そう10年前の10月
2010 10月8日母の命日です
大腸がんで手術し
すぐそのあと転移している肝臓の手術としたのですが
その病院に問題があって
途方に暮れていたところ
東京の病院で見ていただけることになって
それ以後抗がん剤治療に通って
肺の転移も疑わしく
もう悲壮感で胸がはりさけそうな毎日でした
気丈な母ももう終わりの様なことを言い出したり
あれこれ必死で行動を起こしたら
東京の病院で有名な腕のいい先生に見ていただけるようなご縁になって
5年ほどお世話になりました
最後の2年は大腸がんの大腸の再発の手術もしていただいて
母もよく頑張ってくれました
必死の毎日でした
その10月レカンのコンテストでグランプリを頂いたり
10月の15日は熊本の講習に出かけてたり
本当にアタフタな10月を送っていたのですね
7年間の闘病で張り詰めた毎日が途切れて
呆然としていたと言った記憶です
葬儀の時も涙一つ出ず
約束してある熊本の講習に出かけなくてはという気だけでした
こんな事になったのには
最後は岡山の病院で緩和ケアのホスピスの階に入院していました
7月に救急から転院してその病院へ入り
そこで8月は越せないでしょう・・・・・
と言われていた
そんなころに10月の熊本のセミナー講師の依頼が入り
その頃には母も亡くなって悲しみのどん底にいるころだから
気も晴れると思いお引き受けしたのでした
それがそれが
そこから私が奮起し
病院へ通い
マイルールを決め
手厚い看護をした結果
母は10月を迎えられて
熊本に出かけるからと
あれこれ段取りをしてたら
母が心配かけないようにとの配慮か
7日の朝病院から呼ばれて駆け付けて
言葉を交わした後眠ったまま息を引き取りました
ホスピスなので救命治療は一切していただけませんので
自然に血圧が低下しているのをそのままでした
こんな経験から10年いろいろな思いが錯綜
日に日に悲しみが押し寄せ
苦しかった10年でした
しかし10年経ってやっとひと段落した気配
ステイホームの世の中で
自分の事を考える時間を持てて
これからの自分を作る行動に移す期が大事
中々踏み出す先が見つからないけど
今の時間に満足できているのが嬉しい~
ここから新しい自分が作り出せそうな気もしているちょっとだけど・・・・
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追記
この記事読み返して思い出した
当時はまだそれでもバリバリでお仕事してたんだ~
塾
コメントで試験があるって書いてあるもの
そしてその数日後大阪へネイチャーの講習受けに行って帰ってから塾の仕事してるんだわ
ホントによく頑張ってたと思う
私も病気のおかげで
以前の自分には戻らない頑張らないことにした!
やっぱり今思うと頑張っていたんだね・・・・・
熊本へ - レカンフラワーリボンのmama
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