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柏木隆雄先生が大阪市市民表彰を受けました…はぃ!

2023年02月11日 | 文学少女 五十鈴れんの冒険
大阪大学・大手前大学名誉教授の柏木隆雄先生が、大阪市市民表彰を受賞されました…!
ぉめでとうございます…はぃ!





柏木名誉教授のコメント
 この度大阪市市民表彰の理由の一つに「大阪学講座」の確立・発展に尽くした、とあり、これは私が放送大学大阪学習センター所長の時に企画した特別講座を指すものと思われます。いささか事実誤認のところからの受賞かもしれませんが、おそらく阪大文学部長としてあって以来、一貫して協力してきた上方文化芸能協会の機関誌「やそしま」第15号、最終第16号に寄せた拙文を読まれた方が、大阪文化への寄与の証として推薦されたのでしょう。これまでの学術関係の受賞者には故信多純一先生を始め国文学の錚々たる方々が多く、フランス文学を専攻する人間が初めて表彰されるのも、それなりに意味あることと、ありがたく拝受した次第です。大阪市の近代化は、中之島の開発から始まりましたが、そのモデルがパリのシテ島のたたずまいで、市庁舎やノートルダム、裁判所その他が中州に建てられて発展していったのを、当時の大阪市の要路の人たちがモデルとした、という話もありますから、あながちフランス文学者も受賞しておかしくないわけです。
2022年12月
柏木隆雄

フランス文学者では初めての受賞なんだそうです…はぃ!

上方文化芸能協会は、実は父も会員です。本当は先生のことを存じ上げていたのでした…はぃ。岡田嘉夫先生とも、この会でお目もじが叶ったんですよ…? 

司馬遼太郎さん、大阪大学総長の免疫学者の山村雄一さん、サントリーの佐治敬三さん、そして南地大和屋女将・阪口純久(きく)さんとの仲睦まじい交遊から、上方文化芸能協会(現在は関西・大阪21世紀協会に統合されて、上方文化芸能運営委員会)は、生まれました。

しかし、上方文化芸能協会も2022年度をもって解散してしまいます…。来月2月8日の「花の集い」が、最後のイベントになります…はぃ。以前、梨花ちゃんと一緒に参加したぉ能と狂言の会も、この上方文化芸能協会の主催だったのです…!

柏木先生がMさんと編集してきた上方文化芸能協会の機関誌「やそしま」は、父の愛読誌でした。

第15号で柏木先生が寄せられた「追悼・肥田晧三先生」は、なにわ学の権威の関西大学名誉教授の肥田先生に捧げた追悼エッセイです。柏木先生が初めて肥田先生の謦咳(けいがい)に接したのは2006年とわりと最近でしたが、ぉ名前は学生時代からご存知だったとか…。柏木先生は、、谷澤永一さんが『紙つぶて』で肥田先生の著作に高評価を与えていたことが印象に残っていたんだそうです…はぃ。

肥田先生は『やそしま』名物の鼎談コーナーにもたびたび登場され、寄稿もされていました。大阪の文化を語るには欠かせない偉大な先生だったことが、柏木先生の文章からひしひしと伝わってきます。肥田先生の大阪に関する造詣、そして大阪愛は、ある方もおっしゃるように底知れません…! 

柏木先生が編集に携わった『なにわ古書肆 鹿田松雲堂五代のあゆみ』も、肥田先生のご協力なくしては成り立たなかったんだとか…。父は柏木先生の謦咳(早速使ってしまいました…はぃ)に接する前から、このご本を持ってぃました。

柏木先生は、このぉ仕事で、本来なら鵜の目鷹の目の同業者には決して見せることのない、肥田先生のぉ仕事用の部屋にも立ち入りを許されたのだとか。書籍空間は学者さんの「企業秘密」が詰まった場所で、通常はご家族か親しい友人か編集者以外は立ち入りが許されないのだそぅですが、それは思い出深い古書肆につながる人びとだったからだろうと柏木先生は振り返ります。柏木先生には『本とともに人とともに』とぃうご本がぁりますが、本は人なり、人は本なり、とぃうことでしょうか。『チャリング・クロス街84番街』や『ビブリア古書堂の事件手帖』のように、古書がつなぐ人と人との絆、そして物語がぁるのですね…はぃ。

この追悼エッセイでは、長年探していたご本が手に入ったら、旧知の方の蔵書印があることを知った肥田先生のこんなぉ言葉を紹介されてぃます。すべての本好きは必読のぉ言葉です…はぃ。

「本なんてそんなものです。あるべきところにしかないのです。だから旧蔵者が亡くなったらそれが市場へ出て、それを欲しいと思っている者のところへ行くんです。本の流通は絶対そうなっています。あるべきところにしかない。持っているべき人のところにしかないということを、長年本を買うて来てそのことを思います」(『近世風俗文化の形成-忍頂寺草稿および旧蔵書とその周辺』)


『やそしま』最終号となる第16号には、柏木先生は「『やそしま』の十五年」と題したエッセイを寄せられてぃます…。これが、『やそしま』に掲載された記事のすべてを紹介する、本当に素敵なエッセイなのです…はぃ! 紹介の仕方が絶妙で、『やそしま』を全巻読んだ気分になり、また原文を読んでみたい!と思う内容なのでした…はぃ! 

秋成ファンの父は、創刊号に掲載された秋成さんの権威の大阪大学教授の飯倉洋一先生のエッセイをご紹介いただき、秋成さんが文章を学ぶ女性の模範文例集として書いた、住吉大社の御田植神事の帰りに舟に乗って蛍狩りに行くエピソードを読んで、当時の大坂の人はどこで蛍を見たのか、楽しそうに調べてぃました。父の編集者としてのぉ師匠さんは、全盛期の学研の『科学』の編集長だった方で、動植物の図鑑を作っていましたから、自然には意外に強いんですよ? 父いわく、戦前までは蛍の名所だった、蕪村さんの生まれた毛馬のあたりではないかということです。みなさんは、どう思いますか?

柏木先生がこの『やそしま』最終巻の巻頭に掲げた「口上」を、みなさんにご紹介します。

〈今を去る平成十九年(耶蘇紀元二〇〇七年)十一月わたの原八十島かけて漕ぎいだ
せし その名も「やそしま」てふ瀟洒の冊子 回を重ねて令和四年舞ふ蝶に舞ふ獅子十六年 牡丹の艶やかさを添へ本誌をもつて終刊 始めあれば終はりありの世の習ひ 江湖の愛読者に向けて惜別の言葉を盟 [かみかけて]三五大切既往十五巻に縁[ゆかり]ある博雅の誌友に託してまずは御披楽喜[おひらき]に及ぶこと件[くだん]の如し 冀[こひねが]はくは京洛浪速の文華いやますますの隆盛あらんことを。〉

父は最近、「昭和は生きている」というエントリを書きました。フランス文学者の柏木先生が元号をお使いで、西暦をわざわざ「耶蘇紀元」とお書きになるところが印象に残ったようです。ぉ連れ合いの加代子先生ぃわく、隆雄先生は「西洋嫌いのフランス文学者」なんだとか。

休刊の決まったぁる同人誌は、柏木先生ご夫妻が常連でした。しかしこのぉ二人のご寄稿が、マーク・トウェインさんの『アダムとイブの日記』のようで、同じことを描いても夫と妻とで視点が違って、すごくおもしろいの…! 同人誌の主宰の方には、「誌上で夫婦喧嘩はやめてください」とたしなめられたそうですが、「トムとジェリー、仲良く喧嘩しな」とエールを贈りたくなる、楽しいテクストでした…はぃ。

柏木先生の『やそしま』最終巻の編集後記もすばらしいものでした…はぃ!

〈「鳥の将[まさ]に死なむとする、その鳴くや哀し」とあり、それに続けて、「人の将に死なむとする、その言や善し」(『論語』「泰伯」)といいます。上方文化芸能協会が四十年の歴史を閉じ、その機関誌『やそしま』が本誌十六号をもって最終巻とするにあたって、はたして言善(げんよ)く本号の意義を語ることができるかどうか、はなはだ心許ないのですが、幸いにして上方文化を代表する方々から、最終号をねぎらい、その功を挙げてくださる言葉で飾ることができましたのを、何にも増して喜びとしたいと思います。(中略)
古い中国の詩に「巳(すで)に見る、松柏摧(くだか)れて薪(たきぎ)となり」の一句がありますが(『唐詩選』、劉延芝「代悲白頭翁」(はくとうおうかなしむにかわる)、編集にあたった松柏は、本誌をもって、「摧れて薪」と化しましても、またその灰から新しく上方文化の高揚を標榜する新しい松柏の苗木が多く萌え出ることを疑いません。
本誌「やそしま」へのご愛顧、ご愛読に改めて感謝するとともに、読者諸賢のご清栄をお祈り申し上げます。(松柏)〉

「松柏」は、編集スタッフのMさんと、柏木先生のお名前を取った共同ペンネームです。

『論語』に始まり『唐詩選』で終わる格調高い名文に、傲岸不遜な父も舌を巻いて、「先生のご専門、フランス文学なのになあ。学者さんなのになあ。和漢洋才、まるで明治の大文学者だよ」と呟いてぃました…はぃ。

いま「夕刊三重新聞」で、柏木先生は『知の系譜』と題して、故郷の松阪ゆかりの本居宣長さん、本居春庭さん(宣長さんの長男)、そのぉ弟子さんで曲亭馬琴さんの親友の小津久足さん(安二郎さんの大伯父さんです)について連載されてぃますが、柏木先生の日本文学、国文学の造詣は、父によれば専門の学者さんたちをはるかに超えているのだそうです…はぃ! それに、『フランス流日本文学』をぉ読みになった方ならぉわかりのとおり、柏木先生のテクストはすごくおもしろいんです…! 専門のフランス文学に日本文学・国文学、その上に『論語』や『唐詩選』などの漢籍の知識。まさに和漢洋才…ですね!

私は、『やそしま』十四号に柏木先生が書かれた「谷崎潤一郎と上方料理」が好きです…はぃ! 谷崎さんの全作品に現れる食の表現を探究したエッセイなのですが、関東時代は案外紋切り型のメニューしかなくて、関西に来て後のパートナーとなる松子さんに出会ってからは、一挙に表現が豊かになったのだそうです。『細雪』の四姉妹の食の嗜好が、それぞれの境遇や運命も暗示しているとぃうぉ話も、ものすごくおもしろいのです…! 

しかし、最初に書いたとおり、上方文化芸能協会は、2022年度をもって解散してしまいます…はぃ。

父がこの会に参加したのは、ほんの偶然でした。2015年の春、会社の偉い人のところにFAXで届いた屋形船のイベントのお知らせに、「参加したらどうか」とぃわれ、撮影部門担当だった父は、「大川から桜を撮るのもおもしいね」と参加を決めたのでした。しかし、その屋形船は、大和屋女将、阪大の岸本忠三元阪大総長、柏木先生という関西の重鎮ばかりで、父も帰りたくなったのだとか。しかし、その場に岡田嘉夫先生がいらして、たまたま持っていた源氏物語の本を献呈したのでした。岡田先生が父の著作を気に入っていただき、協会事務局のMさんのおすすめで、上方文化芸能協会の常連になったそうです…はぃ。

父は2019年に脳梗塞で二度にわたり入院生活を送りました。しかし、自分の心身の変調は、それ以前から感じていたようです…はぃ。付き合いの多かった父ですが、労組代表の座も後継者の方に譲り、労組を通じて取り組んでいた社会貢献事業も、この上方文化支援事業と、ライフワークの農業事業に絞り、それ以外は棚卸しして一切関わりをやめてしまいました…はぃ。
.
上方文化芸能協会が解散して、父が今まで上方文化支援に向けてきたエネルギーはどこにいってしまうのでしょう。

「うーん。今年は草刈機の扱いの習熟に努めるよ」

今年は農業に傾注するつもりらしいです…はぃ。いわゆるリアルで父を知るみなさん、今年は突然、不揃いな作物を送りつけられるかもしれません。どうぞよろしくお願いします。最後に、柏木先生、本当におめでとうございます…はぃ!

(2023年1月22日記)

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2 コメント

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Unknown (白鑞金)
2023-02-06 05:25:51
>肥田晧三

いつも和服姿で学内をうろうろしていましたね。当時はまだ教授でした。

>谷澤永一

「神つぶて」でちょっと驚いたのはポストモダンと村上春樹旋風が学内を吹き荒れる前すでにバフチンのドストエフスキー論を高く評価していたところかな。

でも代表作は今なお「回想 開高健」なわけで、結局最後まで開高健のスポークスマンとしての存在価値が遥かに高いのが残念な人に思えます。開高の育ての親は「ワシだ」と。

で、開高の妻(牧羊子)と谷澤とが開高のレジェンドの取り合い奪い合いを演じるという、目もあてられない終幕とともにに消え去っていったのでした。もっとも、開高健も牧羊子も谷澤永一主催の同人誌の同人ではありましたが。また、同人にはならなかったけれど藤本義一という異才が掠めていたところも面白いと思いました。

ではでは。
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Unknown (kuro_mac)
2023-02-16 08:37:13
コメントありがとうざいます。
肥田先生、学内でも着物とは、それはさすがに目立ちますね。
来月は関大OPのお偉方が主催する飲み会に出席するのですが、肥田先生の話をしたら、盛り上がるかな?
谷澤栄一は興味がなく、開高健も『オーパ!』と評伝を2冊読んだだけで、よく知りません。評伝のうち一冊が、小玉武『評伝開高健』で、柏木先生がちくま文庫版の解説を手掛けています。こちらも機会があればご覧ください。
藤本義一も、11PMのおっさんとしてしか知りませんが、一つ感謝しているのは、インディアンカレーを絶賛していたことですね。柏木先生にとっても青春の味のようです。
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