コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

私の卒論、あなたの卒論

2008-02-07 12:47:19 | 
2/15(金)の“卒論ミュージアム☆”とタイアップして、皆さんの卒業論文にまつわる思い出とか、蘊蓄とか、不平不満とか、今の学生に聞きたいこと、でも、何でもコメントしてみてください。

足跡をチェックする機能もありませんし、匿名で結構です。

私もあとで書き足します。

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【うんちく1】

しばらく前に退職された山本節先生は、「卒論」と言う言葉を使うな、と仰っていた。
「卒業」は、学業を「おわる」こと。
しかし、「卒論」は、論が終わってしまう、ないし、「はやい」「てがるな」論、と言う意味になってしまう、と言う話。
漢語は奥が深い。

それで私もなるべく「卒業論文」というのだけれど、徹底できていない。



【うんちく2】
日本の古典文学を専攻してる人の間で“卒業論文”と言えば、池田亀鑑の「宮廷女流日記考」。原稿用紙18000枚、全23巻。
これをコンパクトにまとめたのが、彼の最初の著書『宮廷女流日記文学』。
背表紙に「文学士 池田亀鑑」と書いてある。
まさに金字塔。


2/7 19:10  時々追加します。
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「論文の書き方」は山ほどあるし、最近では、論文支援ソフトも売っている。
しかし「卒業論文論」というのは、ありそうであまり見かけない。
ウチのゼミで「論文卒業」という「論文」を書いた奴がいたけれど、これはちゃんと議論されて良いテーマなんだと思う。


そういう意味で、時々私が紹介するのは、萩谷朴の「卒業論文を書くことの重大な意味」(『おもいっきり侃々』〈1990 河出書房新社〉 所収)。

ここに書かれている卒業論文観には、何度も肯かされ、励まされた。
全文引用したいくらいだけれど、著作権にも関わるので、時間のある時つまみ食い的に引用していこうと思う。


   20:18
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二つ上に書いた池田亀鑑の『宮廷女流日記文学』が、本棚の定位置を探しても出てこない。
鮮明に映像として記憶があるのに。
ただ、「文学士」の本がもう一冊出てきた。
こちらは麻生磯次の『近世生活と国文学』。この人の業績も経歴も、私に大きな影響を与えてるんだよなぁ。
この、「東京帝國大學國文学研究室編輯 國文学研究叢書」というのは、すごいメンバーの若い時の刊行物のようだ。もっとも、麻生磯次はこのとき既に「第六高等学校教授」。

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話逸れた。
私の卒業論文「記録と文芸--近世主婦の日記から--」 は『井関隆子日記』『小梅日記』と、『日知録』という普通名詞しかついていない質屋の女将さんの日記を比較して、記録の中の「文芸性」を検証しようという、若い内容だった。
しかし、結局、今のテーマとちゃんと繋がってるところが面白い。

02,07,23:23


あ、そうそう。
論文の装幀については別に書いた

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萩谷朴の文章を別に抄出した


引用文中「製本屋の混雑を避けて」というくだりも今の学生には理解できないのではなかろうか。
これは、装幀の所に書いた話だが、われわれの世代でも、余裕のある人は論文を製本屋で綺麗に製本することがあった。
本郷や早稲田通りには何件かそういう店が並んでいた記憶がある。
今、日文研究室に、70年代ころの、そういう製本された卒業論文が一冊保管されている。これも「ミュージアム」で展示する価値があるんじゃないかな。

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それで思い出した。
話は逸れるけれど、大学院受験のためには卒業論文の副本が必要だった。
今ならプリンタで何部か作ればいい話だけれど、昔は手書きだったのでコピーしなければならない(もっと昔はどうしたんだろう)。
コンビニにコピー機がある時代ではない。
学生の頃は、コピー機は不動産屋さんで借りた気がする。
それが、急激に広まって、早稲田通りに一定枚数を超えると7円とか、もっと安くなるような店もあった。そういうところで製本の貼り紙も見たんだけれど、今どうなってるんだろう。

私は池袋でものすごく大量のコピーをした記憶があるけれど、あれ、どこだったのかなぁ。
       2/9 21:30
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6 コメント

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梅岩さん (昔若かった勇。)
2008-02-08 09:56:22
歳を食ってから大学へ入ったので、若い学生に付いていくのがえらかった。その学生生活のなかで卒業論文を作っている時が一番充実していたと思う。本を随分買った。『徳川禁令考』全巻、『石田梅岩全集』『都鄙問答』(元文4年本)等だ。二桁の万の金額になる。こう書くとテーマがわかるが、「賣利、『都鄙問答』の経営倫理」というのでした。石田梅岩の生地京都府亀岡にもいった。卒業論文が出来上がって、冊子にして出版した。何人かに郵送したり、手渡した。内容にについて、感想が聞けるか、と思った。内容への感想は、まったくなかった。他人の書いた、江戸時代の知られていない人物の思想など、興味が湧かないのだ。卒業論文は、自分の人生の、一つの成長記録なんだ。(僕は64歳で、もうあまり成長はないが)。僕は石田梅岩を呼ぶとき、いつも「梅岩さん」と言います。
返信する
あぁ! (コニタ)
2008-02-08 17:31:36
勇さん、いつもいつもありがとうございます。

私も戴きながら内容のコメントをしていない口ですね。申し訳ありません。

本当に、同業者同士でも論文のやりとりをしますが、内容に細かく分け入ってコメントをしてくださる人は本当に僅かです。
私も、ほぼ、貰ったきりなのが実情です。

このコメントを拝読して、反省しきりです。

15日、いらっしゃいませんか?

生涯現役でがんばっておられる方にご参加いただければ、会の意義も一層深まると思います。
返信する
これが (山内)
2008-02-09 18:15:27
さっきおっしゃってた記事ですね。ただいま拝読。
山本先生のお話に膝を打ちました。
返信する
ども (コニタ)
2008-02-09 19:36:15
お疲れ様です。
山内さん卒論なんだったんですか?
やっぱり英語で書くんですよね??

英文の卒論の話なども、是非書き込んで下さい!
返信する
もう10年か (讃岐侍)
2008-02-10 18:45:45
卒業して、早10年。
企業の歯車となって身を削っている日々にあって、
卒論という響きが懐かしい!!

過去を振り返って今思うこと。

もっと力を出してやっとけばよかったと反省しています。社会人になれば自分の好きなことに没頭できる時間は減りますから。学問に没頭できる学生時代は本当に貴重なものだと思います。でもいくら汗水流して作り上げたとしても、後になってから、ああしておけばよかったとかいう所が出てくるんじゃないですかね。そういう意味では完璧な卒論というのはないんじゃないかと思います。でも現役の学生さんには先のことは考えずに、学問を楽しんで欲しいですね。僕みたいな考えになると、年とった証拠ですから(笑)若いってうらやましいです!

もし学生時代に戻れるならば、絶対に遊ばない自信がある(笑)
学問に没頭できる気がしますよ。

卒論ミュージアム、すばらしい発想ですね。
成功を祈っています。
返信する
10年経つのかぁ……。 (コニタ)
2008-02-10 18:52:56
ありがとう!

きっと、多くの社会人が似たような思いをしてるんじゃないかなぁ。

渦中にいると言われても実感がない。

やっぱり一回社会経験して、「学問」の大切さを知ってから取り組むべきなんだよねぇ。

地域連携の活動を通して、昔の学生よりそういう体験は増えてると思うんだけども。
返信する

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