夢の途中で

なかなか実現出来ないのが夢…
でもその途中の風景&出来事を楽しむのも、また人生と実感しているこの頃。

第8回江戸文化歴史検定

2013-08-28 14:09:48 | 歴史
 
 今年は年明け早々に、2級受験に必要な教材が揃っていました。
前年失敗している事もあり、当然と言えば当然なのですが、2度目は早めのスタートを切り、万全な状態で試験に臨みたかったからです。


2級公式テキスト「江戸諸国萬案内」に、3級公式テキスト「大江戸見聞録」に、過去問とテーマ本「忠臣蔵」いろいろ…。

 あれ~何か昨年より増えてませんか?
そうなんです。気づいた人はさすがです。
今回は1級の公式テキスト「江戸博覧強記」を更に加えました。

 勿論1級テキストは、2級の出題範囲に含まれているわけではありません。 
若干変更はあったものの、今年のお題「忠臣蔵」から2割「大江戸見聞録」から1割「江戸諸国萬案内」から5割で従来通りです。
では何故?

 知識に厚みがなければ、2級は突破出来ないというのが前年度受験しての実感です。
3級は受験者の62%が合格出来るのに比べ、2級になると19%と途端に難しく、試験場で考えて答えが想像出来る類でない為です。
その為に更に上の級から知識を吸収し、過去問を2か月前からスタートするのが、今回2級受験の為に考え出した基本対策になりました。


今年の試験日は、11月3日(日)-申込締切は10月14日(祝)です。

 今年のお題「忠臣蔵」ですが、特に受験とは関係のない方に、読み物として気になる点、あるいは意外だった点に限定して若干お伝えしますね。
本のタイトルは正式には、「これが本当の忠臣蔵-赤穂浪士討ち入り事件の真相」山本博文著です。
副題についている通り、未だ謎の多い忠臣蔵の真実に迫ろうというのがこの本の目的になります。

 結論から言うと、何故江戸城松の廊下で刃傷事件があったのか…残念ながら、この本からも断定する事は出来ていませんでした。
吉良上野介から度重なる意地悪を受けていた、あるいは賄賂を要求されていた等々、浅野内匠頭が事件を起こす可能性のある事柄を並べていましたが、今一つ核心に迫っていなかったというか…


当時の江戸城松の廊下の見取り図-同本の資料「東京市史稿 皇城篇より」

 その中で自分が気になったのは、浅野内匠頭の母の弟(内藤和泉守忠勝)つまり叔父が、4代将軍家綱の葬儀の担当をしていた永井信濃守尚長を、会場であった増上寺で殺害し切腹に処せられていたという事実です。
本ではさらりと触れられていましたが、身内に同様な行為をした者がいた家系だった事は、松の廊下に繋がる大きな要因だったと思われます。

 事件の真相を断定出来ない印象はありましたが、本を読み進めていく内に初めて知る事がたくさん出てきました。
忠臣蔵と言えばすぐ四十七士と出てきますが、一人ひとりを見ていくと、幾つかのグループで討ち入りに参加していた様です。
大石内蔵助は息子主税(ちから)と親子で参加でしたが、その他にも兄弟や義理父娘婿等大きく分けると8つだったとか。
赤穂藩御取り潰し当時200名近い討ち入り賛同者が、最後の最後になっても50名近く残ったのは、やはり最後は血の繋がりによるものが大きかったんですね。


赤穂浪士人間相関図(同本より)

 その他、討ち入りは47人で行ったが、一人は事件直後逃亡??した為、切腹に処せられたのは46人で、でも泉岳寺には47人のお墓があるとか、討ち入りに備え吉良邸は要塞の様に警備を固めていたが、赤穂浪士の早朝の襲撃に17人の討死と19名の重軽傷者を出してしまったとか…
赤穂浪士側は負傷者2名だけですから、討ち入り成果という点では、如何に大石内蔵助の準備と戦術が巧みだったかが感じられますよね。
ここ迄でご興味を持たれた方は続きは、是非同本で…(笑)

 まだまだ書きたい内容はありますが、長くなってしまうのでこの辺でやめておきます。
結びとして忠臣蔵後ですが、9年後浅野家は内匠頭の弟大学がお家再興を許され復活、大石家も討ち入り当時身重だった妻りくが男子を出産、その子大三郎は12年後浅野家本家(広島藩)に召し抱えられお家存続なったそうです。
一方吉良家は上野介の息子(米沢藩主からの養子)は、事件の傷が原因で5年後若くして亡くなったとの事。
歴史の巡り合わせとはいえ深いものがありますね。

 江戸文化歴史検定試験頑張ります!!
では。 

第7回江戸文化歴史検定

2012-06-28 00:28:46 | 歴史

今年はGW明け早々に、昨年同様受験に必要な教材が揃っていました。
2級公式テキスト「江戸諸国萬案内」に、昨年使用した3級公式
テキスト「大江戸見聞録」に過去問とテーマ本いろいろ…。



 2級受験という事は…??そう昨年受験した3級は見事合格しました。

画像は合格認定証と記念バッチ

 合格ライン70点に対し、受験直後の自己採点で86点だったのでまず大丈夫と思っていましたが、やはり証を貰うと嬉しいものですね。
勝因は試験が入門編だったのと、十分過ぎる準備が出来た事でした。
試験会場は駿河台の明治大学だったのですが、嘘の様に自信に溢れ余裕を持って試験に臨めた気がします。
ああ、うん十年前の大学受験でこの位余裕あったらなあなんて(笑)、今になっても受験生時代の悔しさが蘇る程の出来でした。

 今年の試験日は、10月28日(日)-申込締切は10月14日(日)です。
なーんだ、今年はまだ試験迄4か月はあるじゃない、余裕だねって言われそうなのですが、どっこい今年は公式テキストをまだ1回も通読してないんですよね~。
平日通勤の行き帰りは仕事の疲労から殆ど読めないし、それに公式テキストも2級から急に難しくなっているんです。

 2級試験は公式テキストから50%、同3級公式テキストから20%、加えて今年のテーマ「徳川将軍15代」から20%が出題されます。
合格点は3級と同じく70点なので、分れ目は公式テキストの知識がしっかり頭に入っているかでしょうね。

 ところで今年のお題になっている15代の将軍達ですが、有名なのは初代家康・3代家光・8代吉宗・15代慶喜でしょうか?
みな歴史の転換点に登場したので当然なのですが、歴史上一番苦労したのはと言えばやはり14代家茂な気がします。
13歳で将軍になり21歳で大阪城で病死する迄、幕末の激動する歴史の中で翻弄されながら、必死にその職を全うしようと生き抜いた姿は意外に知られていません。

 家茂は若いながらも聡明で更に心配りが出来たらしく、辛口で有名な勝海舟ですら絶賛していた程の人材で、もう少し早く生まれていれば、又早死にしていなければ名君の誉れ高かったと言われています。
無為無策で50年も将軍に君臨し55人もの子作りをした家斉ではなく、17歳で暗殺??された家基がなっていれば社会の退廃は避けられ、更にその後をこの家茂が継いでいれば、明治に入る前にもっと早く、日本の近代化が進んでいたかもしれません。

 数年前大河ドラマで人気を博した「篤姫」の中でも、和宮様の旦那さん役で登場していましたが、歴代の将軍には珍しく奥さん一筋で夫婦仲はラブラブだったそうです。
その為か旦那さんの家茂が亡くなった後も和宮様は京都には戻らず、その遺言から芝にある増上寺のお墓で、隣り合わせ仲睦まじく眠っています。

 今日はこの辺で。
 
 



第6回江戸文化歴史検定

2011-09-25 12:05:50 | 歴史
 先日のPCと同様、受験に必要な教材が揃いました。
3級公式テキストに過去問とテーマ本いろいろ…。



 今年の試験日は、10月30日(日)-申込締切は16日
え~あと1ヶ月しか無いじゃん、そう思った方も多いでしょう。
でも皆さんご安心下さい
既に公式テキストは4回通読済みで、あとは過去問で知識整理
をすればいいだけです。(そんなにうまくいく??)

 3級は公式テキストから70%、今年のテーマ「江戸の名所」
から20%が出題されます。
合格点は70点なので、分れ目は江戸の名所になりそうですね

 ところで江戸の名所はたくさんありますが、パッと浮ぶのが
お花見に関係する所ですよね
上野山、飛鳥山、愛宕山、隅田川の堤…。
今も変わらず現代人の楽しみになっていますが、実はお花見の
歴史はそれ程古くなく、1720年頃からと言われています。

 当時の将軍吉宗公が、故郷紀州の吉野から移植させたのが
始まりらしいです。(だからソメイヨシノが中心木なのか~)
吉宗公と言えば、TVで暴れん坊将軍として描かれていますが
、勿論そんな事はなく傾きかけた江戸幕府を建て直した改革者
実力者が本当の姿です

 就任早々、なあなあでやっていて税収の上がっていなかった
勘定奉行の組織改革に取り掛かり、責任を明確にする体勢にす
ると共に、能力のある者が仕事出来る様に…
当時石高を持てないと役に付けない身分社会の仕組みでありな
がら、有能な者には臨時に石高を付けて登用するなんてなかな
かのセンスですよね。
一方で上記の勘定奉行など、職務怠慢の役には腹を切らせたと
か…(結構厳しかったのか~)
その位やらないとやっぱり建て直しは出来ないんですね。
今の時代にこそ必要な人かも

 ちょっと江戸の名所から話題がそれました
桜と植えたのは厳しいだけでは息が詰まると、江戸庶民の楽し
みをと考えた将軍ならではの配慮だったのかもしれませんね
歴史ネタのせいか少し熱くなりました。
今日はこの辺で