コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

関連産業

2009-05-22 10:39:26 | 
前の記事の最後に書いた取材先は、楽器の部品メーカーだった。

主にYAMAHAの管楽器の可動部の軸などを作っているらしい。
何百万円もするフルートでも、それほど高くはならない部品だけれど、タンポをはめ込む部分の大きさや形状だけで音が変わるとか、ものすごい精度が要求されるらしく、基本的に国内生産らしい(組み立ては海外が増えており、音のチェックは東南アジアの人の耳が良いとか、いろいろ面白い話もうかがった)。


聞けばきくほど、楽器は精密機械なんだという認識が深くなる。
そこで、なぜ私が楽器部品メーカーに“取材”に行くことになったか、という話に繋がる。

この会社の創業者は、元々、滝野川にあった英工舎の、会社近くに一戸建ての社宅を与えられるほど優秀な旋盤工だった。戦後、静岡に富士時計が出来る時、工場内で使う工作機械などを作る製作所として呼ばれ、解散後、独立した。
そこで、フジやサンキョーのオルゴール部品等も作り……。
そうやって、今は、いくつもの工場を持つ株式会社になっている。

元々、富士時計に集められた人たちは、本当に、精密機械のエリートだった。
そして、あっという間に解散。
その後、どうやら大手の引き抜き合戦もあったらしいけれど、静岡に残って起業した人たちもちらほら。

その中には、時計屋さんになった人もいるし、大きな工場に成長した会社もある。

そういう人たちと関わって思うのは、歴史という物は、[A→x→B]というような線的な因果関係ではなく、複雑な網の目のなかで絡み合っているのだということ。

我々は、目に見えない様々な関わりの中にある。




学問は細分化しすぎた。
江戸時代の文芸でさえ、全部のジャンルをカバーできる人は既に居ない。
逆に、文武両道諸芸百般何でもござれ、という、由井正雪のような人は、ただの怪しいやつだ。
しかし、だからといって、“専門”だけを深めていけばいいと言うのではないし、実際それは不可能だ。

思いがけない何かを関連づける力。
そこから、本質が見えてくるような。

拡がりすぎるのはよくないんだけれど、一つのことを理解しようと思ったら、多くのことを知っておく必要がある。

近世文学の研究者達は、幸いなことに、ずっと前にそのことに気づいていたから、我々は、そういう“読み方”を当然だと思う。


学生達を見ていると、“作品”だけが独立して存在しているような読み方をしてしまうのが居て、ちょいと不安。




まだ殆ど誰も読んでないだろうからちょっと追加(5/22 13:04)。

上に書いた精密機械産業のこともそうなんだけれど、今年の“静岡の文化”の学生達は、どんどん新しい発見をしている。

それは、しかし「今まで誰も知らなかったこと」ではない。
みんな、誰かが知ってたことだ。
ネットを検索し、本を博捜すれば、もしかしたら書いてあるかも知れない。

しかし、そういう断片的な“知識”の一つ一つが、大きな織物になり、物語になるためには、関連づける力が必要。

いま、連中がどれくらいそのことを自覚して動いているかは、よく解らないけれど。

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