今年は年明け早々に、2級受験に必要な教材が揃っていました。
前年失敗している事もあり、当然と言えば当然なのですが、2度目は早めのスタートを切り、万全な状態で試験に臨みたかったからです。
2級公式テキスト「江戸諸国萬案内」に、3級公式テキスト「大江戸見聞録」に、過去問とテーマ本「忠臣蔵」いろいろ…。
あれ~何か昨年より増えてませんか?
そうなんです。気づいた人はさすがです。
今回は1級の公式テキスト「江戸博覧強記」を更に加えました。
勿論1級テキストは、2級の出題範囲に含まれているわけではありません。
若干変更はあったものの、今年のお題「忠臣蔵」から2割「大江戸見聞録」から1割「江戸諸国萬案内」から5割で従来通りです。
では何故?
知識に厚みがなければ、2級は突破出来ないというのが前年度受験しての実感です。
3級は受験者の62%が合格出来るのに比べ、2級になると19%と途端に難しく、試験場で考えて答えが想像出来る類でない為です。
その為に更に上の級から知識を吸収し、過去問を2か月前からスタートするのが、今回2級受験の為に考え出した基本対策になりました。
今年の試験日は、11月3日(日)-申込締切は10月14日(祝)です。
今年のお題「忠臣蔵」ですが、特に受験とは関係のない方に、読み物として気になる点、あるいは意外だった点に限定して若干お伝えしますね。
本のタイトルは正式には、「これが本当の忠臣蔵-赤穂浪士討ち入り事件の真相」山本博文著です。
副題についている通り、未だ謎の多い忠臣蔵の真実に迫ろうというのがこの本の目的になります。
結論から言うと、何故江戸城松の廊下で刃傷事件があったのか…残念ながら、この本からも断定する事は出来ていませんでした。
吉良上野介から度重なる意地悪を受けていた、あるいは賄賂を要求されていた等々、浅野内匠頭が事件を起こす可能性のある事柄を並べていましたが、今一つ核心に迫っていなかったというか…
当時の江戸城松の廊下の見取り図-同本の資料「東京市史稿 皇城篇より」
その中で自分が気になったのは、浅野内匠頭の母の弟(内藤和泉守忠勝)つまり叔父が、4代将軍家綱の葬儀の担当をしていた永井信濃守尚長を、会場であった増上寺で殺害し切腹に処せられていたという事実です。
本ではさらりと触れられていましたが、身内に同様な行為をした者がいた家系だった事は、松の廊下に繋がる大きな要因だったと思われます。
事件の真相を断定出来ない印象はありましたが、本を読み進めていく内に初めて知る事がたくさん出てきました。
忠臣蔵と言えばすぐ四十七士と出てきますが、一人ひとりを見ていくと、幾つかのグループで討ち入りに参加していた様です。
大石内蔵助は息子主税(ちから)と親子で参加でしたが、その他にも兄弟や義理父娘婿等大きく分けると8つだったとか。
赤穂藩御取り潰し当時200名近い討ち入り賛同者が、最後の最後になっても50名近く残ったのは、やはり最後は血の繋がりによるものが大きかったんですね。
赤穂浪士人間相関図(同本より)
その他、討ち入りは47人で行ったが、一人は事件直後逃亡??した為、切腹に処せられたのは46人で、でも泉岳寺には47人のお墓があるとか、討ち入りに備え吉良邸は要塞の様に警備を固めていたが、赤穂浪士の早朝の襲撃に17人の討死と19名の重軽傷者を出してしまったとか…
赤穂浪士側は負傷者2名だけですから、討ち入り成果という点では、如何に大石内蔵助の準備と戦術が巧みだったかが感じられますよね。
ここ迄でご興味を持たれた方は続きは、是非同本で…(笑)
まだまだ書きたい内容はありますが、長くなってしまうのでこの辺でやめておきます。
結びとして忠臣蔵後ですが、9年後浅野家は内匠頭の弟大学がお家再興を許され復活、大石家も討ち入り当時身重だった妻りくが男子を出産、その子大三郎は12年後浅野家本家(広島藩)に召し抱えられお家存続なったそうです。
一方吉良家は上野介の息子(米沢藩主からの養子)は、事件の傷が原因で5年後若くして亡くなったとの事。
歴史の巡り合わせとはいえ深いものがありますね。
江戸文化歴史検定試験頑張ります!!
では。