日本のまん中から少し離れて、都営新宿線、森川駅ちょっと行った所で芭蕉稲荷を発見しました。
松尾芭蕉は、寛永21年(1644年)~ 元禄7年10月12日(1694年11月28日))は現在の三重県伊賀市出身の江戸時代前期の俳諧師です。杉山杉風に草庵の提供を受け、深川芭蕉庵と称して、延宝8年から、元禄7年に大阪で病没するまでここを本拠とし「古池や蛙飛びこむ水の音」等の名句の数々を残し、またここより旅に出て「奥の細道」等の紀行文を著しました。ところが、芭蕉の没後、深川芭蕉庵は武家屋敷となり、幕末~明治にかけて滅失してしまいました。たまたま大正6年津波来襲のあと、芭蕉が愛好したといわれる石造の蛙が発見され、故飯田源次郎氏等地元の人々の尽力により、ここに芭蕉稲荷を祀り、同10年東京府は常盤一丁目を旧跡に指定しました。その後、300mほど、離れた所に、松尾芭蕉記念館ができました。
松尾芭蕉は、寛永21年(1644年)~ 元禄7年10月12日(1694年11月28日))は現在の三重県伊賀市出身の江戸時代前期の俳諧師です。杉山杉風に草庵の提供を受け、深川芭蕉庵と称して、延宝8年から、元禄7年に大阪で病没するまでここを本拠とし「古池や蛙飛びこむ水の音」等の名句の数々を残し、またここより旅に出て「奥の細道」等の紀行文を著しました。ところが、芭蕉の没後、深川芭蕉庵は武家屋敷となり、幕末~明治にかけて滅失してしまいました。たまたま大正6年津波来襲のあと、芭蕉が愛好したといわれる石造の蛙が発見され、故飯田源次郎氏等地元の人々の尽力により、ここに芭蕉稲荷を祀り、同10年東京府は常盤一丁目を旧跡に指定しました。その後、300mほど、離れた所に、松尾芭蕉記念館ができました。