感動は命の肥し

曇りなき眼で、物事を見つめるなら必ずや真実を見極めることができる。覚醒の時を生きた記録として。

ばあちゃんを思う9月

2020-09-03 | 遠い昔の記憶

最近、テレビを見ても面白くなく、ここのとこ動物関連の番組(ネイチャーみたいな)を見ることが多い。気持ちが安らぐからだ。

そういえば、むかーし、ばあちゃんが好きでいつも見ていた”動物の王国”と言う番組、うろ覚えだけど多分そんなタイトルだったのではないかと。何とか生命と言うスポンサーのコマーシャルが入って、ガジュマロの木かな、映し出されていたのを記憶する。

今思うと、ばあちゃんはハイカラな人だったのではないかと思うのだ。貧しい暮らしに贅沢をすることもなかったが、テレビで見るのは、動物の王国や、日曜映画劇場、それに、なぜかプロレスが好きな人だった。もちろん、銭形平次や水戸黄門も好んで見ていた。

私は、ばあちゃんといつも夜遅くまで起きて映画を見たり、動物の王国を見たりしてたんだ。

私は、このおばあちゃんの影響で時代劇、映画が好きになったのかもしれない、と今思う。

お年寄りなのに、外国の映画や動物のお話を好んで見るばあちゃんを、少し変?に感じていたのかもしれない。普通の年寄と違うみたいな。プロレスも相当好きだったし、ボクシングや相撲も欠かさず見ていたね。

 

ばあちゃんは、大正元年生まれ。名前を花子と言った。

口数少なく控え目でとても品のあるおばあちゃんだった。

その昔、じいちゃんが村で一番の美人でないと嫁にしないなどと言って結婚した人がばあちゃんだと、聞いたことがある。苦労ばかりして、シワシワで化粧もしない人だったけど、彫が深く、マザーテレサによく似ていた。産んだ娘5人が、町で評判の美人姉妹だったのを思えば、ばあちゃんはきれいな人だったんだろう。

父は長男で、若き頃の写真は、キアヌを思わせる美男子だし、5人のおばちゃんはと言えば、小川知子にアン・ルイス、中尾ミエ似の美人ばかりで、特に一番下のおばちゃんは、その頃小学生だった私が見てもほんとにきれいで、惚れそうになるくらいの、たいそうな美人であった。

残念ながら私は、父方の美形の遺伝子をあまり受け継がなかったようだ。

 

ばあちゃんの長男に生まれた一人目の孫が、私だ。

ばあちゃんは美人だったが色が黒かったらしい。そこで、町の銭湯に行く時は、色黒に生まれた私を好んで一緒に連れて行ったと聞く。夜寝る時も、小学校の2年か3年まで、ばあちゃんと同じ布団で寝てた。布団がなかったからかなと思ったら、そうでなく、私を湯たんぽ代わりにしていたようなふしもある。

とにかく、可愛がってもらったのだ。

中学校、高校と試験勉強をしていると、夕飯の残りのてんぷらや、チキンラーメンを作って持ってきてくれたり、してたな、と懐かしく、ありがたく、思い出す。

夜眠れない時は、縁側に並んで座り、はちみつをといたお茶を飲みながら、色んなことを話した。

朝はトーストした食パンにマーガリンを塗って、インスタントコーヒーをいれて食べてたばあちゃん。

やっぱりちょっとハイカラだったんだね。

若い頃、大正琴を習いたかったんだらしく、老いてから、それを悔しそうに話してくれた。

じいちゃんは、腕の良い大工だったけど体を悪くして、生活は相当苦しかったらしい。

ばあちゃんの人生は幸せだったのかな…。

ばあちゃん。自分が齢を重ねて、人生の何たるかがすこーしわかってきた今になって、ばあちゃんの人生を思って切なくなるよ。生きているうちに、もっと孝行するべきだったと思う時に親はなし、ではないけれど、私がアメリカに来て二人目を産んだ後、私が産んだ自分のひ孫に会う事もなく、逝ってしまった。

でも、物静かなばあちゃんらしく、その最後は、娘たちがいる側で眠りながら静かに逝かれたらしい。

日頃から、”コロッと逝きたい”が口癖だったなと思い出す。

 

敬老の日が近い、今はいないばあちゃんをしばし思う9月の夜なり。

 


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