今日、静岡県文化財団が発行している『しずおかの文化』100号が届いた。
華々しい記念号、ではなく、終刊号である。
詳しい事情は、私などには届いて来はしないんだけども、“休刊”するらしい、という噂は前から聞いていた。
昨今の“事業仕分け”ブームもある。
新しい知事にもなったし、財団の実質的な代表でもあるグランシップの館長は一足前に替わっているし、“良い機会”だったんだろう。
翻訳コンクールが一足早く“仕分け”られてしまったことは、前に書いた。
またひとつの文化が終わった。
この喪失の大きさを、静岡県は本当に解っているのだろうか。
季刊で100号、ということは、25年続いた、ということだ。
途中編集体勢が変わり、“静岡”が“しずおか”に変わったりしたが、とにかく、地道に続けてきた歴史である。
残念でならない。
えらそうなことを言っても、手元には、それほど多く揃えているわけではない。そもそも、創刊の頃は静岡とは縁もなかったし。
今、たまたま手元にある、30号(1992年夏)をひらいてみると、
「「静岡の文化」三十号をふりかえって」という伊藤公芳氏(編集責任者〈静岡出版〉)の文章が掲載されていて興味深い。
「静岡県文化財団が発足し、その活動の一環としての文化雑誌の発行が計画され」た時に、文部省、文化庁、教育委員会と言った部署でなく「生活文化部」や「文化財団」で扱うというので、「そもそも〈文化〉って何だ」と言う議論があったらしい。少し引用する。
……「文部省や文化庁の文化ってのは、明治時代からの官制文化だ。芸術一つとったって、彼等のつくったジャンルに入りきらないものだって世の中には一杯あるんだ。彼等のジャンルに入らなければ文化ではないっていうのは、オリンピック種目に入らないのは、スポーツじゃないという論理と同じだ」と、席中、一番大きな奴が怒鳴ったので、結局『静岡の文化』の〈文化〉は、文化行政のジャンルをはるかに越えたもの、つまり人間が真面目にやっている物は、全部〈文化〉だということになった。
これはこれなりに革命的発想である。私は以来、『静岡の文化』の功績を聞かれると、必ず胸を張って答えるのは、この傑作な文化の定義である。
……中略(予算不足ではあったが、多くの夢をもって手弁当で作ってきたことなど)……
官民一体で、本当のローカル文化の殿堂といえる本をつくろう、世界には静岡県より人口の少ない国がたくさんあって、それらの国では世界に通用する立派な出版物がたくさん出ている。静岡だって、不可能じゃないさ。
しかし、「八年たったのに、当初の夢が何一つならなかった」と言い、「それでも、あえて三十号に節目を求めたのは、活性化への強い意志の表明である。/そういう意味の『静岡の文化』三十号である。決して御苦労さまでしたではない。」と結んでいる。
そこまでの8年。そして、それからの17年。
「何一つならなかった」とは思わないけれど“活性化への強い意志”は継承されず、「ご苦労様でした」になりそうな情勢である。
残念だ。
勿論、現在の八木編集長は、「終刊のことば」の中で「今後は時代のニーズに合わせ、新たなスタイルに移行することになります」と言い、松井理事長も「今後はこのような情報誌ではなく、……新しい形での「しずおかの文化」を計画しております」と、“今後”のことを書いている。
それって、暫く前にスタートした文化情報webサイトのこと?
まさかね。
それはそれで、ニーズはあると思うけれど、志も、定義も、全く違う。
どの地方都市でもそれぞれに“歴史”も“文化”も“伝統”もある。
それに優劣をつけるのは論外だ。
しかし、静岡には、今川文化、徳川文化という、“お上”の文化を含め、お茶やプラモデルなど、万人に愛される様々な興味深い事柄が山ほどある。
しかし、住んでいる人たちは、そういう物を当たり前のように忘れ、若い人たちは矮小化した渋谷のような街並みに繰り出す。
地方都市にしては善戦していると言われる古い商店街も内実は大手のチェーン店ばかりで、老舗は苦戦中だ。
日々変化する都市文化の情報は、即時性のあるネットやカラフルな情報誌(と言う名の広告誌)でないとフォローできない。
しかし、それらは、数日経てば意味の無くなるフロー情報だ(とはいえ、これはこれで後々とんでもない情報源になるはずなので、アーカイブは必要だと思う)。
『しずおかの文化』がやってきたことは、“時代のニーズ”に惑わされない情報の収集と発信だった。
“革命的”な定義に従って集められた“文化”情報の意義は、バックナンバーのリストを見れば解る。
これをやめることが、空港に掛かった(これからも掛かる)予算や、グランシップ・SPACの施設の修繕に掛かる予算に比べて、どれほどの“節約”になるのだろうか。
そして、これをやめることが、静岡にとって、どれほどの損失になるのか。
翻訳コンクールの時にも書いたが、見えない物だからこそ、喪失の重さは計り知れない。
で、多分、“本当のローカル文化の殿堂”を作ろうと思ったら、“官”なんて頼りにしてはいかん、というのが導き出される教訓なのだと思う。
この件は、同じ名前の授業を地元の大学で担当している縁もあり、森田鶴堂については編集長とも特集したいですね、と語りあっていたこともあり、他人事ではない。
ナントカしなければなりません。
華々しい記念号、ではなく、終刊号である。
詳しい事情は、私などには届いて来はしないんだけども、“休刊”するらしい、という噂は前から聞いていた。
昨今の“事業仕分け”ブームもある。
新しい知事にもなったし、財団の実質的な代表でもあるグランシップの館長は一足前に替わっているし、“良い機会”だったんだろう。
翻訳コンクールが一足早く“仕分け”られてしまったことは、前に書いた。
またひとつの文化が終わった。
この喪失の大きさを、静岡県は本当に解っているのだろうか。
季刊で100号、ということは、25年続いた、ということだ。
途中編集体勢が変わり、“静岡”が“しずおか”に変わったりしたが、とにかく、地道に続けてきた歴史である。
残念でならない。
えらそうなことを言っても、手元には、それほど多く揃えているわけではない。そもそも、創刊の頃は静岡とは縁もなかったし。
今、たまたま手元にある、30号(1992年夏)をひらいてみると、
「「静岡の文化」三十号をふりかえって」という伊藤公芳氏(編集責任者〈静岡出版〉)の文章が掲載されていて興味深い。
「静岡県文化財団が発足し、その活動の一環としての文化雑誌の発行が計画され」た時に、文部省、文化庁、教育委員会と言った部署でなく「生活文化部」や「文化財団」で扱うというので、「そもそも〈文化〉って何だ」と言う議論があったらしい。少し引用する。
……「文部省や文化庁の文化ってのは、明治時代からの官制文化だ。芸術一つとったって、彼等のつくったジャンルに入りきらないものだって世の中には一杯あるんだ。彼等のジャンルに入らなければ文化ではないっていうのは、オリンピック種目に入らないのは、スポーツじゃないという論理と同じだ」と、席中、一番大きな奴が怒鳴ったので、結局『静岡の文化』の〈文化〉は、文化行政のジャンルをはるかに越えたもの、つまり人間が真面目にやっている物は、全部〈文化〉だということになった。
これはこれなりに革命的発想である。私は以来、『静岡の文化』の功績を聞かれると、必ず胸を張って答えるのは、この傑作な文化の定義である。
官民一体で、本当のローカル文化の殿堂といえる本をつくろう、世界には静岡県より人口の少ない国がたくさんあって、それらの国では世界に通用する立派な出版物がたくさん出ている。静岡だって、不可能じゃないさ。
しかし、「八年たったのに、当初の夢が何一つならなかった」と言い、「それでも、あえて三十号に節目を求めたのは、活性化への強い意志の表明である。/そういう意味の『静岡の文化』三十号である。決して御苦労さまでしたではない。」と結んでいる。
そこまでの8年。そして、それからの17年。
「何一つならなかった」とは思わないけれど“活性化への強い意志”は継承されず、「ご苦労様でした」になりそうな情勢である。
残念だ。
勿論、現在の八木編集長は、「終刊のことば」の中で「今後は時代のニーズに合わせ、新たなスタイルに移行することになります」と言い、松井理事長も「今後はこのような情報誌ではなく、……新しい形での「しずおかの文化」を計画しております」と、“今後”のことを書いている。
それって、暫く前にスタートした文化情報webサイトのこと?
まさかね。
それはそれで、ニーズはあると思うけれど、志も、定義も、全く違う。
どの地方都市でもそれぞれに“歴史”も“文化”も“伝統”もある。
それに優劣をつけるのは論外だ。
しかし、静岡には、今川文化、徳川文化という、“お上”の文化を含め、お茶やプラモデルなど、万人に愛される様々な興味深い事柄が山ほどある。
しかし、住んでいる人たちは、そういう物を当たり前のように忘れ、若い人たちは矮小化した渋谷のような街並みに繰り出す。
地方都市にしては善戦していると言われる古い商店街も内実は大手のチェーン店ばかりで、老舗は苦戦中だ。
日々変化する都市文化の情報は、即時性のあるネットやカラフルな情報誌(と言う名の広告誌)でないとフォローできない。
しかし、それらは、数日経てば意味の無くなるフロー情報だ(とはいえ、これはこれで後々とんでもない情報源になるはずなので、アーカイブは必要だと思う)。
『しずおかの文化』がやってきたことは、“時代のニーズ”に惑わされない情報の収集と発信だった。
“革命的”な定義に従って集められた“文化”情報の意義は、バックナンバーのリストを見れば解る。
これをやめることが、空港に掛かった(これからも掛かる)予算や、グランシップ・SPACの施設の修繕に掛かる予算に比べて、どれほどの“節約”になるのだろうか。
そして、これをやめることが、静岡にとって、どれほどの損失になるのか。
翻訳コンクールの時にも書いたが、見えない物だからこそ、喪失の重さは計り知れない。
で、多分、“本当のローカル文化の殿堂”を作ろうと思ったら、“官”なんて頼りにしてはいかん、というのが導き出される教訓なのだと思う。
この件は、同じ名前の授業を地元の大学で担当している縁もあり、森田鶴堂については編集長とも特集したいですね、と語りあっていたこともあり、他人事ではない。
ナントカしなければなりません。
役所には仕事のできない吏員が、数十人の規模で絶対に存在する。
そのひとたちを喰わすことはできるのに、この雑誌の方は続けない。
役所は、役人とその家族を喰わすために存在するんじゃない。
どこでも“削りやすいところ”として標的になるのは“文化”ですね。
官の意識の変革を促すためには“文化”側も、享受者側も、変わらないといかんですね。
まず、予算。
http://www.shizuoka-cf.org/publicinfo/pdf/h21_yosan.pdf
このうち、文化情報提供事業支出がそれ。
20年度の当初予算では、文化情報提供事業の支出が1,070万8,000円、それが、
21年度(いま)の当初予算では707万8,000円に(300万減額)。
一方、文化情報提供事業の収入は前年度は40万となっていたのが、今年度は50万。つまり、今年になって10万円の増収を要求された。
県からの補助金600万はまるまるカットされた。
一方、文化庁からは「芸術拠点形成事業」としての補助金が3,900万!(前年比、3,600万増)
http://www.shizuoka-cf.org/publicinfo/pdf/h21_hoseiyosan09.pdf
これが9月の補正予算。
文化庁も、その地域の芸術、文化と直接関係のないものにお金をばらまいたりして、何を考えているのやら。
芸術は滅びることはないと断言できる。しかし文化はたちまち死滅する。
県は助成する優先順位を間違えておるよ。
訂正前コメント、削除しました。
グラボンさん・AyameXさん。
なるほど。
一旦途絶えてしまうと復活出来ないのも文化ですよね。
博物館行きになってからでは遅い。
その他、巷のうわさレベルながら、お話をしたいことがいろいろあります。
突っ込みどころ、満載.
詳細は、後日。
http://www.shizuoka-cf.org/publicinfo/pdf/h21_yakuin.pdf
ブンカブンカと声高に語る連中なんだろうな。
見所たっぷりですね。
役員、あの人もそうなのか、と言う……。
むうううううう。
それが、「文化の継承」として望ましい気もしますが、文化に優劣をつけて予算削減する昨今のやり方は本当に残念です。
昔は多くの子供がしたプラモデル製作を趣味にしますが、文化を失う時て、人々の無関心さから来る時て確かにある気がします・・・
なんにせよ,"しずおか"をアイデンティファイするアーカイブが無くなってしまうのは,
なじみの深い人にとってはかなりお辛いことなんでしょね・・・.
ちょっと話が書物から逸れますが,
なんらかの「文化的活動」をするために,役人にお伺いする迂回路を通るのって,
正直疲れますよね・・・ホント.これは「財団資源ウォンチュー」的な,
ファウンデーション獲得狙いのことですが.
確かに申請されればそれなりの資本が企画運営に投入されましょうが,
官っていうフィルタを通さなくても(悪路を通ることになりますが),
別ルートで文化のパッケージを都市に立ちあらわせることもできるわけですよね.
ただこの道程には,かなりなリスクは伴います.
従ってそこらへんはモチベーションのありかたで,咲く・咲かない,が決まってくるのでしょう.
あと,県庁から出向した公務員って,
たしか出向先で3年仕事して,3年経ったら,また県庁に戻るしくみになっているとかいないとか,
そんな話を聞きましたが,お戻りのときに花道を通って,座布団がある,ぬっくいチェアに
座るためには,出向先で手を汚しちゃまずいんで,公的機関で文化云々やってるお上さんは,
内からはもちろん,外からの「ラディカル」はスルーなんでしょうね.
各都道府県,ポテンシャルや,そこに住まう人々の文化に対するモチベーションはありましょう.
しかし,それをパブリックという場で表現や流通をさせていく,フラフラしない,屈強な(?)
インフラってのは,文化人であれば誰でも望んでいる事ですよね.
しかし,シズオカジンが共有するキオク,ってなんなんでしょうね?