感謝と祈りといやし

熊本アンテオケ教会の神様の栄光の表れを神様に栄光を帰しながら書いていきます

余命宣告と信仰

2022年09月17日 | 恵み

 肺がん特有の咳はするものの母は元気です。

しかし先日の通院で肺炎が判明し、そのまま入院しました。

 本日、主治医の先生と兄夫妻も交えて母に、帰宅後は父に、

母の余命がいくばくもないと伝えました(=今後は終末期医療:緩和ケアになります)。

「同居の私がパートを休職し、在宅で母を看(み)たい」と思い、兄夫妻とも合意しました。

兄夫妻から「当然、出来る限り協力する」

「でも(同居のお前に)相当負担かかって、看るのが無理と思ったら遠慮せず俺たちに言え」等、

協力の約束を貰えました、ハレルヤ。

 2か月前の聖会で母が救われたことに、感謝の祈りをしながら、

「母も79歳だし、間違いなく天国に行けるし、余命は家で過ごさせたい」で、私の思索は完全停止でした。

神はそんな私に、伏兵を設けてくださいました。

(母の救いの為に祈っていた教会の方々が)母の今後の為に祈る。と、連絡を頂いたのです。

「神は最善しかなさらない。神に信頼しよう」

「余命宣告だけじゃなく、神のことばも聞いて(=祈って)みなさい」と、長文の励ましメールを頂きました。

それを何度か読み返していると「奇跡を求めよう(=神のみ心がなるように)」と、

少しづつ思索が変わってきました。

神にも、教会の皆様にも、感謝しきりです。

hiromi

 

 

 

 


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