久世のくらし

42年ぶりのUターン、木の香りと土のぬくもりをお伝えします。

春の花たち

2014-04-15 11:36:57 | 日記
春の花たち


春になって暖かくなり、ようやく活動を始めようとした頃
続いて悲しい知らせがあった。

32年前、私が結婚したばかりの頃、芦屋で母のように姉のように、未熟な私の人生をサポートしてくださった人。
10年くらい前だったでしょうか、膵臓癌を発症。
それでも、お元気で励ましを忘れない、肝っ玉母さんの様な人だった。
今年の年賀状が来なかったので、心配していたのに、私は何も連絡しなかった。
入院されていたそうだ。
本当にお世話になりました。ありがとうございました。
ゆっくりとお休みください。


そして昨日知らせがあった。
神戸で共に過ごした友人は45歳の若さで旅立ってしまった。
やはり10年くらい前に乳がんだった。
まだまだやりたいことがいっぱいあっただろうと思うと、涙がこぼれる。
お嬢さんが二人。
お母さんの分も幸せになってください。
お父さん、おばあちゃんを励ましてあげてね。

岡山の地から、弔電を送らせていただいた。



生かされている事に感謝して、今日一日を生きていこうとあらためて思った。

庭の花々を届けます。
ご冥福を祈っています。
ありがとうございました。

リハビリが始まりました

2014-04-07 22:00:40 | 日記
4月2日午後、母は二人部屋に変わりました。
一人はさみしいかと思い、大部屋に変えていただくようにお願いしていたのです。
同室の方は酸素収入をされていて、お話するのは少し無理のようです。
それでも少しは寂しくはないでしょう。

手術後2週間が経ち、ベッドの上で少しづつリハビリが始まっていました。
5日午前中に面会に行くと、ベッドにいません。
1階のリハビリ室にいました。

車椅子で移動し、両足で立つ練習をしていました。
左足にはまだまだ体重をかけることはできません。
痛い痛いと悲鳴をあげながら、少しづつ体を動かしていました。
そばには、鼻と涙をふいたティシュペーパーがたくさんありました。
もう2週間して、様子を見ながら足に体重をかけていくとのことでした。


理学療法士の方の話。
歩くことを希望されていますが、歩くと、こけます。
また骨折して痛い思いをしますよ。
車椅子で生活してポータブルトイレを使うことを目標にしてはどうか。
と。

母が納得するでしょうか?
91歳とはいえ、頭の中では歩けるようになりたいと前向きです。
しかしながら、思いのように体はついていきません。


先のことは考えず、今できることをゆっくりとしていきましょう。
ここで、言いだしたら聞かない母の頑固さを発揮してもらいたいです。


昨日母の友人が4人、お見舞いに来てくださいました。
しっかりと話し、ちっともボケてなんかいません。
来てくださった方の健康を気遣い、励ましていました。
よほど嬉しかったのでしょう。
その後、ご飯も完食。元気になると張り切っていました。



山里も、ようやく桜が満開になりました。