激しい対立は知られていますが、等伯や狩野探幽と宗達とはほぼ同時代に生きていたにも拘らず、その間の軋轢のようなものは伝わっていないように思います。私が知らないだけかもしれませんが。傾向が違うので棲み分けが出来ていたのかもしれないですね。
 超有名作「燕子花図屏風」と「紅白梅図屏風」がなかったのは、次の機会に見なさいということでしょうか。
 すべて見終わったときは、いいものを見たという満足感とともに、本日一日計画をすべて完遂出来たという満足感もあり、朝からずーっと歩きづめの疲労もむしろ心地よく感じるほどでした。

 5時半に博物館を出て三十三間堂前バス停に並び、あとはバスに乗るだけだったのですが、京都駅行バスは全て満員で乗せてくれません。タクシーも空車は通りません。バス停の皆さんは仕方なく歩きはじめ、私の心地よい疲労感は吹っ飛び、なんとか方法はないかとあせりまくりましたが、どうすることも他に方法がないので私も歩きました。紅葉と絵画、自然と人工の美を満喫した高揚感を覚ますのに程よい運動と捉えたいところですが、疲れは半端でなくようようやっとの思いで京都駅に6時ころに辿り着きました。京都タワーがいい目印になっていました。
 京都駅6時40分発のサンダーバードの指定席ですので、食事をとる余裕はありません。駅弁でもと探すのですが見つからず、もうしょうがないと、ごった返しているコンビニで残り少ない弁当をようやくにして買ってホームに入りますと、なんとホームの中に駅弁売り場があるのです。京料理のおいしそうなカラフルな弁当が並んでいました。そうだった、京都駅はそうだったなと思い出しましたが後の祭り、見ないようにしてベンチで列車を待ちました。
 列車に乗りこんですぐにコンビニのとんかつ弁当430円を広げました。疲れ切ってはいましたが、ここまでくれば一安心、充実した一日のあれこれを思い出しながら食べたお弁当は、結構美味しかった。

 やっぱり京都はいいなーと満足して金沢に帰りました。

京を彩る  その2等伯への旅

2015年11月24日 | 日記
東山通りの泉涌寺前バス停までもどって208系統のバスに乗り智積院に到着です。これを書いていて思い出しましたが、降車のために両替していると、バスの運転手さんが「早く早く」と怒気を含んだ声で急がすのです。渋滞で気が立っているのはわかりますが、せっかく楽しく観光している客に向かってその態度は何なんだ、スムーズにやってたじゃないかと今言い返しておきます.

 智積院は主な観光コースからはずれているせいか、京都が一番混雑するこの季節でもすいていました。拝観受付のすぐわきの収蔵庫に入室すると、長谷川等伯・久蔵親子を初めとする一門が描いたという「松に黄蜀葵図」、「桜図」、「楓図」、「松に秋草図」などの障壁画が襖に描かれたその状態で目にに飛び込んできます。幹や枝の激しい動き、紅葉や桜の写実性、空や池の抽象性、全体の構成といった面では圧倒されるものがありました。秀吉・千利休・狩野永徳といった史上の大物が絵の背景に存在することからくる迫力も感じました。ただ、いずれも桃山時代を代表する障壁画で金地に極彩色で描かれているはずですが、全体的に色彩に乏しく、私にはよく言われる豪華絢爛さという面はあまり感じられませんでした。作品の劣化を防ぐためや、当時の雰囲気をもたせるために照明を落としている部屋の薄暗さも影響していたと思います。
 私が入室した際の先客は4人のみ、1人は欧米系の50歳代くらいの外国人で、ゆっくりと時間をかけて鑑賞した私が退室した後も残っていました。日本の歴史には日本人ほど詳しくないはずですから、作品そのものに興味を惹かれていたのだと思いますが、郷土の先輩をちょっと誇らしく思いました。

 収蔵庫を出まして拝観券がセットになっている名勝庭園に向かいました。智積院に対する私の知識は等伯の障壁画どまりでしたので、目的を達した虚脱状態で、お寺さんには申し訳ないのですが、あとはついでのような気がしていました。ところが、やはり紅葉の色合いがもう一つの利休好みという庭園よりも、講堂の襖絵に目が点になりました。それは、先ほどの「桜図」、「楓図」のレプリカなのです。その鮮やかさに驚嘆させられました。金色ピカピカということももちろんあるでしょうが、楓や桜やその他描かれている対象の赤や緑や桜色等々、本物に私が感じられなかった豪華絢爛さがこれでもかというくらいに迫って来るのです。当時の人が度肝を抜かれたというのは本当に納得です。400年の時を経た本物の古色蒼然さを見た後これを見て、表と裏、完全な作品を目にしたという満足感でいっぱいでした。
 やっぱり京都に来てよかったとしみじみ思いました。

 上野の東京国立博物館の「松林図屏風」も七尾の美術館の企画展で見ましたし、等伯のもともとの出発点の仏画も七尾のお寺で何点か見せてもらったことがあります。襖に描かれた桐の文様を雪に見立てて一気に描き上げたという高台寺・圓徳院に現存する「水墨山水図」も見ました。等伯の世界をかなり目にしたことになりますが、ますます関心が深まりました。本法寺や大徳寺、妙心院にまだまだ見たい作品がありますのでまた京都に行くことになります。

 帰ってから、あの講堂には、現代日本画壇の第一人者田渕俊夫画伯の60点に及ぶ襖絵も奉納されていたことを知りましたが、現地ではわかりませんでした。写真で見るとこれも素晴らしい、でも後の祭りです。智積院にも足を運ぶことになりそうです。
(その3へ つづく)

京を彩る その1紅葉の旅

2015年11月22日 | まち歩き

21日連休の土曜日を利用して京都に行ってきました。
はじめは22日の予定だったのですが、お天気を見て21日にしました。こんな時はJR西日本お出かけネットは便利です。なにしろ切符を受け取るまでは何回でも乗車予定の列車を変更できるのですから、しかも無料で。

 朝8時15分の金沢発サンダーバードで京都には10時37分着。学生時代を京都で過ごした私ですから、勝手知ったる京都の街と言いたいところですが、40年も経つとまるで様子が違います。光陰矢の如しとはよく言ったもので、あの頃は、そこここに普通に存在している超有名社寺仏閣に知識も関心もなく、ましてや紅葉に心を動かされるなんてまず考えられず、もっぱら人間様ばかりが興味の対象でした。まさか、お金を払って電車に乗ってわざわざお寺にお参りし、春は桜、秋は紅葉をめでに出かけるとは想像だにしていませんでした。人生とは奇異なものですね。そうはいっても、当時からそういった所に目を向けていた友人がいましたから、単に人間的資質の差かもしれませんね。

 いつもは渋滞を避けるために鉄路で回れるところを選ぶのですが、今回は東福寺から泉涌寺で紅葉を楽しみ、智積院で長谷川等伯の障壁画を、そして国立博物館で開催中の「琳派 京を彩る」という企画展を鑑賞という計画なのでバス利用です。京都駅を出る208系列のバスには、となりの清水寺方面行の長蛇の列を尻目に待つことなくすぐに乗れ、しかも座ることが出来、幸先のいいスタートでした。

 
紅葉の超名所・東福寺は案の定大変な人でした。人混みに紛れながらですが並ぶことなく入園できたのですが、肝心の紅葉がもう一ついやもう二つという感じで赤くない、何年か前に感動させられた通天橋から見下ろした時のあの赤さがないのです。
今年の紅葉は10年に1度の不作(やはり紅葉の名所・真如堂のHPより)らしいのですが、まさにその通りで、こんなんちゃう、こんなはずではと思いながらに撮ったのが掲載の写真です。

 他もこのくらいなのかなーと不安を感じながら東福寺をあとにし、お隣といった感じの泉涌寺に向かいました。東山通りのバス停泉涌寺道からの長い長いゆるやかな登り坂を、日ごろの運動不足を嘆きながらようやくにして登り切り、泉涌寺の一番の特徴である山門から仏殿に向かう下り坂に差し掛かったところ、赤くない、紅葉が全くといっていいほどないのです。
 
写真で何度も見ていますので、仏殿を見下ろすという特異な光景には驚きはなかったのですが、真っ赤に紅葉した木々を眺めながら下っていくという想像が、まさか彩の乏しい中を歩く羽目になろうとは思っていなかったです。
 がっかりしながら坂を下り、仏殿に足を踏み入れた途端に目に入ったのは狩野探幽の「白衣観音像」、天井に目をやりますと狩野山雪の「蟠龍図」と、桃山から江戸を通じての日本画の最大派閥・狩野派の大立者二人の作品があるではありませんか。今度の旅は、最近読んだ直木賞作品・安部龍太郎の「等伯」に触発され、前々から気になっていた郷土の大芸術家・長谷川等伯の作品を見るというのが大目的ですので、安部の「等伯」にも最大のライバルとして登場する狩野永徳の、その孫の探幽の作品を目にするとはなんという幸運でしょうか。
 東山通りまでの戻り路の長い長い下り坂も、タクシーを利用しようかと思うほどに足に来ていたのですが、足取りが少し軽くなったような気がしました。

 帰宅してもう1度確認しましたところ、山門からの下り坂は常緑樹が多く、もともと紅葉はそれほどでもないようで、泉涌寺での紅葉とは御座所や霊明殿あたりが見どころだそうです。
(その2に つづく)