コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

言葉で記憶していると

2005-04-21 21:52:00 | 
 五六歩あるいた時、その男は私に嗄(しわが)れた声で、――私の記憶の中には、どこにも、その様な声はなかった――「煙草を一本くれ」と言い出した。私はポケットを探して、半分程空になったバットの箱を彼の前に差出した。彼はそれを受取り、片方の手を自分のポケットに突込んだかと思うと、急に妙な顔をして、そのバットの箱を眺め、それから私の顔を見た。暫(しばら)くそうして馬鹿のような顔をして、バットと私とを見比べた後、彼は黙って、私が与えたバットの箱をそのまま私に返そうとした。私は黙ってそれを受取りながらも、何だか狐につままれたような腑に落ちない気持と、又、一寸、馬鹿にされたような腹立たしさの交った気持で、彼の顔を見上げた。すると、彼は、その時初めて、薄笑いらしいものを口の端に浮かべて斯(こ)う独り言のように言った。
 ――言葉で記憶していると、よくこんな間違をする。――
 勿論、私には何の事か、のみこめなかった。が、今度は彼は、極めて興味ある事柄を話すような、勢こんだせかせかした調子で、その説明を始めた。
 それによると、彼が私からバットを受取って、さて、燐寸(マッチ)を取出すために右手をポケットに入れた時、彼はそこに矢張り同じ煙草の箱を探りあてたのだという。その時に、彼はハッとして、自分の求めていたものが煙草でなくて燐寸であったことに気がついた。そこで彼は、自分が何故、この馬鹿馬鹿しい間違いをしたかを考えて見た。単なる思い違いと云ってしまえば、それまでだが、それならば、其の思い違いは何処(どこ)から来たか。それを色々考えた末、彼はこう結論したのだ。つまり、それは、彼の記憶が悉(ことごと)く言葉によったためであると。彼ははじめ自分に燐寸がないのを発見した時、誰かに逢ったら燐寸を貰おうと考え、その考えを言葉として、「自分は他人(ひと)から燐寸を貰わねばならぬ」という言葉として、記憶の中にとって置いた。燐寸がほんとうに欲しいという実際的な要求の気持として、全身的要求の感覚――へんな言葉だが、此の場合こう云えば、よく解るだろう、と、彼はその時、そう附加えた。――として記憶の中に保存して置かなかった。これがあの間違いのもとなのだ。感覚とか感情ならば、うすれることはあっても混同することはないのだが、言葉や文字の記憶は正確なかわりに、どうかすると、とんでもない別の物に化けていることがある。彼の記憶の中の「燐寸」という言葉、もしくは文字は、何時の間にかそれと関係のある「煙草」という言葉、もしくは文字に置換えられて了っていたのだ。……彼はそう説明した。それが、此の発見がいかにも面白くて堪(たま)らないというような話ぶりで、おまけに最後に、こういう習慣はすべて概念ばかりで物を考えるようになっている知識人の通弊だ、という思い掛けない結論まで添えた。実をいうと、私は、その間、彼自身は非常に興味を感じているらしい此の問題の説明に、あまり耳を傾けてはいなかった。ただ、そのセカセカした早口なしゃべり方を聞きながら、確かに、これは(声こそ違え)私の記憶の何処かにある癖だ、と思い、しきりに、その誰であったかを思い出そうとしていた。が、丁度、極めてやさしい字が仲々思い出せない時のように、もうすっかり解って了ったような気がしながら、渦巻の外側を流れる芥(あくた)の如く、ぐるぐる問題のまわりを廻ってばかりいて、仲々その中心にとび込んで行けないのだ。

『虎狩』 中島敦『青空文庫』

そうなんだよねぇ。「概念ばかりで物を考えるようになっている知識人」なのですよ、私は。


今日の授業はふたつ。朝一は非常勤先で「日本語文章構成法」。夜は大学院で、本当は近世小説の講読みたいな事をする時間なのだけれど、専門の学生がいないのでこっちも表現論。
両方とも面白い。

音楽をやってる学生が多いので、そういう話も絡めつつ、美術でも小説でも、なぜ、何のために書くのか、表現するのか、と言うのが大きい問題。「純粋な表現者」きっとそんなことは考えてないんだろうし。研究者って何だろう、と言う問題にも繋がる。

詳細は別に。

しっかし、中島敦って、どうしてこう、まっすぐに急所に来るんだろうなぁ。すごいなぁ。

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4 コメント

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Unknown (たなかけつ)
2005-04-24 23:31:28
懐かしいなぁ、本郷通りで朝鮮人の友達に再会するんですよね、この小説。自分が思うに、いまはこの場所はパチンコ屋になっています。よ。



中島は大好きな小説家ですが、自分の意見を持つほどではないのが恥ずかし。。
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さすが (こにた)
2005-04-25 10:50:36
すぐわかりましたねぇ。

そうそう、本郷ですよね。



この部分って、身体論というか、言語論というか、何か、本質ついててすごいなぁと思うんですよ。

「文字禍」だけじゃなく、記憶という意味では「木乃伊」とも繋がってくるし。



研究がどのくらいあるのかも良く知らないんですが、中島敦は「山月記」や「名人伝」なんかを解りやすく読み解いてしまうことで、相当ゆがめられてしまった不幸な作家だと思うのです。

この時代にこんな事を考えてこんな書き方をした人なんて、いないんじゃないですかね、他に。
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 (こにた)
2005-04-25 10:52:38
recent commentが復活してる。

重くならなければいいけど。
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Unknown (たなかけつ)
2005-04-25 14:07:13
>相当ゆがめられてしまった不幸な作家

たしかに、パターン化されてしまっていますよね。漢文と現代人の悩みをあわせた、みたいな。芥川のハイパーエピゴーネンのような。



彼の南方ものや大陸、朝鮮ものは大分系統が違いますよね。ちくまの文庫版全集をかって、はじめて知りました。
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