殉教聖会は、日本で初めて殉教が起こった日(=日本二十六聖人の殉教)、それを覚えて記念する集会です。この日の朝、私はいつも思います。殉教者たちは「今日が天に凱旋する日だ」と、喜んでいたんだろうなと。そしてこうも思っていました「想像はできても、理解できないなぁ。そんな信仰厚くないし」。
殉教聖会は、昼の部と夜の部があるのですが、昼の部で、個人的に感じた事を少し書きます。
彼らが処刑される際、賛美歌を歌った殉教者がいました。それを見ていた会衆も歌いだし、最後には賛美歌の大合唱となり、その場には、天国のような神のご臨在があふれたそうです(そして後日、多くの人々がクリスチャンになりました)。殉教聖会でも賛美歌を歌います。しかし今回は、ちょっといつもと違いました。導き手の牧師がこう言われたからです「天に向かって心から賛美(歌)をささげましょう(=歌いましょう)。天(=天国)が下りてきますよ。」。その通りにして数曲歌いました。天を見上げて・・・すると、少しづつ「400年以上前の、殉教が起きた今日と、今現在の今日は、つながっている」という思いが湧いてきます。少々涙ぐみながら賛美を歌いつつ、感謝をささげました「彼らの信仰の歩みとつながっているのなら、確実に同じ様な事が現代でも起こってくるだろうな(黙示録に書いてある通りに)。別に処刑されたり迫害されたりしたい訳ではないけれど・・・でも、選んで下さった事を神に感謝します。」
今は終わりの時代(黙示録の時代に入る直前)ですが、彼らの信仰を強め、宣教の働きのために用いてくださった神が、同じように私達にも働いて下さるという事。いままで漠然としていたものがはっきりしました。神に感謝します。hiromi
「愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。」(Ⅱペテロ3:8)
「私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。」(Ⅱペテロ3:13)
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