帰り際、地域猫のくろちゃんが待っていました。
ハイキング帰りの昨夜は会えず、ご飯を置いて帰っただけ。いつも私の退社する夜の6時から8時ごろにいるのですが、すれ違いがあり、必ず会えるとは限りません。
猫好きの地権者黙認のもと、地域猫ボランティアの方々のために用意されたくろちゃんの食卓は、通行人の目につかない、立体駐車場の奥まった場所にあります。
しかし彼女(女の子なのです)も食べるなら、街灯の明かりが届く明るい場所で食べたいようです。
かくして道端にうずくまり、猫に話しかけながらごはんを与える挙動不審の中年男の出来上がりです。まあ、私のことはどう見られてもいいですが、猫嫌いの人に見咎められ、勤務先にクレームがゆき、今後の活動に制約が出るのは避けたいところです。
今は冬が去り、春を迎えられたことに一安心しています。雪の日は、彼女が心配で、カリカリを持って彼女がいそうな場所をうろうろしたものでした。
4年前、近隣で地上げがありました。いまどき地上げ? はいはい、地主が亡くなって、たんに売りに出されただけかもしれませんね。しかし借地人が追い出される結果になったことには変わりありません。
この地上げに伴い、住民が退去して空き家になったマンションは、しばらく、くろちゃんきょうだいのねぐらであり、遊び場でした。
この2月から周辺区画の解体工事が始まり、マンションの解体が終わると、今度はその隣のおばちゃんの定食屋の解体が始まりました。
おばちゃんの店が閉店したとき、こんな記事を書いたものです。
あれから3年半、とりあえずお店はシャッターが降りたままでした。二階の住居スペースの窓には、カーテンが閉まっていて、まだおばちゃん一家が住んでいて、また店を再開してくれそうな気もしました。しかしそれは結局叶わぬ望みでした。
3月に入って5階建てくらいのマンションの解体が始まると、周囲には防音シートが張り巡らされ、おばちゃんの店は見えなくなってしまいました。
しかし先週まで2階部分までは残っていたマンションも完全に瓦礫(ガラ)を残すのみとなり、今日はおばちゃんの店の解体が始まったところでした。会社の窓から見ていると、昼までに二階部分が半分ほど壊され、夕方には一階部分にもショベルが入り、お店部分まで解体されたところでした。
もしかしたら、お店の内部が見えるかもしれない。急ぎの仕事もなかったので外に出て、解体現場に近づくと、店内の風景を見ることができました。
目に飛び込んできたのは、昭和感あふれる、壁一面に貼られた赤枠のメニュー札でした。「俺はコークだ」の松山千春のポスターは、私の目の前の壁側に貼ってあったので、残念ながら見ることができません。
250円の豚汁、150円のご飯中盛。これだけでお腹いっぱいになり、午後の仕事もがんばれたものです。まあ、白ごはんでなく焼き飯にすることが多かったかな。定番メニューの焼き飯が400円から500円に値上がりしたのは、消費税が5%から8%に値上がりしたときではなかったでしょうか。3%から5%、8%から10%のときは据え置きだったように思います。
業務スーパーで、カートに食材をたくさん積んだおばちゃんに会う機会がよくありました。閉店の数年前、大将が亡くなり、食材の仕入れまで自動車免許のないおばちゃんの仕事になったのが、やはり負担だったのでしょう。閉店を決めたのも、健康面のこともあったようです。
このおばちゃんのお店は、いろいろ思い出の尽きないお店です。このブログのどこかにある「よみがえる難波宮」のDTPを担当してくれたIさんも、このお店の常連でした。
昼前に原稿を渡して、昼に行くと、Iさんが先にお店にいて、ごはんを食べていたものです。おばちゃんのお店は、ごはんがほこほこして、だしの効いたおみそしると、すごく合うんです。
糖尿病の初期、塩分も控えろといわれて。おばちゃんの店で、ごはんと冷奴とほうれんそうのおひたしだけで昼ごはんにしていたら(もちろんお醤油なし)、「お兄ちゃん、どないしたん?」と心配された日のことが、昨日のことのように思い出されます。
おばちゃん、長い間、いろいろありがとう。脳梗塞にもなってしまったけれど、今も楽しく生きているよ。おばちゃんも元気でな。
父がぉ世話になりました…! 最近の父はハイキング、がんばってます…!