前回9月に心臓冠動脈のカテーテル治療にて
血管の狭窄部を広げるカテーテル治療時
削るドリルが入って行かなくて
血管が破れ出血し
一大事
いろんな幸運の元一大事ではありますが大事には至らず
血管内に止血のステント挿入で処置出来
出血した血液が心臓を取り巻くと
即座の開胸して取り除く手術になるところでしたが
一か所にとどまって広がらなかったのが幸いでした
今回は前回の事が有りますので
風船で膨らませて
広げるとのご説明でした
とにかく全てお任せしています
今回は7月の時の先生です
主人に外来に立たれている主治医はいて
その先生に外来受診しているのですが
入院しての処置は
誰が担当するのか入院まで知りません
前に3か月ICUにいた時にいろいろお尋ねしたのですが
他科と異なったシステムのようです
今回はテキパキとした先生です
お話を伺っててこの先生で良かったと思える先生です
7月の時にお世話になったのを記憶しています
印象に残っている先生です
明日カテーテル処置です
私は自宅待機
処置が終わったら先生がお電話で様子を伝えてくださいます
コロナ禍もあって病院で詰めてる必要はありません
お任せしていますからそれで充分です
助かるわ~
たまに見ますが
ブログにアクセス履歴が残ってる
過去6時間にアクセスが有った記事が出てる・・・・まあそんな感じの事
先日これなんだろうとみると
2009年の記事だった
TVに出た翌日の記事で
コメント欄に
高校時代より垢抜けてて驚いたと有った
そうそうそうなのよ
自分でも不思議な事なんだけど
今でも何でなのかと思ったりすることがある
そして自分流に理屈をくっつけてるのですが・・・・・
まず
私の小学生の頃は細っこい子でした
身長は普通に高い方でした低くないといった感じで
中学3年の頃から
一冬休みでたった1週間か2週間ですよね
毎月?体重測定が中学時代よくあった気がしますが
45kから一気に55kになってて
これは間違って記入されてると思っていたぐらい
一気に太ってしまった
当時給食だったのであまり食べなかったのが現実だけど
ある時山から通ってる活動的な子に
どうやって給食を食べてるのか聞いた
すると
パン一つをおかずで食べ
もう一つのパンは何か付いているジャムやマーガリンを塗って食べるのだと言われた
へえええええ・・・・・
ちょうど体重が増した私と
夕食前に菓子パンを1個平らげるようになった私が
成長して
一気に増えた体重が減速することが無かった
このまま高校時代に入り
まだまだ加速して
体重はうなぎ上り
人生で太ってる時代に入った
最高62k迄なった
東京時代も
9号サイズのパルコの服をキツキツで着ていた
オシャレな服の大きなサイズなんて無い時代
なにせウエーブの私
腰回りは9号サイズではパンパンでも入らない
だからスカートでしたね
そしてこれが25歳ぐらいまで続き
25でひと落ち着き50キロ前半ぐらいに戻り
ある日突然
20代の終わりごろ
一気に体重が減って
まあ努力もしたと思いますが
その頃をきっかけに
身長161㎝ 体重48kとなった
ダイエットってした訳じゃないけど
常に気にしていた
そしてそのまま30代40代50代と
これもダイエットをしてたわけじゃないけど48kのまま過ぎて
60代で癌になって42kまで落ちましたがすぐ回復して
その後
もりもり成長しまして
今や50kを下回ることが難しく
歳ゆえに重力に負けた顔が
ますます膨らんで膨らんだところが重力に負けており
一念発起してこのダルダルをどうにかセントイカンバイ
とこんなこの頃ですが
まあ幸せですわ
7年前はこんなこと考える余地もない
美醜など考えの外
ただこの2キロの体に付いてる負荷
これも気になってる
なので若い頃はパンパンでした
垢抜けた服など着れる身体じゃない
今になって思うことですが
このデブってたことが幸いしてることがある
友人も広範囲でいた頃だったので
そっちの道には間違っても呼ばれないで済んだ
怖い思いもしなくて済んだ
と
今になって思うことです
当時は自分は大丈夫と過信していてと思う
不合理な思いの経験が無くて済んだ
これもこのデブが幸いしてたと確信してる
ご先祖様が見守っていてくださったお陰と感謝してる
どうにも自分の意志とは違ったところの力としか言いようがないんですもの・・・・ははは
じゃあ今の体重増加は?
これはただ単に食べ過ぎなんだろうね・・・・・
そして基礎代謝が歳のせいで減少?
ストレスの過食?って言うほどのことでもないし
歳とってるんだからこの位が標準と思ってる自分がいるし
このダルダルをどうにかしたいと思う自分もいるし
じゃあ整形でもするか・・・・・・・っては怖いし間違ってもならないし
現実を受け入れるのがまだまだ難
顔のこと言ってるようだけど
これって体力の総称で言ってる・・・・・・・・・・・・・・