あと何度自分自身 卒業すれば
本当の自分に たどりつけるだろう
ほんとにね。
何度でも。
しかし、戦うだけの何かはあるのかな。
身捨つるほどの 祖国はありや
「祖国」は、他の何かでも良い。
熱くなれる何か、の熱さが伝わってこないというか……。
それでも、みんな幸せなのだとしたら、別の何かを押しつけるのは間違いなのかも知れない。
私の幸せが、みんなの幸せであるとは言えないわけで。
合格にも淡泊な私は卒業式も淡泊。
というか、コニ研に関しては、ここはお約束の通過点でしかないからねぇ。
学生達にとっては一世一代の晴れ舞台なんだろうから、もっと感動すれば良いんだろうけれど、やっぱり愛が足りないね。
自分の事で精一杯です。すんません。
とはいえ、ゼミ生はレモンの苗木をくれた。
毎年恒例になったら大変だけど、花束よりは良いね、確かに。
庭の真ん中に植えようかな。
ありがとう。
あぁ、それから、文集。
お疲れ様。
こういうところがコニ研。
でも、今年限りかな。
同じ事を続けるのは面白くないしね。
次は何が出てくるかね。
卒業式の式次第、祝賀会のあり方。
考えねばならない問題は山ほどあるなぁ。
そんなわけで、祝賀会は相変わらず。
私は同僚と少し話をして、あとは座ってるだけ。
学生も寄ってこないし。
毎年の風景。
強者のK先生が涙ぐんでたのが印象的だった。
愛があるんだなぁ。
ていうか、泣いてる学生結構いたね。
日文には居なかったように見えたけど……。
前にも似たような事があったけれど、それでも祝賀会に出かけていくのは、このままもう一生会わないかも知れないような人と久しぶりに話が出来る可能性があるからだ。
今日も一人。
話したい人と話が出来て良かった。
ずっと、まっすぐに生きて欲しい。
そして、もう一人、全く予想していなかった人に会えた。
名指しするのもおこがましいけれど、感謝の意味を込めて。
人文学部の前事務長、大川さん。
まちがいなく、静大の事務職(今は遺伝子研)の中で、最も尊敬する人。
この人が人文の事務長でなかったら、あっぱれ会もAAT研もなかった。
私の、私たちの荒っぽいアイデアを、真剣に取り上げて「出来ますよ」と言って下さる判断、そのあとの行動。
それは、本当に、余人を以て代え難い。
この場を借りて、もう一度、感謝。
本日のベストショットね。これ。

さて。
と。
次行きましょうか。
*明日の静岡新聞に今年度の情報意匠論の成果が載るはず。
注目!
ギャンブルでも、学問でも、恋愛でも、場合によっては犯罪でも。「身捨つるほど」の何かがある人が、幸せ者なんだと。