感動は命の肥し

曇りなき眼で、物事を見つめるなら必ずや真実を見極めることができる。覚醒の時を生きた記録として。

感動は人を変える力がある。

小説、スポーツ、映画、芸術や生き様を通して人を感動させる事ができる、なんて素敵なことでしょう。 自然や様々な出来事を見たまま感じたまま書き残しました。

ばあちゃんを思う9月

2020-09-03 | 遠い昔の記憶
最近、テレビを見ても面白くなく、ここのとこ動物関連の番組(ネイチャーみたいな)を見ることが多い。気持ちが安らぐからだ。 そういえば、むかーし、ばあちゃんが好きでいつも見ていた”動物の王国”と言う番組、うろ覚えだけど多分そんなタイトルだったのではないかと。何とか生命と言うスポンサーのコマーシャルが入って、ガジュマロの木かな、映し出されていたのを記憶する。 今思うと、ばあち . . . 本文を読む

終戦の8月に想う。

2020-08-01 | 遠い昔の記憶
今日で7月が終わる。7月最後の1日は、雨で始まった。 昨日までのうだる様な暑さが、昨晩からの雨で今朝は湿気もなく、エアコンが必要ない。明日から8月。 百田先生の永遠のゼロを以前読んで、ガダルカナルの海戦の凄まじさに、息をのんだ。 私の会ったことのない、母方の祖父、母の父は、ソロモン海戦で太平洋上で亡くなっている。1943年11月のブーゲンビル島沖海戦での事だと聞いているが、定かではない。 . . . 本文を読む

亡き母を思う夏の一日

2019-08-06 | 遠い昔の記憶
母が他界してもう15年になる。 生前、私の4人目の子供が生まれる時、母は九州の田舎からこのアメリカまで一人で飛行機に乗って来てくれた。今思うと、相当の勇気がいったことだろう。英語などこれっぽっちも話せないおばあちゃんだ。本当に親とは有り難いものだ。当時はまだ上の子たちも小さくて、3人の子供の送り迎えやら何やらで、どう考えても状況が難しく、来てもらえたら助かると、それとはなしに言ったところ、二つ返 . . . 本文を読む

瀬戸内の海辺の村で暮らした幼少期(その2)

2019-06-12 | 遠い昔の記憶
幼稚園に上がってからは、学校が休みになるたびに、また、夏休みや冬休みにも、必ずおばあちゃんの家に行っていたようだ。そんな生活が、しばらく続いた。当時は、まだガスも引かれてなく、炊事はすべてかまどだったし、お風呂は五右衛門ぶろ。家の斜め前には、お墓があり、お墓の脇に結構な松林があって、そこで風呂の薪に使う落ち葉や木の枝を拾ってくる仕事も手伝ったりした。夏場は、毎日風呂を沸かしたりせず、「塩水は、あせ . . . 本文を読む

瀬戸内の海辺の村で暮らした幼少期(その1)

2019-06-12 | 遠い昔の記憶
私の母の実家があったのが、九州の瀬戸内に面した半島の付け根にある、小さな海辺の村で、村と言ったら、集落をイメージすると思うが、そこは村はずれにあり、村の中心部から小さな岬に向けて一本の道が走っていて、その道の行きつく先に4軒の家があり、そのうちのひとつが母の実家だった。寂しい場所だった。当時は、堤防らしいものもなくて実家の北の縁を開ければ、遠浅の海が目の前に広がり、その海が瀬戸内の海であったわけだ . . . 本文を読む

アメリカに来て良かった事

2012-07-26 | 遠い昔の記憶
日本にいる頃、20代の終わりまでですが、私は体が大きく体格がよく、太ってる部類に入りました。 着る服は、13号。でも袖は短く丈も短い日本の服は号数が大きくなると横にばかり広がるので 背が165センチの私には、フィットしません。 私は、肩幅が広く、胸板が厚く、手足が長い体系で、日本の服が合わない。 都会にでもでれば、背が高い人用の服もあるようでしたが、当時の日本は まだまだでした。 服だけでなく . . . 本文を読む

主人がスリを捕まえた時の話

2012-04-30 | 遠い昔の記憶
今20歳の長男がまだ1歳にもならない頃、年子の二人目がお腹にいて乳母車をおして マンハッタンのデパートにお買い物に行った時の話。 下りのエレベーターを待っているときのことだ。 見ず知らずのスパニッシュ系の女性が乳母車のなかの長男を可愛いねなどといいながら、 開いたエレベーターの中に押し入れるのを、前から引っ張って手伝おうとしてくれた。 ありがたがって、適当に対応しながらエレベーターの中にほぼ半 . . . 本文を読む

マンハッタンの縫製工場での仕事

2012-02-11 | 遠い昔の記憶
30歳になる寸前にアメリカに来て、人の紹介でアメリカで初めてした仕事、それが、縫製工場でのミシンを使った仕事でした。場所は、マンハッタンの42丁目を少し南下した8番街にたつビルの5階にある工場。こんなところに、縫製工場がと最初は驚きました。工場の主人は、ブラジル育ちの韓国人のご夫婦、お二人ともスペイン語が大変上手で工場にかかってる有線?放送もスペイン語の曲ばかり。というのも、そこで働いてる人の大部 . . . 本文を読む

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