肺がん特有の咳はするものの母は元気です。
しかし先日の通院で肺炎が判明し、そのまま入院しました。
本日、主治医の先生と兄夫妻も交えて母に、帰宅後は父に、
母の余命がいくばくもないと伝えました(=今後は終末期医療:緩和ケアになります)。
「同居の私がパートを休職し、在宅で母を看(み)たい」と思い、兄夫妻とも合意しました。
兄夫妻から「当然、出来る限り協力する」
「でも(同居のお前に)相当負担かかって、看るのが無理と思ったら遠慮せず俺たちに言え」等、
協力の約束を貰えました、ハレルヤ。
2か月前の聖会で母が救われたことに、感謝の祈りをしながら、
「母も79歳だし、間違いなく天国に行けるし、余命は家で過ごさせたい」で、私の思索は完全停止でした。
神はそんな私に、伏兵を設けてくださいました。
(母の救いの為に祈っていた教会の方々が)母の今後の為に祈る。と、連絡を頂いたのです。
「神は最善しかなさらない。神に信頼しよう」
「余命宣告だけじゃなく、神のことばも聞いて(=祈って)みなさい」と、長文の励ましメールを頂きました。
それを何度か読み返していると「奇跡を求めよう(=神のみ心がなるように)」と、
少しづつ思索が変わってきました。
神にも、教会の皆様にも、感謝しきりです。
hiromi
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます