断捨離GW3日目。
早速「断捨離」の醍醐味を、
身をもって実感しています。
今日、こんなことがありました。
大幅な家の片づけに伴って、
自分の部屋も片づけていた末の息子が、
保育園の卒園の時に園からもらったカードや
保育園のときに描いた絵などを、
「もう要らない」と言って私のところに持ってきました。
それを見た私は、どうしてもそれを捨てられませんでした。
頭では、今使っていないものは捨てる、
まして、本人が要らないというものは、
捨てるのがいいにきまっているってわかっているのです。
でも、捨てられない。
まさに、身を切られるような思いがするのです。
それを捨てるかどうしようかと
迫られた気持ちになったとき、
本当に涙が出ました。
そして思いました。
息子にとってはすでに終わった過去のものであっても、
私にとってはまだ「過去」ではないのだ、と。
そのモノたちを見ると、
私の心の中には、当時のあったかい思いが
広がっていくのを感じるのです。
そして、そんなあったかい豊かな時間を
私は4人分も味わってきたのだということを
今日、改めて感じました。
そうした時間を、
これまで意識したことがありませんでした。
これまで、
半分は夫がいない生活の中で、
子ども4人を育てながら、
わずかなものではあるけれど、
いちおう仕事もしてきました。
その日常は、決してゆとりなどありませんでした。
毎日、子どもにちゃんとご飯を食べさせること、
ある程度の時間の中で、寝かせること、
そんな基本的なこと繰り返すことだけのために、
まさに、その日、その時を乗り切ることに
精一杯であったと思います。
精一杯であったが故に、
その時を味わう、ということが
できていなかったのだなあ、と、今になって思います。
もっとゆっくり、じっくり、
その時その時を、子どもとともに味わえばよかった。
必死の顔をしていないで、もっとゆったり笑えばよかった。
今はそう思います。
でも、たぶん、
その時はそれができなかったのだと思います。
いつも追われるような思いで、
いつも仕事も、家事も子育ても、
全部中途半端なように感じていて、
ただ、そんな思いだけで埋まっていたように感じていた
この四半世紀でした。
でも、息子が持ってきたモノをみたら、
私の四半世紀は、
実はとても豊かな時間が詰まっていたんじゃないだろうか、
そう思えたのです。
保育園のときのカードや絵を見て、
とても愛おしく、新鮮に感じたのは、
たぶん、その当時は、見ていても、
それらを心から味わって見ていなかったから、
記憶にも残っていなかったという証拠だと思います。
その時に味わうはずだった感情が、
そのモノをみて、今、
わたしの中にわき起こっているのだと思います。
であれば、
そのモノと私との関係は
十分生きているのかもしれない……。
そんなわけで、
息子の思い出のモノは、
捨てずにとっておくことにしました。
「断捨離」をしながら、
周りのモノを整理し続ける中で、
そうした大切なモノたちには
ちゃんとした「居場所」を整えたいと思います。
そうして、何度も眺めながら、
そのモノのエネルギーを味わったら、
たぶんいつか、自然と手放せるときがくるのだと思います。
たぶん、「断捨離」には順番があって、
手放す前には、まずきちんと向かい合い、
そのモノから受け取る感情を味わい切らなければ、
関係を終わらせることもできないのだろうな、と思います。
明日もまた、断捨離。
続けます。