野田新首相の「どじょうが金魚に憧れても仕方ない」の出典は、相田みつをだったんだね。天木直人さんの8月30日付けブログで知った。
http://www.amakiblog.com/blog/
相田みつをは、得意ではございませんの(「嫌い」を意味するお嬢さま言葉)。なんだか、座布団を取り上げられない「笑点」のようなところがあるよね。やはり腹黒い楽太郎(現・圓楽)がいなければ。
相田みつをは、平成版・武者小路実篤といった存在だろうか。
昭和40年代には、日本中の家に武者小路実篤の色紙があったといわれる。
「君は君 我は我なり されど仲良き」なんて、今回のどじょうと金魚と同じ発想である。
今や相田みつをは、日めくりカレンダーになるほど、ポピュラーになっている。
この人気は、「愚」をもって貴しとなす、といったらいいのだろうか。
愚者と聖人は限りなくイコール。突き詰めていけば、西郷隆盛のような英雄に行き着く。南洲ファンには、同列で論じるな、と怒られそうだが、相田みつをが、庶民に受け入れられるのはよくわかる。
相田みつをが象徴するのは、熱しやすく冷めやすいこの列島住民の集合心性で、もっとも熱伝導率が悪い基底部分だ。
弥生時代から、ほとんど変化していないのでないか。
だから手強い。
相田みつをを、ばかにするのはたやすい。
しかし若い頃に否定した、アジア的やさしさに取り込まれていくのが、日本回帰のパターンである。これは古くて新しい転向論の問題だと思う。
野田は本当にプロレス好きなんだなあ。2008年の民主党代表選挙についてこんなコメントを残している。ジャンボ鶴田が好きなところには、敵ながらあっぱれといわなければならない。相田みつをより、こちらの方に関心があるかな。
「Yahoo!みんなの政治」より。
http://seiji.yahoo.co.jp/giin/minshu/000573/activity_etc/20080904.html
<今回の民主党代表選挙も 『雪の札幌』 を思い出しました。藤波辰巳 (現・辰爾) の待つリングに向かう長州力が藤原嘉明のテロに遭い、試合ができなかった。私もぜひとも小沢 (一郎) 代表と正々堂々と戦いたかった。リングに上がる前に、引きずり下ろされてしまいました。今でも無念です。 「かませ犬じゃない。」 なんてね。>
東京スポーツ新聞 (2008年9月4日)
拍手コメントのお返事はまた明日以降。アクセス、ありがとうございます。
http://www.amakiblog.com/blog/
相田みつをは、得意ではございませんの(「嫌い」を意味するお嬢さま言葉)。なんだか、座布団を取り上げられない「笑点」のようなところがあるよね。やはり腹黒い楽太郎(現・圓楽)がいなければ。
相田みつをは、平成版・武者小路実篤といった存在だろうか。
昭和40年代には、日本中の家に武者小路実篤の色紙があったといわれる。
「君は君 我は我なり されど仲良き」なんて、今回のどじょうと金魚と同じ発想である。
今や相田みつをは、日めくりカレンダーになるほど、ポピュラーになっている。
この人気は、「愚」をもって貴しとなす、といったらいいのだろうか。
愚者と聖人は限りなくイコール。突き詰めていけば、西郷隆盛のような英雄に行き着く。南洲ファンには、同列で論じるな、と怒られそうだが、相田みつをが、庶民に受け入れられるのはよくわかる。
相田みつをが象徴するのは、熱しやすく冷めやすいこの列島住民の集合心性で、もっとも熱伝導率が悪い基底部分だ。
弥生時代から、ほとんど変化していないのでないか。
だから手強い。
相田みつをを、ばかにするのはたやすい。
しかし若い頃に否定した、アジア的やさしさに取り込まれていくのが、日本回帰のパターンである。これは古くて新しい転向論の問題だと思う。
野田は本当にプロレス好きなんだなあ。2008年の民主党代表選挙についてこんなコメントを残している。ジャンボ鶴田が好きなところには、敵ながらあっぱれといわなければならない。相田みつをより、こちらの方に関心があるかな。
「Yahoo!みんなの政治」より。
http://seiji.yahoo.co.jp/giin/minshu/000573/activity_etc/20080904.html
<今回の民主党代表選挙も 『雪の札幌』 を思い出しました。藤波辰巳 (現・辰爾) の待つリングに向かう長州力が藤原嘉明のテロに遭い、試合ができなかった。私もぜひとも小沢 (一郎) 代表と正々堂々と戦いたかった。リングに上がる前に、引きずり下ろされてしまいました。今でも無念です。 「かませ犬じゃない。」 なんてね。>
東京スポーツ新聞 (2008年9月4日)
拍手コメントのお返事はまた明日以降。アクセス、ありがとうございます。
ほぼ日刊イトイ新聞より、10年前の話。
----
生死についての研究中、6月に国政選挙があり、
初めての不在者投票を、病院内ですませた。
そして野田佳彦氏は捲土重来が果たせた。
起久からの最終確定得票数 116.156票 の知らせが、
6月26日午前、覚えたてのメールに届いた時は
嬉しかったね。
当選は当然、と不安なんて微塵もなかったが、
あれほどの票数になるとは
ほとんどの人の予想を覆したに相違ない。
もう予想はよそう! と各陣営は歎いたことだろう。
実に、市民54万人のうち、5人に一人が、
「野田佳彦」 と記入したのだ。
有権者数の、4分の1、投票総数の約半分、という
驚くべき数字!
完勝! とはこのこと。
そして、野田氏の3年8ヶ月に及ぶ闘いは
見事な幕を下ろした。
この3年8ヶ月という日々は、
我々が想像できない闘いだったことだろう。
みずからの精神との闘い。
それまで、トントン拍子で昇り進んだ野田氏に、
妬みやっかみが趣味の市民たちは、
同情という 「いい気味だ!」を
慇懃無礼に示したにちがいない。
トントン拍子からの挫折に、立ち直ることは至難だ。
ガンジーの知人に、
絵の才能があり、トントンと芸大、トントンと日展入賞
と進み、当然おフランス、へ渡った彼は、
そこで初めて挫折感をあじわう。
ドンドン落ちる絶望感。
帰国した彼は、荒れたそうだ。
その後、絵筆は捨てたという、 母親の弁。
その後は知らない。
そういうヤツを好きにはなれない!
浪人中の野田さんに、
リンカーンのエピソードを綴った本のコピーを送った。
心をこめて。
その効果がどうの、ではない。
氏は一度ぐらいの負けでへこたれる人ではない。
その生涯にたった一度だけ負けた徳川家康の
「三方ヶ原」 と受けとめてる氏は、
その志も、家康そのものだ。
日本の現況と将来を憂い、
かといって大上段に構えるでもなく、
表面はごくふつーの年増青年。
だからなおさら好きなんだ。
(後略)
_______________
http://www.1101.com/ganji_san/2001-01-08.html