コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

研究

2009-05-18 08:26:07 | 
龍津寺の須弥山儀のことを調べ始めた。

「調べ始めた」といって、この週末何をしたかといえば、ネットで関連情報の収集。
国会図書館の近代デジタルライブラリーや、東北大学の暦学・天文学関係のコレクションは画像で読めるので助かる。国立天文台も蔵書リストがあるので助かる。
国会図書館は、論文の郵送コピーも地方人にとってはホントにありがたい。

さて、そうやって集まった資料の山は、文献データ、画像資料……。
基本的にPCの中にある。
それをエクセルで整理し、年表を作り……。

ん~、見づらい。

私がPCを導入したのは96年。
ワープロはその2年くらい前かな。

就職してもしばらくは手書きのノートだった。
卒業論文も、修士論文も、全部手書きだ。
清書が、というだけでなく、どこかの図書館に行って調べる場合でも、ほぼ手書きメモ。
実は、メモや清書はPCの方がやりやすい、ということはある。
あとで並べ替えとか。

しかし、実際にどんどん拡散・錯綜していく情報を整理するためには、どんなに大きなモニター画面でもちょっと無理だ。
まぁ、畳一畳くらいのスペースの画面がタッチパネルのようになっていて、カードをつまんで並べ替えたり出来たら別だけど。




自分にとっては、“専門外”の、しかし、ワクワクする出会いがあった。
ここから研究がスタートする。

専門外だと思っていたことが、実は、自分の学問にとってとても重要な位置を占めることになる気がしてきた。

わからないことが多すぎる。
さて、資料探し。
さて、資料整理。

こう言う時、四半世紀前に自分が何を身につけてきたか、ということが、一番頼りになる。

PC導入の遙か前に、私はホントに“研究者”だった。

その時の勘を取り戻さないと、今度の相手には立ち向かえないぞ、と思うと同時に、私は、そのころ、ちゃんと基礎を学んでおいて良かった、ということを実感している。

あのときのやり方で動ければ、恐い物はない。
自信過剰、自画自賛。

でもホントにね、今の学生達が、こういう学問を知らないままなのは、多分とんでもなく不幸だ。

まぁ、我々の仰ぎ見る先輩達は『國書總目録』さえ無かったんだから、かなわないのだけれど。

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