新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

わびさびて、箕面の滝へ 7月25日の記録②

2020年07月27日 | おでかけ

 駅前の雰囲気が違うのは、前に来たときと改札が違うのだろうと最初は思った。駅周辺の案内地図を見て確認する。駅からそう遠くなかったはずだ。しかし「逸翁美術館」がどこにもない。

 「はて?」と首を傾げた。見つからないのも当然である。逸翁美術館があるのは、次の池田駅なのに、石橋阪大前駅で降りていたのだから。記憶が混線して、石橋と池田が同一視されてしまったらしい。「い」しか合ってねえ。「わびさび」といいながら、ポンコツで、経年劣化を起こしていたのは、侘び寂びた私の方だったらしい。

 改札に入り直すと、箕面線のホームが目に入った。そういえば、箕面の滝もまだ見たことがない。

 遺言でわが労組に浄財を寄付くださった故Aさんは、箕面にお住まいで、晩年は自宅から箕面の滝までのウォーキングを毎朝の日課にされていたという。お礼かたがた、いつかAさんの愛した箕面の滝に行かねばならないと思っていた。行くなら、いまではないのか。「わびさび展」は、9月までやっている。まあ、箕面の滝もいつでもそこにあるけれどね。

 たった4駅である。「桜井」や「牧落」という途中の駅名に、歴史を感じる。どんないわれがあるのだろう。

 箕面駅到着。駅に着いたとたん、雨が降り出した。傘を差し、信号を渡り、箕面の滝に続く坂道に入る。名物の紅葉の天ぷらを売る土産物屋が並んでいた。この道は舗装されているので、お年寄りでも小さな子どもでも安心である。ベビーカーの家族連れともすれ違った。しかし駅から滝まで2.7キロ。結構距離はある。

 雨の中、わざわざ箕面の滝に出かける物好きは少ないらしい。何組か帰りの人たちとすれ違った。雨の止んでいた頃に向かった人たちだろう。ゆるやかな坂道を歩いていくと、懐かしい感じもする文字列が目に飛び込んできた。

 「世界一家 人類兄弟」



 振り返ると、このスローガンを掲げた人物の銅像が建っていた。



 笹川良一59歳が、母テル82歳を背負って金比羅参りの785段の石段を登る「孝子像」(こうしぞう)である。そういえば、笹川は箕面市の名誉市民だった。笹川良一といえば、「一日一善」「『戸締まり用心、火の用心』のおじいちゃん」だった。

 同じ像を見たのは30年近く前、笹川財団と知らずに訪ねた船の博物館だった。笹川コレクションは、いかにも右翼の成金趣味で残念すぎた。遺産の美術品は贋物ばかりだったというが、笹川にはあまり審美眼はなかったのだろう。笹川良一は株取引の天才で、競艇という集金システムを持ちながら、遺産相続時には負債しか残らなかったという逸話も残る。右翼活動も慈善活動も、私利私欲ではなかったのだろうが、だからこそ始末に負えない。元秘書の愚息が代表を務める大阪維新も、笹川が日本に残した負債といえるか。

 途中に昆虫館があるが、クワガタやカブトムシを売っているお店もあった。われわれも試験的に養殖を始めたところなので(今は夏休みの自由研究レベルだが)、値段が気になるところである。






 さらに進むと、野口英世の像の案内板もあった。ここが中間地点のようである。しかし坂道を登らねばならないらしいので、また今度。

 



 7月17日に解除されるまで、落石で通行止めだっただけはある。渓谷にはたくさん倒木があって、所によっては丸木橋になっていた。ちょっと渡ってみたい(絶対転落する)。





 滝までの道は舗装されているが、結構な山道である。唐の貴人が箕面の滝を訪ねようとしたが、あまりの険しさに怖れて立ち返ったという「唐人戻岩」(とうじんもどりいわ)に、大原の鯖街道を少し思い出す。こんな感じの断崖で、火打ち石が採れるスポットがあった。







 2.7キロは意外に遠かったが、ようやく箕面の滝に到着した。
 
 長雨が続いただけあって、ものすごい水量と爆音である。文字どおりの「瀑布」である。





 箕面の滝は、箕面グリーンロードの建設で水脈が枯渇して、ポンプでくみ上げた人工滝といわれたことがある。しかし、たしかに箕面グリーンロードは、湧水をポンプにより送水して箕面川に放水しているが、放水ポイントは箕面の滝からは3.4キロメートル離れており、これは全く事実ではないらしい。噂を信じて、悪いことをした。

 緩やかながら、だらだらと坂道が続いた。しかしiPhoneの万歩計を見たら、ほんの9階分である。まあ、そんなものか。

 売店でビールと鮎の塩焼きを売っていて、以前の私ならすぐ飛びついたが、飲むのは町に帰っての楽しみである。滝を写真に撮ったところで、駅に引き返した。(つづく)




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