3月25日 (木) ナポリ 曇り時々雨-ポンペイ 曇り時々晴れ (HOTEL GINEVRA)
8時起床。9序36分発のヴェスヴィオ周遊鉄道(2400L)に乗り40分かけてVILLA DEI MISTERIへ行く。そこから5分くらい歩いてポンペイ遺跡(10000L)の入口に入った。資料を何も持っていなかったので平本君が日本語で書かれたガイドブックを買いそれを見ながら周った。トルコのエフェス遺跡に似た感じであった。
西暦79年にヴェスヴィオ山の噴火によって埋没させられた当時の生活をイメージしてみて同じ時期の日本文化と比較するととても進んだ文明を持っていたのだと感心した。午後2時半頃までほとんど休みなく歩きつづけ見て回ったが、ホテルに戻ったあと肝心な「ポンペイの赤」を見ずに帰ってきたことを知り愕然とした。遺跡にはどこから沸いてきたのか、ツアー客も多く見られガイドの話もろくに聞かず写真をとりに走る日本人で一杯であった。情けない限りだ。
くたくたに疲れ果てポンペイの駅に着き彼女にTEL。3時半発車して4時ナポリ到着。話し足りずに10000Lのテレカを勝手もう一度電話を入れ満足した。いったん宿の戻ったあと街ブらをしてフィルムと歯磨き粉を買って帰ってきた。傘、傘袋、寝袋の袋の裁縫をした。
8時起床。9序36分発のヴェスヴィオ周遊鉄道(2400L)に乗り40分かけてVILLA DEI MISTERIへ行く。そこから5分くらい歩いてポンペイ遺跡(10000L)の入口に入った。資料を何も持っていなかったので平本君が日本語で書かれたガイドブックを買いそれを見ながら周った。トルコのエフェス遺跡に似た感じであった。
西暦79年にヴェスヴィオ山の噴火によって埋没させられた当時の生活をイメージしてみて同じ時期の日本文化と比較するととても進んだ文明を持っていたのだと感心した。午後2時半頃までほとんど休みなく歩きつづけ見て回ったが、ホテルに戻ったあと肝心な「ポンペイの赤」を見ずに帰ってきたことを知り愕然とした。遺跡にはどこから沸いてきたのか、ツアー客も多く見られガイドの話もろくに聞かず写真をとりに走る日本人で一杯であった。情けない限りだ。
くたくたに疲れ果てポンペイの駅に着き彼女にTEL。3時半発車して4時ナポリ到着。話し足りずに10000Lのテレカを勝手もう一度電話を入れ満足した。いったん宿の戻ったあと街ブらをしてフィルムと歯磨き粉を買って帰ってきた。傘、傘袋、寝袋の袋の裁縫をした。