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東武佐野線沿線CITY-GUIDE 〔カテゴリーからお入り下さい〕

こならの森176号

2008-06-13 | 101号~200号
       ■こならの森176号■2002.12発行
表紙 「三毳と霜 」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森1月号■

結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
「風力発電を見に行く」…………8
JCジャーナル……………………12
風の独り言……………………………16
書評/絵本紹介………………………17
三鴨の窓辺から………………………18
各市文化会館情報……………………20
インフォメーション…………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

自然エネルギー
風力発電を見に行く

 風力発電は現在発電量万キロワット。全国に210基ほどある。一基あたりの発電量は300キロワットから800キロワット。風力発電にはコストがかかりすぎると、国があまり見向きもしなかったものが、民間の努力で浸透してきたという経過があるそうだ。
日本の総発電量に対するパーセントは0.2パーセント。2010年までには、300万キロワット(当初は万キロワットだった)に。EUでは、6パーセントを自然エネルギーでまかなっているという。
 全長~メートル、羽の長さまで入れると100メートル近くになる。こうした巨大建築物が何基も建ったら自然景観は一転してしまうだろう。都会のお台場とか夢の島とかいう人工地ならば、巨大な橋のような人工物や東京タワーのようにライトアップして新しい名所ともなるだろうが、豊かな自然のところにマッチするものなのか? オランダにあるような木造の物ならば、いいのかもしれないが。
また自然エネルギーを唱うのだから、建築物もリサイクルできるもので出来ていなければ、意味はあまりないようにも思える。
 下からのぞくと、本当にすごい。このくらい大きくないと出力が出ないのだろう。また高いところの方が風も強いと言うことだ。回り方は非常にゆっくりに見える。風切り音も想像しているよりも少ない。「ビュン、ビュン」とか「ビューン、ビューーン」とかではなく、「シュッル、シュッル」か「シュルッ、シュル」といったくらい。振動も感じない。
 自然の中で突然現れると驚かされる存在だ。


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こならの森175号

2008-06-12 | 101号~200号
       ■こならの森175号■2002.11発行
表紙 「 両毛線線路と、岩舟山」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森12月号■

結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
JCジャーナル……………………8
ドライブガイド「長瀞」……………10
風の独り言……………………………16
書評/絵本紹介………………………17
三鴨の窓辺から………………………18
各市文化会館情報……………………20
インフォメーション…………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

何でも探偵団
読者からの質問に答える

「高速道路編」

「これが本当の天下り?」

読者 いつも、仕事で関越道を利用しているのですが、東松山から川越にむかう途中に写真のようなおおいがあるのですがいったいなんですか。
        (久保町Hさん)

編集長 そんなこと道路公団にでも聞けばいいじゃないですか。
てこちゃん(編集部員) そんなこと言わないで調べてあげてくださいよ。
編集長 調べりゃいいんだろう。それにしても、いったいなんだろう。とにかく行ってみるか。
てこちゃん 本当ですか? 
編集長 これってこの季節、ぶどうかなんかの棚じゃないのかな。それとも山芋の自生地とかアケビとか………はたまた天然記念物?
てこちゃん どこにもそんなのなっていませんよ。鉄骨で出来ているし、光を遮っていないところを見ると、何らかのガードであることは間違いないですね。高速道路だから、車の走行に支障がないように出来ていますね。すぐ近くに電車が走っていたが、それと何らかの関係があるんじゃないかな。走行する電車からものを投げこまれるとか、何か降ってくるとか?

編集長 よくわからん。秩父からの線だったりすると、風に乗って積み荷の石灰かなんかが飛んでくるとか。
てこちゃん だったら、完全な屋根が着いていますよ。豪雪地帯でもないし。

―地図を見てみると、東武線が走っている。だがその地図をよく見てみると、答えが分かった。どうやら辺り一帯は、ゴルフ場であるらしい。道路の方が後から出来たのだろう、しかたなく玉よけの覆いを付けたようだ。それにしても大がかりな作りですね。(詳しいことが知りたい人は、本当にJHに聞いてください)。
てこちゃん さっそく答えを教えてあげましたよ。
 なんどか走行はしているけれど、まだ一度も空からボールが降ってきたことはないそうです。
「利根川編」
読者から 多摩川のたまちゃんは有名ですが、友人からの情報では、利根川を渡った時に「たま(とね)ちゃん」らしきものを見たというのです。もちろん本当ですよ。一瞬だったので、確認は出来なかったそうですが、こならの森でそういった企画があると聞きましたので、連絡しました。(富岡町の佐藤さん)
てこちゃん ………いったいどうしたらいいんですか。
編集長 それを確認する、確かめるのが今回の企画でしょ。
てこちゃん  全くその通りですね。
 しかし「身内」からの企画にしては大変な様相ですね。
編集長 初回だからしょうがないのじゃないですか。

―ともかくこならの森編集委員は利根川に急行する。
 たまちゃん2号がいるかどうかはしりませんが、いるとしたら少なくても多摩川なんて汚い川より、もっと綺麗な川にたどり着くんじゃないの、例えば渡良瀬川とまではいわなくても、利根川なんて多摩川なんかよりも北寄りで、迷い込みそうじゃない。そして、利根川に迷い込んだのだら渡良瀬川にだって来てくれるはず、そしたら秋山川にだって迷い込んで(サケじゃないんだから)「アッシー(どっかで聞いた名前だな)」とか、いわれたらどうしよう………本気かよ。でも人生ひょうたんから駒だし………そんなことを話しながら橋を渡ると確かに、川面にそれらしき姿が、すぐにクルマをとめて取材開始。
 「・だ・が・!・」
てこちゃん これじゃあ本当にテレビとかの世界じゃないのですか…………

 ともかく写真をご覧頂きたい。
てこちゃん これって「たまちゃん」じゃなくて、「タマ」そのものじゃないのですか。

 そこで依頼者の佐藤さんに聞いてみると、意外な事実が………。

佐藤 何を見ているんですか、写真では全体が写っていませんが、波のその先にある姿(写真参照)それを見れば分かってくれると思いますよ。

 そこで、編集室は、その画像を拡大してみた。するとそこにあらわれた恐るべき実体とは!(またですか、たまじゃなくて)
 たまちゃんかあるいは、まったくいままで認識されなかった新生物か(Xファイルか)。早くも編集部では、ネッシー以来の「とねぴー」だと、想像をふくらませている。

(さすがは、徳川埋蔵金などといってさんざん読者を引っ張った編集部だけのことはある)。
 でも、あの企画の続編を期待しているのは、佐藤さんの友人ですよ。
 そうだったっけ?

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こならの森174号

2008-06-11 | 101号~200号
       ■こならの森174号■2002.10発行
表紙 「 いちょうと道路標識」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森11月号■


結婚しました。……………………4
青春レストラン……………………5
スローフード………………………6
JCジャーナル……………………8
美術館案内・館林美術館……………10
風の独り言……………………………16
書評/絵本紹介………………………17
三鴨の窓辺から………………………18
各市文化会館情報……………………20
インフォメーション…………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

どこか懐かしい
スローフード

「ふるさとの味おふくろの味」
 スローフードの企画を考えていたときに、思いあたったのが「ふるさとの味おふくろの味」という本だった。同書を知ったきっかけは、知人の母親からいただいたコンニャク芋が大きく成長して、いよいよ手作りコンニャク造りに挑戦というときに、この本も貸して頂いだ。コンニャクの他にもいろいろと手作り食品や漬け物などの加工食品の作り方が載せてあって興味津々、いつしか愛読書になったしまった。
 そして幾つかのレシピをこならの森でも紹介したいと、発行元の栃木県農業者懇談合に問い合わせてみたら、こころよく承諾していただいた。
 肉食・肉料理が献立の中心の今、同本は昔ながらの野菜中心のレシピが多数紹介されている。試みに、数ある今の料理本のレシピの中から、肉魚類を全く使っていない料理を探してもらいたいと思う。「ほんだし」はもちろん、コンソメの素、肉類を使用したと思われる類のソース、だし入り味噌、など厳しく使用をチェックしていったら、全てが消えてしまうに違いない。それほど、肉中心の食生活になってしまっている。テレビでは野菜だけの料理を精進(料理)とまでいって一括りにしているほどだ。
 同本には、しもつかれや昔懐かしいタンサン饅頭から唐沢山の松茸料理なども掲載している。残念ながら、現在は発売されていない(それに代わって「新しい味とちぎ」(1050円)という本は発売されているということだ)。しかも、聞き取りや執筆協力者により実際に日頃から作っている料理を紹介している。また郷土料理12ヶ月や日光輪王寺などの特別料理、民俗学からみたふるさとの食制など、貴重な資料も網羅している。
 誰でも知っている料理から、聞いたこともない名前まで目次を見ているだけでも楽しい。全部は紹介できないが、幾つか紹介したい。
 まず変わったところでは、ニラの花の酢のもの/つくしのから煮/つくしのピクルス/ズイキ(ヤツガシラのイモガラ)の保存食。名前で聞き慣れないもの(編者だけなのかもしれないが)に、「おつぼ(法事料理)」/「おこと汁(お講汁)」/「にごり」/ざくもり(お祭り料理)
■タンサンまんじゅうだけじゃない。
 手作りまんじゅうも、きんとんまんじゅう/ヤマイモまんじゅう//地粉の工夫まんじゅう/みそ入りまんじゅう/牛乳入り小麦まんじゅう/酒まんじゅう/小麦まんじゅう/田舎まんじゅう/小麦(白色・褐色)まんじゅう/むしまんじゅうなど多数。
■残りごはんを利用
 またやりくり主(夫)婦にうれしい、残りごはんのお菓子/冷やごはんの衣揚げ。

■今回はその中から2点ほど紹介いたします。

 「おつぼ」
 法事料理の一つです。作り方は簡単で、インゲン、サトイモなどの材料が片栗のトロミで、口当たりがなめらかになり美味しく、普段のおそう菜にもなります。
 なおつめたくなるほど美味しいので、秋の農繁期の保存食の一つにしております。
1 白インゲンは水洗いし、指でつぶれ る程度にやわらかく煮ておく。
2 サトイモ、ニンジン、ゴボウ、こんにゃくを全部さいの目に切る。
3 鍋に、1、2、の材料を全部入れ、ひたひたの水、調味料を入れて、火にかける。
4 野菜がやわらかく煮えたら、ゆるく水溶きした片粟粉を入れてトロミをつける。
      (小川町 川上さん)

■材  料
白インゲン…2合
サトイモ……5個
ニンジン……小1本
ゴボウ………小1本
こんにゃく…1丁
■調味料
しょうゆ…大さじ4
砂 糖……大さじ2
片栗粉……大さじ2


「おこと汁」
 祖母が何かことある日にこしらえて、おこと汁といっていたので、私は何となくおこと汁と思っていましたが、あとになってお講汁、また、いとこ汁などと、いう似たような料理の記事を読んだことがあります。本当の名はしりません。
1 小豆は洗って一晩水につけ、翌日大鍋に水をたっぷり入れてことこと煮る。
2 ダイコンはいちょう切り、ニンジンは太ければ二つに割って、細ければそのままの薄い輪切り、サトイモも輪切り(野菜全部をけんちん汁の時のよううに切ればよい)。
3 ゴボウは斜めうす切りにして、水に放ちあくを抜き油揚げ、熱湯をかけて油抜きにしてから短冊切り、こんにゃくは油揚げくらいに切ってさっとゆでる。
4 小豆が八分通り煮えたところに、野菜を入れて煮る。野菜が煮えるころは小豆もつぶれるくらい柔らかくなっているから、油湯げ、こんにゃくを入れて、塩、しょうゆで味付けし、温かいところをいただく。(もし途中水が少くなったら適当に水をさしてよい。味加減はおすましより濃いめがよい)。
     (宇都宮市 加藤さん)


■材  料
小 豆………カップ1
ダイコン
ニンジン  
サトイモ………取り合わせ500gぐらい  
ゴボウ
油揚げ………1~2枚
こんにゃく……1/2
塩、しょうゆ…適宜

 最近、おにぎり屋さんが流行っているとかいう新聞記事を目にした。和風ファーストフードというふれこみだった。確かにそういえないこともない。しかし一つ一つ手作り(手握り)にこだわっているという。そして、ひとつ作るごとに手を洗うという気の入れよう。とても「ファースト」とは言えないのに、値段はコンビニのおにぎりと変わらない。おにぎりはいいけれど、コンビニ食はどうもという人にはうれしいのかもしれない。この辺はひどく曖昧だ。そもそも「おにぎり」とは和食なのか、ファーストフードなのか、奥は深そうである。
 駅弁のはしりは「おにぎり」だったが、駅弁はファーストフードといえるのかどうか。それともおにぎりだから和風ファーストフードなのか。そしてまた、「おにぎり屋さん」も一時の流行で終わってしまうのか、それはわからない。

 スローフードというと、これからの進歩的なある種の食生活だと思ってしまうが、翻って考えれば、伝統的な食生活の見直し、もっとかび臭い言葉でいえば温故知新ではないだろうか。スローフードのそれらしい日本語訳はまだないが、あえて四文字熟語を選べば「温故知新」となろう。

■スローフード(slowfood)とは、
 ファーストフードの対語としてイタリアで生まれた言葉と言う。
ある新聞によれば「食事くらいゆっくり食べよう」と載っていた。また、
日本スローフード協会のホームページでは、
「1 消えてゆく恐れのある伝統的な食材や料理、質のよい食品、ワイン(酒)を守る。
2 質のよい素材を提供する小生産者を守る。
3 子供たちを含め、消費者に味の教育を進める。
 イタリアのブラ(BRA)という片田舎からスタートしたN.P.O.(Non-Profit Operation)運動です。」とある。


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こならの森173号

2008-06-10 | 101号~200号
       ■こならの森173号■2002.9発行
表紙 「 三毳山、畑」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森10月号■


結婚しました。…………………………4
ヤンバルのー子の青春レストラン……5
シリーズ道の駅「めぬま」……………6
「合併問題」…………………………… 10
JCジャーナル…………………………14
風の独り言………………………………16
書評/絵本紹介…………………………17
新釈・現代国語辞典……………………18
新・エッセイ 三鴨の窓辺から………19
各市文化会館情報………………………20
インフォメーション……………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

ヤンバル帝国化計画 -29-
箱ブランコ
 
 毎度おなじみヤンバル帝国化計画です。毎朝必ず引っかかる信号近くの神社に懐かしい箱ブランコがあります。地面との隙間に挟まれるなど事故の危険性が最近指摘され、子供たちもより付かず、今やすっかり遺物化していますが、構造、材質を問題視して製造や放置責任ばかりやり玉に上がり、保護者を含めた遊ぶ側のモラル、身体力などの変化についてはあまり議論されません。ことなかれと排除するだけで充分ですか? ちなみにウチのお子どもは、立ち乗りでビュンビュン飛ばし、こっちが見かねて止めに入るほどですが、箱ブラをけしてバカにせず、いつも真剣そのもの(まるでデューク東郷)です。公園からすべての遊具が消えて無くなる日もそう遠くないことでしょう、エエきっと。(遊具に絶対安全はありません)

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こならの森172号

2008-06-09 | 101号~200号
       ■こならの森172号■2002.8発行
表紙 「 編集室前の木」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森9月号■
結婚しました。…………………………4
ヤンバルのー子の青春レストラン……5
行財政改革………………………………6
JCジャーナル…………………………14
風の独り言………………………………16
書評/絵本紹介…………………………17
新釈・現代国語辞典……………………18
新・エッセイ 三鴨の窓辺から………19
各市文化会館情報………………………20
インフォメーション……………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

マッタナシ!
行財政改革キックオフ宣言
(佐野市文化会館において行われた、講演会より採録、編集しました。)
       文責・こならの森

行財政改革

 市長の施政方針演説には三つの明確なことが謳われております。一つは「市民みんなに分かりやすい施政をやりたい」。これは基本的なことであり施政運営の原則です。二番目に、「みんなで考えみんなで参加するまちづくりをおこないたい」。清掃の施設一つを造るときにも、絶対に住民参画なしには出来ない。住民参画の最大のメリットは住民が自分たちの地域のことに気がつき、自分たちで地域の問題を解決しようとしていく気力と力と知恵を発揮できるようになることです。これが住民参画のもっとも大きな意味です。
 みなさん方が改革をおやりにならなければ、佐野はどこからも見放されますし、合併が進もうとしていますけれどもその気力がない人たちが合併したって合併後にいい自治体が生まれるなんていうことはない。
 私が聞いたところでは最初に100人公募したら(新清掃センター建設百人委員会)206人のお手が挙がったそうです。これが可能性じゃないですか。今まで役所のみなさんはそういうことをお考えになったことがありますか。市民の力を引き出す以外に、まちづくりや地域づくりが出来ることはありません。住民参画では必ず住民が学び、自分たちでどういう施策をどういうふうにすればいいかということに気がつき、自分たちで担っていかれるようになる。そうすると必ず、そのプロセスの中で職員が鍛えられる。住民は絶対職員を見ています。
 「あの課長はちゃんと評定して、ものがいえる人。この課長は、ほとんど何もしなかった人」。見抜かれているんですよ。したがって住民参画は双方にとってプラスになります。
 三点目は、「変化に強く時代に挑戦する気概を持った行政をつくっていきたい」。したがって職員を見いだしていきたい。どこの自治体でも取り組まなければいけない主の課題になっております。
 まず最初にイヤミから…今の時代は変わることが大事、変化することが大事です。時代と社会が大きく変わろうとするときに自分が変われるかどうか。これが一番難しい。
 自分の周辺が変わらなければいけないのに、気がつかない人、この人には危機はまいりません。鈍感な人は感じません。このタイプの職員はお話になりません。この人たちは、給料はもらっているが何事もしていない。出来れば、辞めてもらおうと思いますが、充分守られていますからなりません。しかし、自分は変われると思っていながらも変わらない人がいる。 

「今のようなぬるま湯の状態が
一番自分にとっていいと思っている」

 第一番目は怠け者。面倒くさい、いろんな事をやるのは大変だ。今のままでいいと怠惰です。二番目に変わるということに不安感がある人。自信がない人はどうしても不安に駆られますので、自分を変えようとはしません。
 三番目、これが一番悪いんですが、今のようなぬるま湯の状態が一番自分にとっていいと思っている人。こういう人を保身者というんです。地域の将来よりも、自分の身がかわいい。こういう人は自分で自分のことを変えていくことが出来ません。
 このタイプの職員に対し、自治体にとっての最大の方針は人事です。変わらなければいけないのに変わることをしない職員は、ぜひとも自治体職員を辞めてもらいたい。辞めた後の補充はいとも簡単です。すぐ民間から再採用することが可能です。
 ある自治体で十年とか十五年勤めてしまうと民間にいってもほとんど務まりません。民間で十年、十五年やっていた人物であれば、今の自治体へ行ったら必ず務まります。ぬるま湯にいた職員など民間では引き取りません。この落差こそ、自治体の中の最大の問題だと私は思います。
 地域にとって自治体というのは労働機会を与えている最大の雇用主なんですね。したがって、役場こそ人材を育てるべきです。場合によっては、民間でどうしても人材が欲しいときには、「あの人が欲しい、申し訳ないけれど役場から話してもらえないだろうか」と言われるようにすべきでしょう。民間がほとんど引き取らない人間をそのまま置いていてどうするんですか。

『職員が今以上の仕事を
 したくないと思っている』

 この議論をすると、ストレートに人事管理システムを改革することになります。一番仕事を怠けていたのは、総務部総務課人事担当職員だと思っています。事態を悪化させたこの人たちが意識を改革して、本当に職員を大事にするシステムの改革をやらないかぎり、内からの変化は絶対に起こりません。したがて起こさないようなタイプが総務課にいたら総入れ替えすべきです。
 私は6年間、地方分権推進委員会で分権改革のお手伝いをしました。その成果が、475本の法律の改正に実りました。その時にしみじみ感じたことがある。分権改革に対してブレーキになったのは、市町村の職員が今以上の仕事をしたくないと思っていることです。
 分権改革最大の焦点はその一括法が実施されたあとです。現在では市町村でも都道府県でも国の事務は一切やっていない。今までは国の機関として仕事をさせられ、通達でがんじがらめになっていた。明治21年以来100年を越えてこの体制の中にあった。今回この体制の中から脱却することが出来た。全ての事務は地方公共団体の事務を担っている。その意識で、自分の仕事の運び方、内容についてきちっとものを見ている人間が出てこないかぎり、今回の分権改革の成果は、現場において実効性を発揮することはない。
 今回の分権改革が、明治以来の原理的な転換にどれほどなったかについてほとんど意を持ち得ない管理職がどれくらい多いか。せつないほどであります。自分たちに関わる大きな改革が来たときに、だれよりも自分の問題としてこれに率先して取り組み、職場を改革していこう。というふうに考えないような人たちに、自治が担えるはずがない。
 もともと潜在的にその能力をお持ちになっていながら、気がつかない。能力を引き出す努力をしないまま人生を終わっていくのはせつないではないですか。
 人は、持っている能力の半分以上も発揮しないまま死んでいくんでしょう。ちょっとした自覚です。そのことに気がついたときに、実は今まで無かった自分のあり方が見えてくるはずなんです。
 職場論の集約的な言い方は次のような文言なんです。これは若い職員でも、まもなく定年間近の職員でも同じ事です。自己形成をやり続けることが、何よりも大事なんです。日本の自治体、市町村の最大の弱点は、この自己形成の営みを大部分の人たちが管理職になると止めてしまうことです。日本の昇進制度というのは一度ある時期に管理職になってしまうとずっと管理職なんです。
 職員の皆さんがご自分のことをどう考えるかは大事ですが、全体として職場や管理の体制そのもの、人事の方針、管理システムの改革。その問題が必ずあると見ています。一人だけで頑張っても難しいんです。

(後略)

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こならの森171号

2008-06-08 | 101号~200号
       ■こならの森171号■2002.7発行
表紙 「 あじさいの花」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森8月号■

結婚しました。…………………………4
ヤンバルのー子の青春レストラン……5
ドライブガイド「大滝村・栃本 」 …6
JCジャーナル…………………………14
風の独り言………………………………16
書評/絵本紹介…………………………17
新釈・現代国語辞典……………………18
新・エッセイ 三鴨の窓辺から………19
各市文化会館情報………………………20
インフォメーション……………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

風の独り言
極東ロシア紀行

 ロシアの旅も2日目をむかえ、今日は大型ヘリコプターに乗ってシベリアの少数民族ナナイ族の村を訪問することとアムール河のクルーズが予定されている。
 朝食後バスに乗り近郊の小型機専用飛行場に向かう。わずかに1時間のフライトだが不思議なことにパスポートのチェックがある。そして上空からの写真撮影は禁止だそうだ。ロシアは変な国だ。乗せられたヘリコプターは思った通りかなりの中古機で、15人乗りの座席の脇に大型のドラムカンが据えられている。予備の燃料を入れるらしい。まさしくこのヘリは少し前までは軍用ヘリではなかったか。本当に飛んでくれるのか、心配になった。それでも、ツンドラの大地と悠久のアムール河を眼下に500mの上空を飛行する。
 しかし、ナナイ族の村に着いても着陸地点が見当たらない。どこに降りるのかと思っていたら、なんとアムール河の川岸で泥の部分がちょっと出ている所に2、3度やり直した後、降りた。日本では考えられないアクロバットだ。機外に降りて見たら後輪はめり込み、後部は水の上に出ていた。
 少数民族ナナイ族の村は予想に反し、小博物館になっており民族資料館、昔の跡と言ったほうが正しい。つまり生活の匂いがしない。少数民族も永い時間の流れとともにロシアに同化して、昔のまんまの生活をしている人はいないらしい。
 今回はヘリコプターに乗れたが、ロシアではお金を出せば何にでも乗せてくれるらしい。先日も20億円出してロシアのロケットに乗り宇宙旅行をしてきた人が話題になった。インツーリストのガイドに聞いてみた。
「今度来た時はジェット戦闘機に乗りたい。」
「手配してみる。」
ロシアは本当に変な国だ。
 その又翌日、ハバロフスクのごく普通のご家庭を訪問した。家庭料理をご馳走になり、1時間ほど話をさせて頂いた。名前はクジノフさん。奥さんと二人。64才。年金暮らし。子供さん一家はウラジオストックに住んでいるという。年金は月に米ドルで40$(5200円)10階建てアパートの5階に住み、部屋代は5000円だそうだ。アルバイトをしないと生活が出来ないと言う。この家庭訪問ツァーもアルバイトらしい。いろいろ話をしたが最後に北方領土の返還問題について聞いてみた。
「クリル諸島は元来日本の領土と思うがロシア人は返還する考えはないですか。」
「いや、クリル諸島はロシアの領土だ。日本に返すことは将来にわたってないだろう。」
「なぜですか。」
「本来領土とは戦争によってのみ変わるものだ。だから今はロシアの領土だ。」
一瞬自分の顔がこわばるのを感じた。
「話合いによって返還する気はないのか。」
「ないだろう。」
「それでは又、戦争をしなければいけない事になる。」
「……。」
 ヨーロッパの永い歴史の中で獲った獲られたの戦争の明け暮れを経験した民族の考え方なのだろう。
「極東ロシアの人々にとって、クリル諸島は日本に返還された方が幸せだろう。なぜなら日本人全員がロシアに感謝する。ロシア人に対する考え方を変え、日本の資本が大量にロシアに流れ、皆さんの生活が今よりはるかに楽になるでしょう。」
「領土とはそんなに簡単なものではないでしょう。」
 帰り際に握手をすべくさし出した手が形式的で力を感じられなかった。
 改めて問題の難しさを思い知らされた。
      次回は「サハリン、タラナイ川の魚釣り。」


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こならの森170号

2008-06-07 | 101号~200号
       ■こならの森170号■2002.6発行
表紙 「ナスの花 」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森7月号■

結婚しました。…………………………4
ヤンバルのー子の青春レストラン……5
特集「最新ブライダル事情」 …………6
ドライブガイド「小鹿野」 …………10
JCジャーナル…………………………14
風の独り言………………………………16
書評/絵本紹介…………………………17
新釈・現代国語辞典……………………18
新・エッセイ 三鴨の窓辺から………19
各市文化会館情報………………………20
インフォメーション……………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

秩父ミューズパーク

■アミューズメント
 秩父(ア)ミューズパークという名前なので、アミューズメント(娯楽)から、遊戯施設とばっかり思っていたが、ミューズには、ミュージアム(博物館)の意味もあるというのだ。それにしても地形を活かした造りは東松山の森林公園ではないにしろおもしろいものだ。
 ローラー滑り台の近くで、同じような鳥の鳴き声が規則的に聞こえてきたような気がする、本物が規則的な大サービスを連続しておこなっているのか、まったく本物に近い機械音なのか判別できなかった。
 やはりここは、朝から晩まで一日ゆっくりという日程で腰を落ち着けてのんびり散策と、自転車による周回を楽しむのがベストなのかも知れない。秩父方面での、一泊というのは佐野地区の環境ではあまり有効でもないが。
 4時間500円のレンタサイクルを借りて、あたりを散策する。なだらかな勾配のサイクリングロードは、見かけの勾配差に比べて穏やかなペダリング。あっという間に周回できるから不思議だ。飽きさせない回りの景観も一役かっているに違いない。とにかく広い、それがもっともらしい回答かもしれない。2、3時間の滞在だけを考えたら本当に楽しめないだろう。ミュージアムというくらいなのだから、もっと博物館的な施設が欲しいところだが、それも無理からぬところか。
 古代ローマを思わせるレリーフが所狭しと点在する。又、前衛的な卵形のモチーフのスタジアムが目を見張る。博物館的造りの建物など「気分は最高」。実際にもっと滞在したいと思わせるほど奥は深い内容だ。一日がかりの日程になることは必至だ。神殿を思わせる施設では、昼食もOK。
広大な施設をうまく利用するには巡回バスや自力による自転車が有効だろう。広い空間に、お弁当を広げられる場所がたくさんあり、ファミリーでくつろげる場が豊富な点が高得点の理由。もちろん、入園無料。


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こならの森169号

2008-06-06 | 101号~200号
       ■こならの森169号■2002.5発行
表紙 「 道の駅田沼」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森6月号■



結婚しました。…………………………4
ヤンバルのー子の青春レストラン……5
特集「道の駅」 …………………………6
JCジャーナル…………………………14
風の独り言………………………………16
書評/絵本紹介…………………………17
新釈・現代国語辞典……………………18
新・エッセイ 三鴨の窓辺から………19
各市文化会館情報………………………20
インフォメーション……………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
 イベント情報/協賛店マップ

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【本文抜粋記事】

県内の「道の駅」を行く

 これからの行楽シーズンに何かと便利なのが道の駅、ネーミングからしてユニークなものだ。その形態は、多方面にわたる。「Pキャン」なる言葉ができるほど(道の駅のパーキングなどを使って車中泊キャンプが可能なのだ。一晩中車の出入りがあって眠っていられないという難もあるそうだが………)。
 そればかりか、地域の情報や物産、知る人ぞ知る本物の名物、手打ちソバなど、本当にその土地でしかお目にかかれない、名物・名産品にお目にかかれるのだ。この辺も、市場というかごったにというか、地域密着というかよく訳が分からないが、親しみがもてるゆえんでもある。そういうことで急速に増殖中なのがこの施設である。道の駅を巡るスタンプラリーなど、イベントも盛りだくさんだ。そういうわけでこならの森も遅らせながら、この道の駅を特集してみたい。
 また、各駅では趣向をこらしたイベントを各自企画しており、それを楽しみに訪れるだけでも、おもしろさを味わえるのかも知れない。
 また、なぜ今まで無かったのだろうかと思うほど便利で、有効だし、使いかってが広がる施設でもある。

 道の駅と言っても最初は、あまり意識していなかったのだが、偶然に立ち寄った道の駅が、とても素晴らしかった事もあって興味がわいた。特にトイレが素晴らしかったのが、道の駅「みわ」だった。トイレの壁面一杯に星座が書いてあるのだ、なんでも、星がよく見える場所ということで有名なのだとか、元TBSアナウンサーで、宇宙飛行士の秋山さんの、写真も展示してあった。これは、まさしくイベントホールに他ならないと思えた。
 全くこった作りであるのだ、やればできる、やる気さえあらば何でもできるという、ことを実践してくれたものだとも言えないことはない。ただ地域の細かな情報が乏しいので何とも言えな所ではあるのだが………。
 各、道の駅毎にデザインであるとか、装飾などが違っていて趣向をこらし地域性が出るなど、特色は様々だ。しかし「駅」とはいえ内情は、たんなるドライブインだったり、停留場であったり、本来の意味での駅とはちとかけ離れているとも言えなくはない。ドラマがないのだ、つまり物語性に欠けてしまっている。それは駅にレトロな感覚しか、持ち合わせていないからか。しかしその反面、ぽっぽやなどの映画や、小説が、隆盛する事を考えると、駅に人々が抱く感覚はまんざらもないと思えるのである。

■道の駅、たぬま
 現在の田沼は、歴史的に見てもその昔「佐野」であったと言われるほどで、この地区(今の安佐)の中心であり、へそであってもなんらの損傷もないと思う。そればかりか、日本の中心であるということを考えると、いろいろな意味で考え方が変わってくる。これは、やがで全国の中心として発展していくのではないかとか、文字通り、へそになるのではないか。
 首都機能移転などをかんがえると、へそ(中心)がこの地区を軸にして発展していくのではないかという予想をしても、必ずしも大げさでなくなっている。
 そうした、どまんなかたぬまを出発点として、近辺の道の駅を紹介してみたい。
 ガイドブックを見ても、どこも訪れたい、入ってみたくなる施設ばかり。

■道の駅さかい
 しゃれた外観、利根川の水運で栄えた頃の蔵をイメージした外観が印象的だ。簡単な軽食がとれる食堂もある。ちょっとした庭園が趣を出している。他は、一般の道の駅とかわらない。

■童謡の里おおとね
 施設は、食堂、物産展示直売所、加工品研究所、別棟に休憩所などがある。
 入り口にすっと立つ銅像は、下總皖一。「たなばたさま」、「かくれんぼ」などの童謡で有名な音楽家。
 また、同所は農産物直売所の役名も果たしている。野菊まんじゅうや小松菜まんじゅうがおいしそう。

■東山道伊王野
 訪れたときは、手打ちソバのコーナーが行楽シーズン中ということもあって大行列。手作りの物産品など、おみやげものがたくさんある。またシンボルともいえる巨大な水車の水しぶきが、きた人の目を楽しませてくれる。観光地にあるだけあって、施設そのものは充実している。ちょっとしたイベント会場のごときである。


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こならの森168号

2008-06-05 | 101号~200号

       ■こならの森168号■2002.4発行
表紙 「行田市他 」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森5月号■



結婚しました。…………………………4
ヤンバルのー子の青春レストラン……5
特集「GW情報」 ………………………6
JCジャーナル…………………………16
風の独り言………………………………18
書評/絵本紹介…………………………19
新釈・現代国語辞典……………………20
イベント情報……………………………21
インフォメーション……………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
各市文化会館情報………………………24
INFORMATIONその他の情報…………26
協賛店マップ……………………………28
こならの森から…………………………30
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【本文抜粋記事】

風の独り言 

日本百名山「筑波山」

 本年「山と渓谷」の3月号に「日本百名山のうち2度と登りたくない山ベスト」という特集があり、そのNO1が筑波山であった。はなはだ不本意な評価ではあるが純粋な登山をするという観点からすれば標高876mの低山である筑波山であればしかたのないことかもしれない。しかし、深田久弥がこの山を百名山に選んだ理由は歴史の古さだと言っている。万葉の昔より「雪の富士、紫の筑波」と詩歌に詠われている。特に「つきうばねのみねよりおつるみなの川、恋そつもりてふちとなりぬる」という百人一首は人によく知られる。又、信仰の山としての歴史もあり、関東平野のどこからでも良く望むことができる双耳峰の筑波山は名山にふさわしい風格がある。やはり1度は登るべき山だと思う。
 さて、佐野を出発したのが6時丁度。筑波山神社の駐車場に着いたのが7時30分。近い山は移動の疲れが出ず助かる。小雨の空模様。筑波山神社は大層立派な社殿を持つ。神域へ立入る許しと登山の安全を祈願して上り始める。休憩箇所2ヶ所あり、初めが「ツクバネ」、中間地点が「男女川」と看板あり、「男女川」は「みなのがわ」と呼ぶ。先の万葉集の歌がやっと理解できた。やはり大変情感あふれる恋の歌であった。ケーブルカーのトンネルの上を歩く頃から雨が雪にかわった。ケーブル山頂駅には9時30分着。左手の男体山に向かう。男体山頂には祠と旧測候所がある。この測候所には「強力伝」や「アラスカ物語」の著者であり、富士山頂測候所の生みの親である新田次郎が一時赴任した所と聞く。レンガ造りの明治の洋館で、今後、厳重な保存となにがしかの再利用を望まれる。次に、女体山の登る。こちらが最高峰、女性上位の山である。山頂は早、雪の世界、大粒のぼたん雪がどさどさと降り出している。帰路はつつじヶ丘方面に下る。途中に大仏岩や北斗岩、母の体内くぐりといった奇岩がつづき、弁慶七戻岩(中間点)に着く。ここで純白の雪景色を楽しみながら昼食。樹林の中を緩やかに下り神社に到着。12時30分。
青木屋というホテルで風呂を使わせてもらう。天然温泉が湧き出したそうで、「双神の湯」(ふたがみのゆ)というそうだ。熱めの湯で展望が良く気持の良い温泉であった。佐野到着、17時20分。
 総評して、近く、登りやすく、ながめ良く、お湯良く、大変良い山でした。


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こならの森167号

2008-06-04 | 101号~200号
       ■こならの森167号■2002.3発行
表紙 「三毳山と家並み 」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森4月号■


結婚しました。…………………………4
ヤンバルのー子の青春レストラン……5
特集「こならの森編集手帳」 …………6
JCジャーナル…………………………16
風の独り言………………………………18
書評/絵本紹介…………………………19
新釈・現代国語辞典……………………20
イベント情報……………………………21
インフォメーション……………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
各市文化会館情報………………………24
INFORMATIONその他の情報…………26
協賛店マップ……………………………28
こならの森から…………………………30

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【本文抜粋記事】
こならの森編集手帳

こならの森、第3世代。

 創刊当時が第1世代(1988年5月~手書き原稿&ワープロ、写植、版下)。そして十年たった1999年のパソコン・デジタル化が第2世代。次に来る、ホームページでの全世界公開が第3世代だろう。あまりにも大げさだったかな。
 あちこちからホームページはまだ、という苦情めいた話を聞く。(最近では女房にまでいわれる始末)。実は昨年の暮れにHP作成ソフトも購入しているのだ。そこで、15年目に向けてホームページ化宣言をしてしまおうというのが今回の企画の不純な動機。
       ★

 編集手帳とは書いたが私はB5のノートを愛用している。最近なった気がついたことだが、ノートよりも、メモ帳のほうが筆記しやすいということだ。業界では常識的なことなのかもしれないし、遅すぎた発見なのかもしれないが………。
 項目ごとに、ぺらぺらとめくって書いていく方が、頭の整理がしやすいような気がする。ただ、文章全体の把握は困難となる、インタビューなどでは不利な面もあるか。

読み出せない
 ファイルが続出。

 今まで発行してきた全てのこならの森がインターネット上でよみがえる。それも安佐地区だけでなく世界へ向かって。しかも、フルカラーなのだ。
 だが、当時はそんなことは想像もつかない事だったし、バックアップなどという考えすらない。出来上がった本が全てで、フロッピーに残したものが、いわばバックアップだった。
 入力した文章なんてあればいいんだろう。とりあえず残しておくか、くらいにしか考えていなかった。フロッピーは万能で屈強、なんたってケースに入っているんだから。
…まさか読み出せなくなることがあるなんて思いも寄らない。それに懲りたのか、今ではHD、MO、CDと3つバックアップを取るようにしている。(めんどッチーけど)。
 ほとんどお払い箱状態だったワープロが大活躍。ところが、フロッピーを差し込むと「このフロッピーは初期化されていませんから、呼び出せません。初期化しますか?」という表示。何度やっても同じ答え。そこで裏技でもないけれど、あきらめずにワープロさんの機嫌がいい日にもう一度そーっと、挿入してみると、10回に1回くらいは、ご機嫌を直してくれ表示がでることもある。

 それから当時は便利だった簡易DTP機能が今になって仇となってしまった。
 フロッピーの中には、日付や項目をつけて分類した文字だけのものと、それを流し込んで編集したファイルの二つが残っているが、校正をするのはDTP機能を使って紙面構成をした後、プリントアウトしたものだ。つまり、校正された正規の原稿は、その機種でしか読み出せない。生テキストは未校正のままなのだ。
しかたなく校正されたDTP機能上の文章をテキスト化することに。しかし、これが大変な作業。直接テキストだけを別のフロッピーに、コピー出来ないのだ。
たくさんの枠の中に細かく入れられた文章を一つひとつ枠を壊して、全体の文章にまとめていく。初めっから打った方が早くないか(ナイナイ)。
 そしてもっとやっかいなのは、初期のワープロは、フロッピーが2DDしか使えないことだ。そして真空管で動いているんじゃないかとさえ思うほど動作が遅い。
 MOの時代に、フロッピー。それも2DDときたから大変だ。お店に行っても2DDなんて今の時代売っていない。手元にある数枚のフロッピーが貴重品となってしまった。
 それから、メーカーの違うワープロで文章を作っていた時もあった。これは、DOSに変換してあったので助かったが、特殊な方法で、文字を割り付けしているために、またワープロに戻って、元に戻すという気の遠くなる作業の連続。文書量は全体の5分の1程度なのに、時間は2倍もかかってしまった。
 これは本来やら無くても良いことではないのか。でも、デジタル化は必須だし……。地味な作業の連続に、不安が頭をよぎる。
 オイオイ、本当にホームページが出来るのかよ。
 
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こならの森166号

2008-06-03 | 101号~200号
       ■こならの森166号■2002.2発行
表紙 「 春日森天満宮の梅」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森3月号■

■166号→


結婚しました。…………………………4
ヤンバルのー子の青春レストラン……5
特集「一番近い千葉県」 ………………6
JCのコーナー…………………………16
新釈・現代国語辞典……………………18
風の独り言………………………………19
やぶいしゃのひとりごと………………20
書評/絵本紹介…………………………21
インフォメーション……………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
各市文化会館情報………………………24
INFORMATIONその他の情報…………26
協賛店マップ……………………………28
こならの森から…………………………30

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【本文抜粋記事】
一番近い千葉県へ?

■一番近い千葉

 佐野市から古河市に向かうと一度に関東の過半数の県を走破することができる。これは知られていることではあるが、(もちろん知っている方も多いかとは思うが………)こならの森ではそれだけではすまない。もう少し付け加えるだけで、千葉県まで(ゲット)、走破できるのだ。
 地図で見ると、千葉県の一部は栃木や茨城、埼玉に突き刺すように、また入り込むようになっている。知ってはいたが、こんなにも(あのディズニーランドのある)千葉が近いとは………
 その一番近い千葉にあたる町が関宿町だ。

■田中正造と
 関宿町の関係

 どことなく町の印象も昭和30年代を彷彿させるような感じがする。時間がずれ込んだような印象だ。振興の都市ではないのかもしれない。どことなく懐かしい。関東平野の水運で栄えた一時代の前の町並み。そして水運のなかで育ち、発展した地方都市の成熟と衰退を体験できると思う。
 さらに、ここ関宿町は、私たちの街と全く関係がないわけではない。田中正造の足尾鉱毒事件の影響もある場所である。鉱毒が江戸に流れ込まないように利根川の流れを変えた地点である。
 「雨は水となり山よりながれ出て、里より海に行くものなり、もし途中低きところあれは、溜りて、充ちてはまた海に行くなり。いま渡良瀬川を見る。途中低きところなく、流水早く海に行かんとす。これを途中に喰い止めたるを関宿の妨害工事という」。(「流水」と題する明治四十二年の日記より)
 ――関宿の流水妨害工事は、鉱毒水が東京に流入して、東京市民の問題となるのをふせぐため、江戸川への川口を極度にせばめ、さらに川底にも流水を防げる工事をした。更に利根川から渡良瀬川への逆流口をひろげた。関宿を開放すれは遊水池は必要がなくなるというのが正造の治水論の要であった。
 田中正造は、河川踏査と河川沿革の歴史的研究を通じて、各河川いたるところに、水理に反する施策のあとを発見した。政治がもちこんだ歪みである。そのもっとも顕著なものとして、封建体制下で徳川幕府が軍事上、および関東開発の内政的要請に導かれて、大土木事業をおこして、数個の河川を合せて板東太郎とよばれる大利根川をつくった事例がある。明治国家においても産業偏頗の政策が、治水にもちこんだ歪みがある。関宿その他の流水彷害工事が、その一事例で、鉱毒のためにせる治水といってよい。この種の歪みを取りのぞいて、河川の、ひいては天地の本来の心算にもどすことが田中正造の治水原則であった。――
 (以上、田中正造の生涯 林 竹二著より転載) 

 詳しい地図を見ていただければ分かると思うが、幾分地形的に無理があり、大雨があるとどうしても旧江戸川方面に水が流れ込むという。

(略)

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こならの森165号

2008-06-02 | 101号~200号
       ■こならの森165号■2002.1発行
表紙 「 城山に天守閣」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森2月号■

結婚しました。…………………………4
ヤンバルのー子の青春レストラン……5
JC理事長所信を語る!! ………………6
特集 出現・城山城 …………………10
風の独り言………………………………19
やぶいしゃのひとりごと………………20
書評/絵本紹介…………………………21
インフォメーション……………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
各市文化会館情報………………………24
協賛店マップ……………………………28
こならの森から…………………………30

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【本文抜粋記事】

築城400年記念
城山に天守閣が出現

 こならの森の何回か前の号で、電柱を消したらという企画をおこなったが、いろいろな方面から反響があった。だからというわけではないが、前回消したのならば今回は付け加えてみよう、というわけで、「城山に天守閣が出現」と題した文字通り(取って付けた?)企画の始まり始まり。

 実際には、その昔に天守閣再建の案があったという事だ。もちろん現実にはいたっていない。仮に再現してみるとしたらどんなものなのかと、郷土史家の京谷博次さんにアドバイスをもらった。その時偶然にも2002年は、築城400年にあたると聞いたので、企画そのものが本格化したのである。
 そして再建するとすれば、どこを参考にしたらいいのか伺ったところ、紹介されたのが、関宿城(実際には、城の形をした博物館)であった。早速、取材に向かった。(表紙の含めた合成写真は、それを元にしたものです。)

 なんといっても佐野駅と、その奥に控える城山は、佐野のシンボル的存在。観光的な価値はいかほどのものか、察しえませんが、そこに天守閣を再現できたのなら小京都佐野、城下町佐野はよりいっそう明確に出来ることでしょう。



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こならの森164号

2008-06-01 | 101号~200号
       ■こならの森164号■2001.12発行
表紙 「 唐沢山の紅葉」
C・o・n・t・e・n・t・s

■こならの森1月号■

結婚しました。…………………………4
ヤンバルのー子の青春レストラン……5
JC新旧理事長対談……………………6
特集・中心市街地活性化 ……………10
風の独り言………………………………19
やぶいしゃのひとりごと………………20
書評/絵本紹介…………………………21
インフォメーション……………………22
 [映画・CD・ビデオ・コンサートetc.]
各市文化会館情報………………………24
サッカー情報……………………………26
協賛店マップ……………………………28
こならの森から…………………………30

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【本文抜粋記事】
《佐野商工会議所まちづくり研究会・ダイジェスト》
中心市街地活性化

再生なるか! 中心街

■商工会議所専務理事
 中心市街地の衰退は、全国的な傾向であり、佐野だけのことではありませんで、なかなか思うようにいかない。ですから会議所の中でも大きな課題と考えております。やはりみなさまのお知恵を拝借したいと思います。この研究会では広く意見を出していただきたいと思っています。

●佐野市中心市街地活性 化基本計画の趣旨説明

 モータリゼーションの進展で、商環境を取り巻く状況が変化してきた。高齢化のなかで、中心部は空洞化している。
 車社会ということで、東と西に産業道路が出来ました。これはダンプ街道であり、中心市街地から車を排除するという形の施策が逆に郊外へ新店舗の出店を促すことになってしまうという結果となった。
 実際には市の中心市街地には、市役所、郵便局、銀行、お医者さんなども残っていますから暮らしやすい場所を提供できる。

●中心市街地の課題
 市街地の現状ということですが、佐野市の人口はこの十年間で4%増、ところが中心市街地の人口は20%減っている。世帯数でも18%増加しているのに対して、9%も減少している。
 人口は微増ですが、世帯数は増えているということで、核家族化が進んでいるといえる。
 佐野市の商業環境ですが、全体の年間販売数が増えているのに対して、中心市街地は減っている。この大きな減収の理由の中には、平成8年の十字屋の撤退ということも大きな要因となっている。
 観光につきまして佐野市は、日光、宇都宮に次ぎ3位となっています。これは、佐野厄よけ大師による。それから昭和63年くらいから佐野ラーメン会というものが作られました。これが全国版となり、その集客があった。
 区画整理事業内の駐車場は現在月極が多く、中心市内に来たお客さんのための駐車場はなかなかありません。そこで商店街の方のご要望であります大型バスの駐車場などの整備も進めています。
 整備区域は、北は堀米の妙顕寺前の通り、東は妙顕寺から南へ延びる道路。南は佐野市駅、西は佐野高校東側から秋山川へのびる区間です。
 基本的な考えは、区域内の歩行による回遊性、それからアクセス性の向上を考慮した商業地域化。基本的には、佐野駅、それから厄よけ大師、佐野市駅、城山公園といった南北にまたがる165ヘクタールをみている。その中の空き店舗は、8、3%、他市でも10%前後です。
 観光資源をいかした町づくりということでは北の中華街など、回遊性を持たせたものにする。そういうなかで高砂町の駐車場も利用し厄よけ大師の参拝者を中心市街地へ呼び寄せる。方向性としては回遊性の参考になるマップの作成に力を入れています。
 参拝者は物産会館や近所をのぞいてそのままお帰りになってしまう。そこでラーメン祭りを行い、来た方の回遊性を持たせようと、抽選券を渡して、「市役所でラーメンが食べられますよ」、ということもやっております。
 車社会ということでは、駐車場という問題があると思います。施策につきましては、これにこだわることなくご意見を拝聴しながら中心市街地の活性化ということを進めていこうと思います。


■司会
 本日のこの会の、印象を申し上げますとだいたいこうした会合では地元の中小商店が集まりますが、そういうことでいいますと、非常に多彩なメンバーである。
 その中でも中心部の商店街の再生ということが課題になっている。中心地と郊外ということをいうわけですがこれは別物ではない。双方に関連している。  
 雰囲気的にはもっとリラックスしてやっていきたいのですが、今日は最初ということですので私の方から話をします。
 中心市街地の機能ということでは、インターネットも商店街としては使いこなしていかなければいけない時代が間近に来ていると思えます。
 それから佐野市の東側に新都市が出来る。新都市も中心市街地の整備区域も同じ規模の面積がある。そういう新しい都市が出来る。位置関係をみますと新都市から中心部は約三キロです。私は宇都宮からきますので、私もけっこう離れているなと思ったのですが、宇都宮駅からオリオン通りまで2、5キロある。ですからそのことを商業者だったら不利と受け止めるか、チャンスと受け止めるかなのです。
 買い回り品、ファッションとかいうものは宇都宮といえどもよそへ流れている。どこかというと、おおむね東京です。宇都宮の専門的な店でも充分に注文に答えられない。これはどこの都市でもある。
 佐野市の日常品の多くは、佐野市内ですが、外部でどこへ流動するかというと買い回りファッション品も含めて圧倒的に足利です。そして東京へ行く。東武電車に乗れば、宇都宮より近い存在です。
 佐野の人口が八万四千人、そして新都市の計画人口が、三千三百人。非常に大きなマーケットがすぐ間近に出来る。
 人口の伸び率の場合に、だいたい年間で1%のびると、その地域なり都市は成長しているといわれる。1万人の人口で100人増えるとある程度の拡張を持った地域であるといえる。
 プラスだけでもマイナスだけでもない。

●佐野新都市計画について

■地域振興整備公団

 佐野市新都市計画でありますが、町谷地区は産業並びに物流地区。西浦・黒袴地区は工業地区です。一番大きいものが高萩・越名地区で100ヘクタールくらいあります。ここだけ土地区画整理事業としておこなっている。アクセスもよくて便利なところである。その中心に犬伏新町・馬門線という南北道路が平成14度末に開通する予定です。この沿道には新都市コアと名前がついています、商業集積地が平成15年度の5月に開業できるよう工事を進めています。
 佐野市の都市構造が目に見えて変わってくる。これを危機とみるかチャンスとみるか。目前に迫ってきました、こうしたプログラムを、みなさまの頭の中でイメージして、それを町中でどうしていこうかという参考にしていただきたいと思っています。

■Iさん
 質問です。
 便利さは町中の機能ではなくなってきている。そして町中特有の機能では無いという気がします。サービスとか便利さ以外の機能がもしかしたらあるかもしれない。それを活かすことが、活性化につながるのではないか。
 インフラでさえもモータリゼーションの中、衰えてきている。居住性でも、町中に店舗を持っている人も、郊外に家を持っていて、中心市街地の機能を失いつつある。インターネットもこれは逆に普及すればするほど、町中である必要はなくなる。ですからインターネットこそ町中にとっては、大変な驚異になってくるのではないか。

■Kさん
 先ほど新都市についてお話があったのですが、確かにまちなかの人を集めてその中で中心部か郊外型かといっていて、同じお金を町中でぐるぐる回している。
 交通の要衝という地理的条件で言えば、広く集めることによって、新都市の中に来た人を中心市街へ呼び込める。ということから判断しまして、アーケードとか、アウトレットモールといったものを是非とも作っていただきたい。その辺についてはどうお考えですか。

■地域振興整備公団
 いろいろ、この時点では申し上げられないのですが、可能性としてはあると思います。それを実現していくためには、もちろん行政のサイドでも、公団でも、地元でもクリアーしていかなければいけない課題があります。かつ、それが砂上の楼閣という、非常にどうなるかわからない、という部分も含んでいます。
 ただ実際アウトレットというと、かなりの集客率がある。公団としてももしそいうものが入れるのであれば、前向きに検討していきたい。

■Kさん
 入るかどうかわからないということよりも、どういったら入れるのだ、どうやったら呼べるのだということはどうですか。

■地域振興整備公団
 内部的にはやっています。公団は土地区画整理事業ということでやっていますので、皆さんに公平な形で物を申し上げられるタイミングでは申し上げたいし、その前の全段で、こうなるというという話を一部の人たちにしていくわけにはいきません。
 それが一番のキーポイントだと思います。

■Kさん
 ほかからも来なければいけないと思います。どう考えたって佐野が伸びるのはそれしかない。

■Aさん
 私は日常生活品の買い物はしないのですが。そこにすんでいる人が毎日、便利に過ごせる街というのが一番かなと思います。近所に買い物が出来る場所があるというのが魅力的だなと思っています。
 そこで中心市街地に人が住んでいないということが一番のネックかなと思います。20、30年前でしたら、私のところの大町でも三倍くらいの人口があり、近所の人を相手にしていれば別に努力しなくてもお店に人がきた。そういう中で、一生懸命、中心市街をどうしようか。観光客を呼ぼうかと考えても、固定した売り上げを確保できないという状況の中で、そういってもどうか。
 基本的なベースの部分が保証されていないということが、今の小売店の状況かと思います。

■Iさん
 町中に住まなくなってしまった理由は。

■Aさん
 一つはね、通り沿いに住んでいる人は子供が喘息とか、住環境が良くない。そういうことです。

■Kさん
 それとみんながマイホームを持ちたくなるから、郊外へ出ていく。

■Aさん
 先ほどのアウトレットだって2、3年で調子が悪くなって撤退すると町が機能しなくなる。

■Kさん
 しかし、そういう、土台がなくてはいけない。

■Aさん
 ですから中心市街の人口構造をどう考えているのか、そのデータが必要です。

■Kさん
 確かに荒井さんがいうように人口が増えればそれだけで商店街はかなりうるおう。

■Cさん
 数十年前に東京から、(佐野の)工業団地が立ち上がるというので佐野へ来たが、日が暮れるかどうかのうちにシャッターが降りて買い物ができない。こういう町の印象だった。そこで、私はこの町は滅びると思った。いわゆるカンフル剤とか特効薬はないんです。消費者の立場でいわせてもらえば、魅力ある店員さん、経営者、店舗………残念ながら佐野にはそれが少ない。そういう意味で、根本からどうして町が衰退していったのかということを、根っこから議論すれば明るい方向は見えてくると思います。

■Kさん
 魅力ある商店とはなにかということです。それがあればどこでも繁栄しているわけです。宇都宮でさえ東京へ行ってしまっている。言葉だけではだめなんです。

■Yさん
 私が、中心市街を考えると、区画整理をすれば商売がうまくできるということで、研究をしてきたが商店街は出来なかった。そして力がある人は外へ出ていって、衰退するのに拍車がかかった。基盤は出来たが商店の主な元気のいい力のある人は郊外へ行って、今でも栄えている。で、残った力のない商店だけになった。たとえば、役所の南側へ集合して店舗をつくろうとあつまったひとがいたんです。ところが、正夢になって土地を放棄して役所に売ってしまった。
 幸か不幸か中心市街地が空っぽになって月極の駐車場が多くなった。人口が増えると言うこともあるが、魅力のある商店街にしないといけない。
 例えば、千葉の団地、一挙に1万5千人という団地を造って、その時に用意した商店街はめちゃくちゃはやって、盛った。しかしそういうところがみんな駄目になった。人がいっぱいてもそれに甘んじた商売をしていた。
 デパートの地下で食料品を買って住まいまで持っていく独身者が多い。そういうふうになってくる。だから連帯感をもって業種に関わらず仲良くやっていくしかない。あそこの商店は何となく気持ちがいいね、というような商店街を作れないかなと前々から思っているんです。
 区画整理のときも同じ話をしたんです。同じ業種でも、自分のところにたまたま商品が無かったならば同業者に紹介が出来るような商店街にならないかと。
 私は銀座に靴を買いに行ったことがあるのですが、指定された商品がないとすると次から次へと紹介するんです。「うちはこういうものは強いが、こういうものはない。あちらの商店で聞いてみてください」。結局無かったのですが、十店舗以上回りました。
 同じ業種でも紹介する。そういう商品を借りたり貸したりすることがずいぶんある。そのお客さんに間に合うように持ってきてまでくれる。そういう仲のいい連携のとれた商店街だと安心して消費者がこれる。魅力あるということはまず仲良くする。そうすれば何とかなるんじゃないかな、というのんびりとした方が、魅力があるんじゃないかなと思います。

■司会
 今言ったことは大切なことで、魅力の中身というのは、商店街では大切です。町づくりというのは、集約していかなければいけない、そのためにはやはり仲良くしていかなければいけない。連帯感を持つ、無いところを補おうとする。

■Mさん
 ですから、私はある程度、力のある人たちを何とか中心市街地へ呼び寄せようと思っています。それから中心地へ来ていただけるようなことができないかと思っています。中心市街地は業種が不足しているのです。

■ Aさん
 キンカ堂とかを誘致するにはどれくらい駐車場があればいいのか、そしてお客さんをごっそり持ってこれるのか、一店舗が魅力ある店舗として、集客をするときに果たして、佐野の中心市街地にどれだけ人を呼び寄せる車のスペースがあるのかまたは必要なのかというデータはあるのか。

■Mさん
 駐車場に置いて買い物に来るという人は殆どいない。
たまたま遠くから来た方は市営駐車場へ置いて買い物をする。そういう習慣のあるところから来る人は出来ますが、佐野の人は皆無です。
 とにかく前へ停めなければ承知できない。でも、50メートルくらいは歩いてもらえるようにしなければいけない。根本的にそうしなければ無理です。

■Cさん
 メインテーマは中心市街地の活性化ですが、佐野市の町全体のまちづくり、佐野市をどうするのかを考えていかないと、中心街活性化は解決しないと思います。
 まちづくりというのはそこに住む人の生き方の問題だと思います。それだけ精神的に大切なところ。そこに住む人間が町をどう考えているのか。精神論をやらないと活性化の結論はでないとそこまで思っています。強大な資本を投じていろいろな企画をぶって、それでも駄目だったら、その町は永久に駄目です。そうじゃなくていろいろな形の努力をしてそこに住む、84000人の市民が関心を持つような運動をこの研究会がどう市民に還元していけるか。

■Mさん
 現実問題として、佐野小とか天明小とかが町中を探検して商店街を訪れたりして、いろいろ聞いてみたりみたりする。そういう企画があるのですが、なかなか盛り上がらない。商店の業種によっては、うちは迷惑だ、というところもある。小学の2、3年生を本当にこころよく迎え入れる。そうすれば将来商品を買ってもらえるようになるんじゃないか………。考え方を変えて、今繁盛するかどうかということよりも必要だと思います。
 教育という捉え方で、子供たちに親しく接して帰らせるのは、一番のことなんです。
 「うちにはこないでくれ」、子供には関係のない商売だからなとは思っても、子供たちは疑問があったり知りたいことがあってくるのだと思う。ですから今日ご出席の方で、商売をやっておられない方の意見を聞きたいと思っています。

■Sさん
 町の中が元気になって欲しいなと思うからですが、誤解の無いように言いますと、「町中の商店の使命は終わったのかな」って考えていることがある。というのはやはり消費者が買い物に行くには、品ぞろいの豊富さが一番の魅力ではないか。例えば、家電の大型店が出てくると、既存のお店は衰退した。それは品数の豊富さから考えれば、一つのものを買うにしても多くのものから選ぶのと二、三点のものの中から渋々買うのとでは、買い物に行くということが変わってきてしまっているのではないか。
 郊外へ大きな駐車場を備えた大型店が出てくる。そこであげた利益は全部地元じゃないところへ持って行かれる。やはり地元で買い物をして、地元が潤って、町が活性化するということが、とても幸せなことだと思う。
 商店街でもいろいろな方策をおこなっている。私は田沼だから、佐野というのは生活圏ではないけれども、あの手この手で、商店街がお客を集める。けれども、それは限界に来ているのではないか。やはり消費者の魅力というのはいつでも豊富なものから選べるということだから、商店街というのはもう役目が終わっちゃったのかなと考えてきた。だからそこをなんとかできないものかと思う。景気が悪いと言っても、コンビニとか小さい店でも品揃えは豊富だということで買い物をしてくれる。いくら魅力ある商店街を造ろうとしても根本的には品揃え、資本力が関わってくる。一店でやるには資金的なものも大変だ。それでも、うち破っていけることがあるのだろう。
 役目が終わった。それを言っちゃうと夢も希望もなくなってしまうだろう。ですからそうではなくて、元気を取り戻して佐野がモデル地区になってどんどん近隣の商店街が活発化して世の中全体が豊かになっていって欲しいというという希望はあるのです。みなさまのご意見をお聞きしたいと思います。

■Mさん
 Sさんがおっしゃったように、小さい商店は太刀打ちできない、やめるしかない。
 今、電気製品をお買いになる方は事前にこの機種はどうかとか、いろんなことを調べて買いに行かれる方が多いので、カタログだけでも商売が出来ないことはない。
 個店でやっている電気屋さんに聞いてみますと、大型店では「買いました、運んできました。テレビをつけました。これはずいぶん画像があれている。アンテナが古くてだめです、取り替えましょう」。「そうするといくらですか」。「4500円です」。それだったら取り替えてもらおう。「でもアンテナを立てるのに手間がかかるから2万円くらいはかかります」。
 それから修理ということになると、持ってきてください、持っていくとメーカーへ送りますから最低でも一週間から10日はかかります。 
 というのが大型店の答えです、ところが個店で何とかやっている人は、自分がいって、「ああ、ここだったよ」、と案外簡単なことが多いんです。そして、アンテナを立てるなどというべらぼうなことは言わない。やっぱり大型店とは違ったサービスをすれば、「頼むのは地元の商店の方が良いね、いろいろ面倒をみてくれるから」ということになる。
 半年に一回くらい「どうだい、映りは変わらないかい」と、のぞいてくれる。ということはけっこうやっている。だからやり方というものもある。特にお年寄り相手の電気製品店は個店がうまい。ですからやり方だと思います。確かに資本力ではかないません。小資本でもいける、そういうことをして対抗している電気店もある。その道、その道でなるほどなと思ったのです。
 我々がコンサルタントの先生に聞く話は総論であって、実際にこういう活動をしているところがありますよ、こんなことをやったら大失敗をしてしまったのですよということ、そこを一番聞きたい。それが我々商店街の一番の欲求なんです。難しいことをなんだとかということではなくてそういう物に対抗するのはこれしかない、これでいくのだ、これではどうですかというようなことを、積極的に聞かせていただけるといい。
 もう立ち向かうには力がないんですから、ほかのことしかない。いろいろなところを回ってみる。そういうノウハウを教えていただくといい。元気づけられると思います。


(略)

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