酷暑の夏は過ぎ、秋へと季節は進んでいる。
「今日も 暑いですねー!」 他に言葉が見つからなかった今年の夏。
やっと、一息つけるようになった。
令和4年10月 隣に住む兄が急逝した。71歳だった。
不自由な体になっても、できる限り前へ向いて生きようとしていた。
引っ越してきて7年、老いた母との交流も楽しみだったろう。
学校を卒業して以来ずっと一人暮らしだったから。
何の前触れもなく、一人で逝ってしまった。
母に「100歳 もうすぐやなあ、がんばれー」もなく。
妹の私に「世話になったなあ、ありがとうなあ」の一言もなく。
でもきっと、いっぱい思ってくれていたと信じている。
令和5年2月、母は100歳を迎えることができた❣️
国から表書状と記念品も頂いた。
県知事さんや市長さんからもお祝いのお言葉や記念品も届いた。
市の広報にも載せていただいた。
介護施設の通所スタッフからも写真や色紙やお祝いもしていただいた。
母も戸惑いながら、嬉しそうだった。
介護のためUターンして一緒に暮らし始めて、10年を迎えた。
何度も骨折して入退院をくりかえしながら復活した、母の強さに脱帽です。
さすが、大正生まれは粘り強いですねー。
食事が楽しみで、毎食完食していた母が、5月9日の朝食を飲み込まなかった。
一旦入院したが、口からの食事はできなくなった。点滴のみになった。
在宅での看取りを決めて、訪問看護、訪問医療を始めた。
母自身が延命治療は望まないだろう、胃ろうも経管栄養もしないと決めていた。
でも、母の命を私が決めていいのかと、不安だった。
これでいいんだろうかと、焦りもあった。
一人涙があふれた。
そんな時、友人の一言に救われた。
「食事を取らなくなったのは、お母さんが選んだのよ。死ぬまでに体をキレイにして人生の終わりを迎えようとしているのよ。あなたが悩まなくていいんだから、お母さんが決めたんだから。」と。
本当に楽になった。そうなんだ。なら、わたしにできることで応援しよう。
訪問看護の週三回の点滴・清拭、かかりつけ医の診察、ケアマネの訪問に助けていただき6週間。
1日に何度も痰の吸引、おむつ変え、熱を出すので氷枕の交換、熱と酸素濃度のチェック。
YouTubeを見ながら歌を歌い、見守りながら編み物をし、足をさすり、うたた寝もした。
ずーっと母のそばにいた。
そして、100歳と4ヶ月 母は静かに逝った。
宇宙旅行に旅立った。
遺影の母は優しく微笑んで見守ってくれている。
またいつの日か会いましょう。