登場人物
五十鈴れん
中学3年生。 いまはエッセイストの人になる夢の実現に向けて、いろいろチャレンジ中。蕪村展をみて、『晩秋遊鹿図』と蕪村の遺作を弟子の呉春が絵画化した『白梅図』に深く惹かれた。日課になっているイラスト入りの日記では、一人称が「僕」になる。「君」とは人間失格編や能・狂言編に登場したあの人のこと。
五十鈴九郎
お父さん。ひとり娘のれんを溺愛する元左翼の会社員。ときどき文章を書いて暮らしている。いまは組織・運動とは距離を置いて、労組の活動や里山再生などに取り組む。
早乙女和子
れんの母、九郎の妻。戸籍上は「五十鈴」。中学教師を経て、大学時代の親友の鹿目詢子の経営する会社の共同経営者となる。九郎とは高校のクラスメート。仕事で大阪に移り、九郎と再会し、紆余曲折ののちに結婚。
(1)家族のひととき 『晩秋遊鹿図』の鹿はなぜ夏毛なの?
お母さん よかったね。家に逸翁美術館の図録があって。
お客さんに招待券いただいて、詢子(じゅんこ)とまどかとクロくんと私の四人で行ったときに買った図録だ、これ。
まだきみが生まれる前だね。『ベルばら』時代の美術というテーマだったかな。
れん ベルばら! ぉ父さん、好きそう…!
お母さん そう思うでしょ?
でも、「おれはヅカにもベルばらにも興味ねえ。おれはフランス革命なんか嫌いなんだ」って嫌そうな顔するの。信じられなかった。
「ロシア革命嫌いなくせに、左翼やってたじゃん。いいから、ついてこい」って、いやがるのを無理やり連れて行ったんだ。.
結局、いちばん夢中になって見ていたのは、あの人よ。
昔からそういうやつなんだ。
れん ぉ父さんらしい…ね。
ぉ母さんは、ぉ父さんの最大の理解者でぉ父さんの専門家です…本人よりもぉ父さんに詳しいかも…。
お母さん そうかい? 私は、きみたちのツーカーぶりが、少し妬ましかったりするけどな?
その鹿の絵、さっきからずーっと見ているね。
好きな絵の前に立つと動かなくなるのは、クロくんと一緒だ。
れん そうなの? この絵を見ていると、とっても優しい気持ちになれるんだ…。
でも、晩秋なのに、どうして夏毛なのかなぁ。
お母さん デザイン上、そうしたんじゃない?
れん デザイン……?
お母さん 鹿をリアルに冬毛に描いてしまったら、周囲の風景に馴染みすぎちゃうと思わない?
だって保護色なんだから。鹿を引き立てるために、白斑の入った明るめの夏毛にしたんじゃないかな。想像だけどね。
れん たしかに…! ぁ、図録、片付けなきゃ…。
お父さん お茶が入ったよ…はい、みたらし団子。
きんつばは冷やして晩ごはんの後にいただこうか。
お母さん いただきまーす。ぱくっ。
んー! おいし! 池田駅構内に喜八洲総本舗があってよかった! 最高かよ!
クロくんお弁当バッグ持っていったの、焼きたてを冷めないようにするためか。
さらに温め直して正解!
お父さん それはよかった。
れん でも鹿さん、どうして冬になると、バンビ模様の白い斑点が消えちゃうんだろ…?
ぁ、ぃただきます…。(はむはむ)
お父さん 鹿は森の中で暮らしているからね。白い斑点は木漏れ日のように見せかけた迷彩柄だそうだ。葉が落ちる冬には、この斑点が消えて、毛の色も暗くなって、枯れ葉や木に擬態する。
れん (こっきゅこっきゅ)はー。ぉ茶もぉいし。
なるほどー。
でも、絵をよく見せるために、蕪村さんは逆にしちゃったのかぁ。
お母さん (ぱくぱく) 浮世絵でも、月や富士山があらぬ方向に描かれていることがよくあるじゃん?
クロくんがエッセイで書いてた広重の絵も、海と山が逆だよ。あっちのほうが絵になるって思ったんだろうけれど、いまならSNSで炎上もんだよね。(もぐもぐ)
ほら、クロくんも、どう? たまにはいいじゃん。
お父さん じゃあ一本だけ。(ひょいぱく)
れん (もくもくもく)
お母さん (ぱくぱくぱく)
お母さん はー。おいしかった。
夜はきんつばが楽しみー。冷酒にとっても合うのよねー!
れん ごちそうさま…ぁ、ぁりがとう…(ぬれティッシュ、ふきふき)…えーっと…(図録ぱらぱら)…もふー。
お母さん また鹿の絵みてる。
しかしきみたち父娘(おやこ)の血は争えないねえ。クロくんは蕪村の書を指でなぞっているし、れんは絵を写しているし。
クロくん、台北の国父紀念館で、孫文の書を写し始めて、追い出されちゃったことあるよねー。
お父さん きょうも待たせちゃって悪かったね。ホールでやっていた前期展の映像を、われわれが戻るまで5回もリピートさせてしまった。
お母さん いいんだよ。きみたちが楽しめたなら。
れん ぉ母さん、ぁりがとう…!
お父さん この鹿の絵、美術館で見たときもそう思ったけれど、こうやって図録で左右平面に並べてみると、ますます、れんちゃんのいうとおり家族にしか見えないねえ。
お母さん ほんと。左の牝鹿、右の牝鹿より体も小さくて、幼い感じがする。
でも、この牡鹿、何でWrist Cut してるんだろ。足首だから、Ankle Cut か?
牡鹿の鳴き声が「妻恋」って万葉人には聞こえたそうだけど、あんたの妻、目の前にいるじゃん?
ねえクロくん、きみもそう思わない? こんな超有能で美人の妻がいて、素直でかわいい娘にも恵まれて、いったい何が不満なの?
お父さん えっ、おれ、この牡鹿なの?
れん くすくす。ぁのね、蕪村さんがこの絵を描いたのは五十歳ごろなんだって…図録にそう書いてぁった…。
阪急電鉄さんのブログをみたら、讃岐国に滞在してぃたころに鹿の絵を何点か描いてぃるんだそうです…はぃ。
お父さん ほほう。そのころにはひとり娘のくのも生まれているね。妻子を京に残して単身赴任だったのか。
お母さん 丸亀に出張したとき、お客さんに蕪村寺に案内してもらったよ。正式名は妙法寺だったかな。このお寺に滞在したとき、有名な『蘇鉄図』を描いて、このお寺の寺宝になってんの。
讃岐で蕪村はかなり苦労したみたいよ。物乞いのようなボロボロな姿で、お寺の門前に立っていたんだって。
お父さん なるほど!
うん。なぜこの鹿たちが夏毛なのかわかったよ、れんちゃん。
れん ほんと?
お父さん うん。このお父さん鹿も、蕪村と同じびんぼうな絵描きなんだ。
「私たち家族三人、これからどうなるのかしら」
と、将来の不安を訴えるお母さん鹿に、
「いいじゃねえか、おれたち三人だけで?」
と、お父さん鹿が強がっているところなんだよ。
お母さん なにそれ。つげ義春さんの『無能の人』?
なるほどね。びんぼうだから、夏毛から冬毛に着替えることができないわけね。
お父さん 「貧乏に追いつかれけりけさの秋」と詠んだ蕪村も、お金には苦労したようだ。
「清貧」という気取ったものではなく「貧困」そのものを生きた人で、貧者や弱者にシンパシーを抱き続けた人だった。
だからこそ「百姓の生きて働く暑さかな」なんて、プロレタリア文学張りの骨太な句を詠むこともできた。
いや、こんないい句を詠めるプロレタリア文学者は、中野重治か梅川文男くらいしか知らないけどね。
れん 蕪村さんがこの鹿さんたちを夏毛にしたのは、たんなるデザイン上の理由だけでなかったとぉ父さんは思ぅ…?
お父さん うん。蕪村は何もかもわかった上でやっているような気がするよ。
この絵を見たパトロンや弟子たちと、こんな会話のやりとりがあったかもしれないね。
「センセ、この鹿、もう冬なのに夏毛でっせ。悪目立ちして、猟師にすぐに撃たれまんがな」
「わしら家族といっしょで、この鹿もびんぼうでなあ。冬毛に着替える金がおまへんのや」
お母さん なにそれ、受ける。めったに使わないけれど、クロくんの大阪弁、とぼけた味があって好きよ。
なんだか私もクロくんのいうとおりな感じがしてきたわ。
お父さん ありがとう。
れんちゃんのいってたクィア説のように、この鹿の絵はさまざまな受け取り方ができるね。孤悲(コヒ)のかなしみは、牡のものばかりじゃない。
そういうジェンダーの視点からこの絵を解釈するのもおもしろい。
お母さん クイア説? きみも父親に似て、ときどき飛躍したことをいうね。
れん 野生動物の世界ではクイアも当たり前って、科学記事で読んだことがぁって…。
だからこの牝鹿さんたちは、もともと、恋人同志だったのかも、って思ったんだ…。
お母さん Rockね。男はふたりを引き裂いて恋人を奪ったけれど、女はいまも昔の恋人に惹かれていて、こいつ拗ねているんだ。ガキね。そんな感じ?
れん ぅん、そんな感じ…。
でも、やっぱり家族なんだろうなって思い直したんだ。
左の子にもひとりぼっちでいてほしくないから…。
蕪村さんは、くのちゃんが心配で仕方なかったんだろうなぁ…。
お父さん 当時は人生五十年といわれていたからねえ。
それにこの絵を描いた当時はいちばんかわいい盛りだ。れんちゃんも……
れん むぅ。五月山動物園で、羊さんに威嚇されて泣いちゃった話なら、もぅぃいから…。
お父さん ごめん、ごめん。
じゃあ、夕飯の支度にかかるかな。今日は池田名物の食材を使うから楽しみにね。
お母さん うん、お願いね。
あら、このポストカード買ってきたの?
『奥の細道画巻』のラストシーン。曾良と別れて途中から一人旅で、終点の大垣で弟子たちに迎えられたところね。
れん ぅん。ぉ父さんが昔、大阪市立美術館で見たのは別の絵巻で、この絵は入っていなかったんだって。
お母さん 芭蕉って、僧形で旅に出たんだよね。白髪で髪ぼうぼうなところがリアルだわ、これ。
れん 芭蕉さん、ぉ弟子さんのぉ弟子さんにあん摩してもらって、気持ち良さそう…。
お母さん ほのぼのして、とってもいい絵だわ。「長旅、お疲れさまでした」ってところね。
今日はきみもお疲れさま。
れん うん…じゃ、私もぉ夕飯まで、ぉ部屋で勉強するね…。
お母さん うん。夕飯になったら呼ぶから。
(2)れんの日記 「白梅図」その永遠の朝 終わらない夜
きょうは久しぶりに昼に日記を書いてみようと思う。
といっても、もう夕方だけれど。
さっき父からクィアの話が出たのには、少し焦った。
父は僕の意見には興味がなさそうで、聞き飛ばしていたように見えたからだ。
前期展であの鹿の絵をみて、解説を読んだ父は、眉を潜めた。
「万葉集か。メスも?」
自然界では、どんなに牡鹿の数がすくなくても、自然界で牝鹿が「あぶれる」ことはないといいたかったのだろうと思う。
若いころの父は動物図鑑を作っていたし、いまは農業事業で、鹿対策は重要な課題である。
「クイアなのかも」
僕はそうつぶやいた。
父は僕のつぶやきに「ほう」と感心した。
父がどう思ったのかはわからない。
僕はつぶやいてから後悔した。
父がクイアに対して、差別や偏見がないのは、わかっている。
僕個人のことならいいけれど、君の秘密に関わることだったから。
僕は絵を見直して、こういった。
「でもやっぱり家族かな」
「そうだね」と父はうなずいた。
父はこの説を気に入ってくれたらしい。
あの鹿たちがなぜ夏毛なのか、『無能の人』を引用しながら面白おかしく解説してくれた。
しかし僕自身も、クイア説のことは、父に指摘されるまで忘れていた。
左隻の牝鹿を一瞬でもクイアと考えたのは、その日、10年ぶりに五月山公園に寄ったことが大きかったと思う。
僕も小さな人たちに混じって、ウォンバットやエミュー、ヤギやヒツジ、アルパカたちに癒やされた。
10年前、僕は羊に威嚇されて泣いてしまったそうだ。
今日も、あの羊は僕を威嚇していたのだろう。
「今日は泣かなかったね」
と、父は笑った。
全く、何年前の話をしているのだ。
親たちの中では、僕は五歳児のままらしい。
全く、納得が行かない。
今は僕の座右の書になっている『女の子の食卓』は、元々、父のものだった。
父は気づいていないようだったけれど、『公園のベンチで食べた皮つきチキン』の舞台の「S山公園」は、五月山公園ではないのだろうか。
動物園を併設した「城山公園」の可能性もあるけれど……。父の故郷(生まれたのは日本海側の町だけど)にも「城山公園」があり、あの漫画の作者も父と同郷で、主人公の年齢を考えると、「動物園」のリニューアル時期が微妙に一致している。
しかしその動物園はあまりに劣悪な環境で、「動物虐待」だとSNSで炎上していた。あれはひどすぎる。
いまでは改善されたようで嬉しいけれど、『皮つきチキン』はとてもつらい話だから、せめて動物たちには幸せでいてほしい。だから城山公園の線は無しだ。
10年ぶりにS山公園を訪ねた僕の目には、左隻の月の下でひとりぼっちの牝鹿が君に見えてしまった。
右隻の牝鹿と牝鹿のカップルは、君の「お姫さま」と「王子様」だ。
S山公園のベンチで、皮つきチキンのサンドイッチとお茶を用意して、一日告白の返事を待つ覚悟の「みちるちゃん」は、「まんま自分のこと」だと、あの日君は話してくれた。
公園に遊びに来た幼い主人公は、喫茶店のお姉さんの「みちるちゃん」が好きな人に告白したと聞いて、恋バナに胸をときめかせ、一緒に待つことにする。
しかしやっと姿を見せたのは、男の人でなく女の人だった。
それだけでも驚きなのに、彼女は「冗談でしょ」「一緒にお風呂に入って、旅行にも行って、そういう目で見てたなんて」「気持ち悪い」とみちるに非難のことばを投げかけるのだ。
君もいうとおり、ジ・エンドだ。
あのサンドイッチ、本当はあの人と一緒に食べたかったんだろうな。
最後、主人公は、大好きだった人に拒絶のことばを投げかけられたみちるに寄り添って、一緒にチキンサンド食べて終わる。
気持ち悪くて嫌いだったチキンの皮をはがさずに、そのままパクッと食べて。
「気持ち悪い」なんて、彼女の前では絶対口にできなかった。
君の場合、「お姫様」も「王子様」も幼なじみだった。
だから、あの日話したように、『調節できる辛いラーメン』に近いのかもしれない。
あの話は、男二人に女一人で、男の子が好きな男の子の話で、好きな男の子は女友達と付き合い始めてしまう。この男女を逆にすると、君と同じだ。
今年のバレンタイン、君は、彼女に「友チョコ」を渡して、自分の気持ちにケジメをつけた。
僕は君を母のように姉のように、一途な君を見守るつもりだった……それはとても美しい物語になるはずだった……。
しかし、僕のなかで、いまも君の心の中に生き続ける彼女に対して、どす黒い感情が生まれるのを止めることはできなかった。
あの日、父とケンカになってしまったのも、そのせいかもしれない。
君は心配してくれて、あの日、夕飯まで付き合ってくれた。
突然の感情の爆発に、君にも、父にも、申し訳のない気持ちでいっぱいだった。
あの一人ぼっちの牝鹿は、君であり、僕でもある。
しかしこれは誰にも明かしえぬ、僕たちだけの秘密だ。
あの鹿の家族は、朔太郎が書いていたように、
貧しくとも幸せな理想の「スイートホーム」でいいのだ。
今日はあの白梅図をまた見ることができてよかった。
梅は鳥媒花だそうだ。
梅が咲く冬には、まだミツバチは活動していない。
梅は小鳥たちが活動を開始する夜明け前に香りだす。
蕪村は、漂い出した梅の香に朝の訪れを知る。
「しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり」
白梅が夜明けを告げ、星のように瞬いている。
いままさに、夜も、そしてわたくしの生命も終わろうとしている。
わたくしには、もう夜の闇しか残っていない……しかし、この瞬間は永遠なのだ。
終わらない夜、永遠の朝。
あの少女のように、蕪村の魂も、白梅の咲いた都会の家から、
懐かしい毛馬の村に帰ることができたのだ。
僕は絵の前で呆然と立ち尽くしてしまった。
母が来てくれて、助かった。
母がいなければ、僕は父と一緒に、
不審者として美術館を叩き出されてしまったかもしれない。
ところで「池田名物」って何だろう?
猪肉はおいしい。
でも、落語ミュージアムで猪猟の写真を見たけれど、昔の話だと思う。
呉春?
しかし、まさか未成年に「日本酒しゃぶしゃぶ」(母のFav)を出したりしないだろう。
従順でかわいい「れんちゃん」に戻るときが来たようだ。
夕食の手伝いに戻ろう。
(3)夫婦のひととき 夕飯の支度
お父さん 夕飯の下ごしらえが終わったよ。サラダも作ったし、後は揚げるだけだ。
お母さん きょうは揚げ物なんだ? なんかすごい音していたけど、何をしていたの?
お父さん それは後のお楽しみ。和ちゃん、あとで手伝ってよ。
お母さん いいよ。
お父さん れんちゃんは、部屋? いや、呼ばなくていいよ。また勉強だろ?
お母さん うん。そうしてあげて。一人にしてあげたいから。あの子、泣いてた。
お父さん 何があった?
お母さん もう、怖い顔にならないでよ。美術館のはなし。
あの子、あの白梅の絵の前で泣いてたんだ。ギャラリーにきみたちの様子を見に戻ったとき。
お父さん 全然気づかなかった。
お母さん きみは奥の細道画巻ずっと見ていたからね。
あの子もあの絵を、ずいぶん長いこと見ていたようね。
自分が泣いていることにも気づかない様子だった。
ハンカチで涙を拭ってあげたら、われに返ったみたいで。
絵を指さして、「最後はふるさとに帰れたんだね」って、あの子笑ったの。
ほんとうにいい笑顔だった。
お父さん ふるさと?
お母さん あの子、城北公園に行ったときのことを思い出したのかも。
あの辺、蕪村のふるさとなんでしょ。
ちょうど梅の季節だったね。
梅林で初めてメジロを見て、あの子、「おもちゃの鳥だ」って大喜びして。
カワセミもいて、私も感動した。カワセミって都会にも住んでいるんだね。
お父さん バズーカ(望遠レンズのこと)を持っている人がいたから、水辺に出てみたけれど、ビンゴだったね。「水清ければ魚棲まずで」で、カワセミもちょっと汚れた場所くらいがいいらしいよ。
お母さん あの子、帰りもずっとメジロやカワセミの話をしていて、家に着いたら、メジロやカワセミをクレヨンで絵に描いて。
でも、きれいに描けないって、こんなんじゃないって、泣き怒りして。誰かさんに似て、審美眼は鋭いから、理想と現実とのギャップが許せないんだよなあ。
お父さん あの日はかわいくて、でもかわいそうで、やっぱりかわいくて、困ってしまったねー。
そうか。蕪村のふるさとはアーティストれんちゃんの原点か。
でも、水を差すようで申し訳ないんだけれど、城北公園の梅林は、今世紀に入ってから出来たものなんだ。
観光パンフの仕事をしていたから覚えている。
お母さん そうなの?
ちょっと前の大阪は公園の木を伐ったりしないで、ちゃんと植えていたんだね。でも、中野村の梅林とか有名だったんでしょ? 毛馬にも梅くらいあったでしょ。
お父さん うん。そう思う。
しかし、あの白梅は、蕪村の京都の家の庭にあったものだと思う。
お母さん そうなの?
でも、あの子、ふるさとだっていっていたよ。
お父さん 勉強熱心な子だから、あれから『春風堤馬曲』を読んだんじゃないかな?
あの詩に「梅は白し浪花橋辺財主の家」(うめはしろし なにわきょうへん ざいしゅのいえ)というフレーズがあるのを見つけたのだろう。
お母さん なにわきょうへん? 難波橋、ライオン橋のことか。
お父さん 老詩人と同道した浪花風流(なにわぶり)の少女は、奉公先の白い梅の咲く難波橋のほとりの商家から、淀川堤を歩いて老母の待つ毛馬村に帰るんだ。
「白梅に明くる夜ばかりとなり」は、蕪村の最後の句だけれど、朔太郎もいうとおり新境地だったと思う。
あの少女が蕪村自身なら、白梅の咲く京都の家から、故郷に向かって旅立ったということだろうな。
れんちゃんはそう思ったんじゃないかな。
お母さん なるほど。全く、きみたちのツーカーぶりは、妬ましい限りだよ。
でも、『ミステリと言う勿れ』クロくんも読んだでしょ。
あの年ごろの娘は、父親を嫌うのが、生物としての正常な反応なのよ。
あのファザコンぶりは、心配になるわ。
お父さん れんちゃんに嫌われたら死んでしまうよ。
でも、あの子は大丈夫だよ。優しくてあたまがいいばかりでなく、胆力もある。
お母さん うん。農業はいい経験になったと思う。
お父さん それならうれしいな。今日は、私もいろいろ発見があった。
「そんなことも知らなかったのか」と呆れられそうだけれど、蕪村の雅号が、陶淵明の『帰去来辞』から来ていることとかね。
「蕪村とは天王寺蕪(かぶら)の村といふ事ならん」とか子規が書いていたの、鵜呑みにしてきたよ。毛馬村も毛馬きゅうりの名産地で、大阪の伝統野菜つながりで、なるほどって感心していたのにね。
漱石先生がいうように、子規先生は漢文が苦手だったのかな。
お母さん 前と同じこといってる。
蕪村菴のおかきをいただいたとき、何かで調べて、同じ話していた。大丈夫?
お父さん ごめん。年はとりたくないものだねえ。
これも思いつきにすぎないけれど、『おくのほそ道』を東海道に置き換えると、『東海道中膝栗毛』になるような気がしたよ。
お母さん 芭蕉と曾良が、弥次喜多になるわけね。それは初めて聞く説だね。
お父さん うん。だって、いま思いついたからね。芭蕉の天才をもってしても、すっかり世俗化してしまった東海道で紀行文の名作をものにするのは不可能に近かったろうなあ。
文学や謡曲でしか知られていない陸奥だから、旅の浪漫やドラマも成り立った。まあ、「佐馬野」を勝手に「鯖野」と書き換えたりして、『陸奥日記』の小津久足にたしなめられているけれどね。
『おくのほそ道』の登場で、陸奥は、蝦夷の前庭、日光の奥庭になった。
お母さん 小津久足って、小津安二郎の大伯父さんね。
イザベラ・バードが旅したころの東北も、男はみんな裸同然だとか、未開の地だったわけでしょ。芭蕉が旅した17世紀は、もっとすごかったんだろうねー。
お父さん 『陸奥日記』はたしかに名作だけれど、久足は、東北人にたいして、「こいつら夷の末裔だ」と、差別意識丸出しなんだよなあ。
むしろ、異国人のバードのほうが東北人に好意的なんだよ。特に女性に対するまなざしがいい。同じ被抑圧者である女性としての共感や共鳴、憧れがそこにある。
しかし、やはり芭蕉はむかつくなあ。
何が「松島は笑ふがごとく、象潟はうらむがごとし」だよ。
表日本は明るくて裏日本は暗いという固定観念の確立に貢献したのが『おくのほそ道』だよ。芭蕉がそんなこと書くから、象潟は海底が隆起して、陸地になっちまったじゃねえか。
お母さん あら、田んぼの中に浮かぶ九十九島も絶景だと思うけどな?
お父さん 和ちゃんは仕事であちこち行けていいなあ。
お母さん でも、れんには、全然別の話していたよね?
北の日本海側は「陰」、南の太平洋側は「陽」、これは陰陽思想に基づくもので、松島が明るく象潟が暗いのは芭蕉のいうとおり「本性」なんだって。
日光東照宮の初夏の木漏れ日、氣比神社の秋の月の光の照応が実に詩的で見事だとか、芭蕉のこと絶賛していたよ、お父さん?
お父さん そこが柏木隆雄先生がよくおっしゃる「勘どころ」だからね。
文学でも料理でも、「守離破」でまずは型を覚えるところから入らないと。
じゃ、夕飯の支度に入るかな。
和ちゃん、お願い。
お母さん うん。でも、これなに?
さっきフードプロセッサーで砕いていたやつ?
お父さん そう、池田名物チキンラーメンだよ?
きょうのメニューはチキチキマシマシからあげ。
お母さん チキンラーメンを唐揚げの衣にするの? Rockだなあ。
お父さん 池田の居酒屋さんにチキンラーメンを使った串揚を出すお店があって、真似をしてみたんだ。
いろいろ研究したんだけれど、砕いたチキンラーメン粉と小麦粉と片栗粉の配分が、まだ定まらないんだよなー。
和ちゃん、味見に付き合ってよ。
お母さん でも、あの子、チキンラーメン、知っていたっけ?
あのアニメで見たカレーめんしか、インスタント知らないと思う。
お父さん そうかー。じゃあ、あとで種あかしの時間も必要だね。
さっきテストで作ったやつ、100%チキンラーメンの衣か、50%配合の衣か、20%の衣か。
どれが好きかな? さすがに3つはきついか。半分に切ろう。残りは私がいただく。
お母さん うん! ……どれもおいしい!
お父さん それじゃあ困るんだよなあ。
お母さん いいじゃん、全部いってみよう。
きょうは五月山に城跡公園に、たくさん歩いて、くたくたで、おなかぺこぺこ。
きっとあの子もね。
じゃ、お父さん、あとはよろしく。
れんを呼びに行くね。
>春風堤馬曲
そうですね。この詩に出会うまでは蕪村のどこがどういいのか、よくわからなかったように思います。
>毛馬
淀川対岸(北側)の東淀川区東淡路に下宿していた頃(学生時代)、散歩がてらによく自転車で出かけました。天神祭の際には人手でごったがえしていて、とてもじゃないけど吟詠しているどころではなかった思い出なんかもあります。
ではでは。
ラーメン屋の主人が作った「ご当地ラーメン」、どこがご当地なんだよって文句をいっていると、丼の底から自転車が出てきて、「神崎川の水だー」というの。
こどものころにアニメで見ていた『おじゃまんが山田くん』が大好きで、あの大阪にいま自分がいるんだなーと思って、嬉しかったものです。
(神崎川の水だけは勘弁してほしいけど!)