新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

森毅さんを悼む

2010年07月28日 | お悔やみ
 7月25日、数学者の森毅さんが亡くなった。享年82歳。

 昨年、調理中に大やけどを負ったというニュースに、「あの年齢で料理なんてたいしたものだ」と感心するとともに、「大丈夫だろうか」と心配した。ついに復帰はかなわなかった。

 森さんの名前を知ったのは、25年前、臨教審を特集した朝日ジャーナルの別冊だった。森さん風にいえば「間違ったっていいじゃないか」という文脈だったのだろう。「京大にはひどい男がいて」と、学生との団交時のある反動教官の発言を紹介していた。

 「おまえらの言うことは正しい。おれもその通りだと思う。しかしおまえらも大人なら、世の中正しいことだけで動いているわけじゃないってことはわかるな? だったらおれの言うことを聞け!」

 この反動教官は、河合隼雄だったように記憶するが、定かでない。しかしこの悪党ぷりは痛快で、思わず笑ってしまったものだ。中高生のためにささやかなブックガイドを作ったとき、『ひとりで渡ればあぶなくない』だったか、森さんの著作も入れた覚えもある。「ぼちぼちいこか」「ええかげんで、いいんや」という森さんのおおらかさは大切にしてほしいと考えたからだ。

 もっとも、その限界も同時に感じていたように思う。「朝まで生テレビ」で、森さんが戦時中の話をしていたのを偶然見たことがある。たしか、「自分は軟弱非国民少年時代だった」という内容だった。

 「そんなことを言えるのは、恵まれたエリート家庭に育ったからだ」と大月隆寛がただちに批判した。森さんの表情は歪み、黙り込んだ。

 大月の言うとおりなのだ。世の中は、北野高校や京大に入るようなお利口さんばかりではない。しかし「一刀斎」を名乗りながら、どうして軽やかに切り返すことができなかったのか。エリートだからどうした。肩書きを離れたら誰もがたんなる人で、裸一貫である。そこに知識人の限界も感じた。

 ただ、同時代に森さんのようなご隠居がいることに、跳ね返りの極左活動家も、午後の日だまりの縁側で渋茶をすすっているような安堵も感じていた。25年後のいま、労組をやりながら、若手の突き上げを京大方式(?)で弾圧していたりする。「おっちゃんに話を聞いてもらいたいのか、勝負に勝ちたいのか、どちらか選べ」と付け加えるのが、私なりのアレンジだ。こころよりご冥福をお祈りしたい。

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