北海道 厚真町で震度7を記録した胆振東部地震から2カ月が経過した。
この地震にともなぃ発生の停電でのブラックアウトに、稚内の外れの抜海村上勇知という所で遭遇した。
(1)地震発生当日(2018-9-6)
この日は農業体験でファームインの2階に宿泊しており、朝早くに隣部屋の塗装職人さんの声で目が覚めた。
特に夜中揺れは感じず、起きた時外は明るくなり始めていたが、電灯がつかず、部屋の中は少し暗い状況であった。
職人さんに事態を聞くと、札幌や江別から塗装作業に来られているとの事で、ご自宅から電話があり、大きな地震が発生したとの事。
あわててモバイルパソコンを開き、ネットで調べた所『苫小牧近くで大きな地震が発生し、この影響で全道停電している』との事が判った。
このため階下のオーナーさんへ連絡を入れた所、自家発電機が近くの倉庫へ入れてあるとの事で、取りに行くこととした。
車で数分の倉庫へ到着しシャッターを開けていると、駐在所のお巡りさんが表へ出て来られたが、本署からの連絡が入らず、停電の原因も判らないとの事で、先ほどネットで調べた状況を報告した。
駐在さんもこれ以上の情報が取れないと、車のエンジンをかけラジオで状況を調べられていた。
このあと、パンクしたままの車に積んである溶接用の発電機をファームへ移動させ発電開始。とりあえずテレビ電波受信用のブースターとテレビ等最小限の機器に電気を送り込み状況を確認。
まだ朝6時半過ぎであったが、ヘリコプターなどから映し出される被災状況に驚いた。
幸いな事にこのファームはプロパンガスで炊飯をしており、水も上勇知の水源が生きていたので食べる事の問題は起きなかった。(電子レンジ、電気ポットなど、電気を食う機器は自家発での能力に限界があり、もちろん駄目であったが・・。)
テレビの情報や過去稚内での長期停電があった事の実績を踏まえ、発電機に用いる軽油の備蓄がないため、地元の農協も電気が来ないと給油出来そうではなく、あわてて稚内市内まで25Km、ポリタンクを車に積んで走った。
勇知を出てから稚内市内の入り口までは信号機が無いので問題はなかったが、市内に入ってから国道40号と交差する大きな道の交差点の信号はすべて消えており、おっかなびっくり。徐行しながらの通過となった。ただ1カ所だけ、宗谷岬へ曲がる交差点だけはバッテリ式なのか、点灯していた。ここが消えていたら、お巡りさんの手信号でも大変だったかもしれない。
市内へ入りガソリンスタンドを探したが、自家発で給油が可能なスタンドはすでに長蛇の列で、近くのスタンドも探してみたが手回しが間に合わず、この列に並ぶことしかなく待つ事ととした。
幸いな事に30分ほど並んで、車のガソリンと軽油40Lの給油をしていただいた。この時点では、まだ厳格な給油制限ではなく『震災復旧の応援の可能性あり』との言葉で了解をもらい、満タン確保が出来たが、このあと給油された方に後刻お聞きした所では、ガソリン15Lに制限がかかったとの事。
この給油と同時にファームへ宿泊していた他のメンバーは、食料や備品の買い出しに同行した。スーパーやホームセンターでおろしておいたが、どこも長蛇の列で、燃料補給後、再度ピックアップに立ち寄った時、1時間以上並んでも必要なものが買えない状況であった。
よくよく見てみると、大型店の中は停電で真っ暗で、必要な物を外の明かりで見える所へ出して販売されており、要望のあったものを店員さんが懐中電灯で探しに行くなど、大混乱となっていた。
発電機の能力や燃料にも限界があるので昼間はセーブのため停止し、夕方から早めの食事と電気がないと動かない灯油ボイラを使っての入浴のため再度時間を決めて稼働した。この間、冷蔵庫も冷凍品が溶ける可能性があり、通電して対応されていたが、気温が比較的涼しいこともあり間欠でもなんとか持ちこたえていた。
食事はなんとか暗くなる前に済ませ、夜はローソクや懐中電灯の光で過ごす事になった。
<当日の夜(2018-9-6)>
窓からもれるローソクの光の先に、銀河が美しく流れていた。
(2)地震発生翌日(2018-9-7)
朝起きた時はまだ停電のまま。明るくなってから食事を準備し、行動開始。
オーナーから、電気が止まったので、温室のサイドの覆いを自動開閉させる装置が運転できずハウス内の温度も上がってくるので、作物の痛みが心配との事をお聞きする。
この日の作業も屋外であり、日中は停電の影響なし。
このあと時間は不明であるが、この勇知地区にある携帯電話の中継所やテレビの中継所の電源バッテリを使い切ったためか、携帯電話が繋がらなくなり、テレビ番組は見れず、情報源がまったく断たれてしまった。
当然、停電になった時から固定電話、ファックスは通じず、この携帯不通で、ファームインに宿泊される方との連絡が途絶え、予約確認やキャンセルがまるで出来ず、オーナーの奥さんが、稚内近くの携帯が通じる所まで車で行かれ、メール処理等をされたとの事。ほんとうの陸の孤島になってしまった。
しかし、ファーム内はまだ自家発を間欠でも動かせたので、必要最小限の生活はできたが、何も設備のないお宅は真っ暗でじっとしているしかなかったとの事で、冬だったら最悪の事態のなっていたかもしれない。
(勇知地区は給水設備に自家発があり,断水を免れた事は幸いであった。)
夜も昨夜と同様に早めの食事、自家発での灯油ボイラ運転で入浴ができたので助かった。
(3)地震発生3日目(2018-9-8)
朝早く起きるとスタンドの電気がついていた。どうも昨夜のうちに停電は解消した模様である。
テレビのブースターへの電源など発電機からのケーブルを外して切り替えテレビをつけた所、放映されていたが、震災の被害の深刻さはますます深くなっていた。
<電気が来なくて困った事>
①外部情報の入手 → 携帯、テレビ電波も届かなくなる。
②ガソリン等の給油→ ポンプ等自家発以外での給油方法
③照明 → 暗黒での移動は不可能(農場では)
さらには
冬場だと、暖房が停止
灯油タンクからの燃料停止 ⇒ 死活問題
この地震にともなぃ発生の停電でのブラックアウトに、稚内の外れの抜海村上勇知という所で遭遇した。
(1)地震発生当日(2018-9-6)
この日は農業体験でファームインの2階に宿泊しており、朝早くに隣部屋の塗装職人さんの声で目が覚めた。
特に夜中揺れは感じず、起きた時外は明るくなり始めていたが、電灯がつかず、部屋の中は少し暗い状況であった。
職人さんに事態を聞くと、札幌や江別から塗装作業に来られているとの事で、ご自宅から電話があり、大きな地震が発生したとの事。
あわててモバイルパソコンを開き、ネットで調べた所『苫小牧近くで大きな地震が発生し、この影響で全道停電している』との事が判った。
このため階下のオーナーさんへ連絡を入れた所、自家発電機が近くの倉庫へ入れてあるとの事で、取りに行くこととした。
車で数分の倉庫へ到着しシャッターを開けていると、駐在所のお巡りさんが表へ出て来られたが、本署からの連絡が入らず、停電の原因も判らないとの事で、先ほどネットで調べた状況を報告した。
駐在さんもこれ以上の情報が取れないと、車のエンジンをかけラジオで状況を調べられていた。
このあと、パンクしたままの車に積んである溶接用の発電機をファームへ移動させ発電開始。とりあえずテレビ電波受信用のブースターとテレビ等最小限の機器に電気を送り込み状況を確認。
まだ朝6時半過ぎであったが、ヘリコプターなどから映し出される被災状況に驚いた。
幸いな事にこのファームはプロパンガスで炊飯をしており、水も上勇知の水源が生きていたので食べる事の問題は起きなかった。(電子レンジ、電気ポットなど、電気を食う機器は自家発での能力に限界があり、もちろん駄目であったが・・。)
テレビの情報や過去稚内での長期停電があった事の実績を踏まえ、発電機に用いる軽油の備蓄がないため、地元の農協も電気が来ないと給油出来そうではなく、あわてて稚内市内まで25Km、ポリタンクを車に積んで走った。
勇知を出てから稚内市内の入り口までは信号機が無いので問題はなかったが、市内に入ってから国道40号と交差する大きな道の交差点の信号はすべて消えており、おっかなびっくり。徐行しながらの通過となった。ただ1カ所だけ、宗谷岬へ曲がる交差点だけはバッテリ式なのか、点灯していた。ここが消えていたら、お巡りさんの手信号でも大変だったかもしれない。
市内へ入りガソリンスタンドを探したが、自家発で給油が可能なスタンドはすでに長蛇の列で、近くのスタンドも探してみたが手回しが間に合わず、この列に並ぶことしかなく待つ事ととした。
幸いな事に30分ほど並んで、車のガソリンと軽油40Lの給油をしていただいた。この時点では、まだ厳格な給油制限ではなく『震災復旧の応援の可能性あり』との言葉で了解をもらい、満タン確保が出来たが、このあと給油された方に後刻お聞きした所では、ガソリン15Lに制限がかかったとの事。
この給油と同時にファームへ宿泊していた他のメンバーは、食料や備品の買い出しに同行した。スーパーやホームセンターでおろしておいたが、どこも長蛇の列で、燃料補給後、再度ピックアップに立ち寄った時、1時間以上並んでも必要なものが買えない状況であった。
よくよく見てみると、大型店の中は停電で真っ暗で、必要な物を外の明かりで見える所へ出して販売されており、要望のあったものを店員さんが懐中電灯で探しに行くなど、大混乱となっていた。
発電機の能力や燃料にも限界があるので昼間はセーブのため停止し、夕方から早めの食事と電気がないと動かない灯油ボイラを使っての入浴のため再度時間を決めて稼働した。この間、冷蔵庫も冷凍品が溶ける可能性があり、通電して対応されていたが、気温が比較的涼しいこともあり間欠でもなんとか持ちこたえていた。
食事はなんとか暗くなる前に済ませ、夜はローソクや懐中電灯の光で過ごす事になった。
<当日の夜(2018-9-6)>
窓からもれるローソクの光の先に、銀河が美しく流れていた。
(2)地震発生翌日(2018-9-7)
朝起きた時はまだ停電のまま。明るくなってから食事を準備し、行動開始。
オーナーから、電気が止まったので、温室のサイドの覆いを自動開閉させる装置が運転できずハウス内の温度も上がってくるので、作物の痛みが心配との事をお聞きする。
この日の作業も屋外であり、日中は停電の影響なし。
このあと時間は不明であるが、この勇知地区にある携帯電話の中継所やテレビの中継所の電源バッテリを使い切ったためか、携帯電話が繋がらなくなり、テレビ番組は見れず、情報源がまったく断たれてしまった。
当然、停電になった時から固定電話、ファックスは通じず、この携帯不通で、ファームインに宿泊される方との連絡が途絶え、予約確認やキャンセルがまるで出来ず、オーナーの奥さんが、稚内近くの携帯が通じる所まで車で行かれ、メール処理等をされたとの事。ほんとうの陸の孤島になってしまった。
しかし、ファーム内はまだ自家発を間欠でも動かせたので、必要最小限の生活はできたが、何も設備のないお宅は真っ暗でじっとしているしかなかったとの事で、冬だったら最悪の事態のなっていたかもしれない。
(勇知地区は給水設備に自家発があり,断水を免れた事は幸いであった。)
夜も昨夜と同様に早めの食事、自家発での灯油ボイラ運転で入浴ができたので助かった。
(3)地震発生3日目(2018-9-8)
朝早く起きるとスタンドの電気がついていた。どうも昨夜のうちに停電は解消した模様である。
テレビのブースターへの電源など発電機からのケーブルを外して切り替えテレビをつけた所、放映されていたが、震災の被害の深刻さはますます深くなっていた。
<電気が来なくて困った事>
①外部情報の入手 → 携帯、テレビ電波も届かなくなる。
②ガソリン等の給油→ ポンプ等自家発以外での給油方法
③照明 → 暗黒での移動は不可能(農場では)
さらには
冬場だと、暖房が停止
灯油タンクからの燃料停止 ⇒ 死活問題