前の記事と同じ授業の話。
この授業は、洒落本から、人情本や滑稽本を経て、日本の散文がどういう“リアル”を獲得したか、ということを、表現者の立場から読み返してみよう、という狙いがあります。
とはいうものの、みんな基礎知識が無いので、まず『遊子方言』をゆっくり読んで、ということになり、先週ようやく読了。
学部生の時、小松寿雄先生の演習で嫌になるほど読んだのに、今読んでみるとまた発見がある。やっぱりただの親爺ではない。
前から気づいていたこと(だって、学生時代の書き込みにちゃんとそういう指摘があるんだから)、といえばそれまでなんだけれど、授業で声に出して読んで、改めてはっきり意識させられるのは、身振りや科白の中に内面を忍び込ませる描写の巧みさ、もっと言えば、周到な語りの規制、ということ。
落語などに慣れている人には読みやすいかも知れないが、軽い小説ばかり読んでいる学生はついていけないらしい。
そういう表現は、演劇的に読んでみることで、随分理解が深まる。
というか、深く読み込まないと声に出して読めない。
平板に読むだけでは“真意”が伝わらないような書き方がされているということらしい。
というわけで、試しに古典文学大系にして、最後の5ページ分をみんなで読んでみましょう、ということで、試してみた。
ところが、これがまたみんな楽しめないのだねぇ。
もう一回今週やりますよ!
受講生の皆さんは、以下の11人(ホントは平さんは同じだし、最後の若い者はセリフ一つしかないけど)のどれかやって貰いますよ~。
290 更の体
1 平
2 新造
隣座敷
3 座頭
4 新造
隣座敷
5 通り者
6 新造
7 息子
8 部屋持
293 しのヽめのころ
9 平
10 女郎
11 若い者
授業を受けてない人も、テキストを探して、声に出して読んでみてください。
『遊子方言』(日本古典文学大系『黄表紙・洒落本集』岩波書店)です。
スノドででも、全部やってみたいねぇ。
この授業は、洒落本から、人情本や滑稽本を経て、日本の散文がどういう“リアル”を獲得したか、ということを、表現者の立場から読み返してみよう、という狙いがあります。
とはいうものの、みんな基礎知識が無いので、まず『遊子方言』をゆっくり読んで、ということになり、先週ようやく読了。
学部生の時、小松寿雄先生の演習で嫌になるほど読んだのに、今読んでみるとまた発見がある。やっぱりただの親爺ではない。
前から気づいていたこと(だって、学生時代の書き込みにちゃんとそういう指摘があるんだから)、といえばそれまでなんだけれど、授業で声に出して読んで、改めてはっきり意識させられるのは、身振りや科白の中に内面を忍び込ませる描写の巧みさ、もっと言えば、周到な語りの規制、ということ。
落語などに慣れている人には読みやすいかも知れないが、軽い小説ばかり読んでいる学生はついていけないらしい。
そういう表現は、演劇的に読んでみることで、随分理解が深まる。
というか、深く読み込まないと声に出して読めない。
平板に読むだけでは“真意”が伝わらないような書き方がされているということらしい。
というわけで、試しに古典文学大系にして、最後の5ページ分をみんなで読んでみましょう、ということで、試してみた。
ところが、これがまたみんな楽しめないのだねぇ。
もう一回今週やりますよ!
受講生の皆さんは、以下の11人(ホントは平さんは同じだし、最後の若い者はセリフ一つしかないけど)のどれかやって貰いますよ~。
290 更の体
1 平
2 新造
隣座敷
3 座頭
4 新造
隣座敷
5 通り者
6 新造
7 息子
8 部屋持
293 しのヽめのころ
9 平
10 女郎
11 若い者
授業を受けてない人も、テキストを探して、声に出して読んでみてください。
『遊子方言』(日本古典文学大系『黄表紙・洒落本集』岩波書店)です。
スノドででも、全部やってみたいねぇ。
これが楽しい。
○○師匠ならどう演ずるかなあ、とか思いながら。
にほんごりょくのトレーニングにもなるかな。