コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

学術書の装幀

2008-02-08 13:49:13 | 
文系の古い学術書の装幀というのは、布か紙かの違いはあっても、大抵紺・黒・茶の表紙に金文字と決まっていた。

もっとも、私の学部時代の指導教官だった長谷章久先生の『古典文学の風土』(學燈社 1962)は、箱の外側を経木で覆った美しい本だ。この先生に出会っていなかったら今の私が存在し得ないこと、言うまでもない。

研究者が書いた本でも一般向けの本はそれなりに面白いデザインの本があったけれど、論集などでは全くそういうことに頓着無く来てしまった感がある。

そういうなかで、私の身近な所では、高田衛先生の退官記念論集となった『見えない世界の文学誌』(ぺりかん社 1994)が若冲(?)を使ったカバーで話題になり、私も参加させていただいた冨士昭雄先生の『江戸文学と出版メディア』(笠間書院 2001)は、いかにもデジタル処理した感じの、更にカラフルなデザインで、ともにこの手の出版としてはよく売れたと聞いている。


学術書は中身、というか、メッセージが重要なのだから器は関係ない、と言う思想はずっと続いている。
我々世代にとって、そういう常識を心地よく壊してくれたのはシャルチエの『書物の秩序』(文化科学高等研究院出版局 1993)あたりで、そのあと『ヴィジュアル・カルチャー入門』(ジョン・A. ウォーカー,サラ チャップリン 晃洋書房 2001)の序文を読んでにやついたり。


江戸文芸に親しんでいたから、ブックデザインが、あるいは内容よりもずっと重い、と言うことは当然だったし、近代小説の初版本複製を眺めるのも好きだった。


そんなこんなで、卒業論文。

卒業論文は、黒い紙張りの厚表紙に黒い綴じ紐を使う、というのはいつから続いているのだろう。私もそうしたし、今も、殆どの学生がそうしている。

ただ、私は、自分のための保存用副本は、研究室で廃棄するはずだった事典のカバーを表紙に使って、和装本にした。内容が江戸だったし、そのころは、授業のコピーも和装にしていたから、いわば“マイブーム”だったのだろう。

静岡に来てから、自分の経験を学生たちに話し、それを見せることもあったので、初期の学生たちは、まず、黒い表紙の上に好きな紙を貼ったり、ひもの色を変えたりし始めた。やがて、本文の紙を変えてみたり、フォントをいじったり、そうして去年はついに、自分で上製本仕立ての本を作ってくる学生が現れた。

今年はブックデザインそのものをテーマにした学生もいるし、内容と形式を一致させる面白い試みも出てきた。

そういう長い歴史の中で、論文のタイトルもみんなで面白い物を決めよう、と言うことも定着したし。
やっと、卒業論文の“器”を意識するのが当たり前になりつつある(ウチのゼミではね)。

学術論文には、学術論文として守らなければならないルールというのはあるんだと思っている。
『知の技法』で語られているような、他者と対等な関係で議論する為の作法。
それは必要なのだけれど、その上で、提示の仕方は大事だ。

色んな学問をしてきて、最後に提出する物はどんな内容でも器は同じ、と言う、まさに「型にはめる」締め方で良いのかどうか。

最低限の制約を認めた上で、“型破り”をすることが、学問なんじゃないのかな、と。


この辺も、“卒論ミュージアム☆”の見所の一つ。

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