◆登場人物
五十鈴れん
文章を書くことと絵を描くことが大好きな中学3年生。将来はエッセイストになるのが夢。いまは夢の実現に向けて、いろいろなことにチャレンジ中。話すことが苦手なため、いじめを受けたことがある。子規や朔太郎のテクストを読んで、蕪村に興味を持った。
五十鈴九郎(お父さん)
ひとり娘のれんを溺愛する会社員。左翼の活動家だった当時の組織名が「萩原」だったのは、その日たまたま萩原朔太郎の『郷愁の詩人 与謝蕪村』を読んでいたから。本当は「谷崎」になる予定だったが、「大谷崎は恐れ多い」と辞退したらしい。(朔太郎ならいいのか?)
I 時を捉える
お父さん 逸翁美術館、思ったより駅から距離があって、ついでに坂道だなあ。
今日はお父さんの趣味に付き合ってくれて、よかったの? 梨花ちゃんとケンカしちゃった?
れん むぅ。きょうは梨花ちゃんはぉ家のご用事です…それに、梨花ちゃんとなかよしだからって、いつも一緒にいるわけじゃないんだから…ね?
お父さん 失礼しました。でも、れんちゃんも蕪村に興味があったんだね。
れん ぅん…! ぉ母さんも来れたらよかったのに…でも、ぉ仕事だから仕方ありません…はぃ。子規さんも朔太郎さんも、蕪村さんのことを高く評価していたから、気になっていた…んだ。ぉ父さんのバトルネームも、蕪村さんゆかりなんだよ…ね?
お父さん バトルネームはいいね。蕪村ゆかりといえば、そうともいえるか。
さあ、着いたよ。
れん 展示は前期と後期に分かれていて、きょうが前期の最終日です…はぃ。
『蕪村 ――時を旅する』
「着きました…はぃ!」
お父さん チケットください。おとな2枚……でなくて、おとな1枚、中学生1枚です。えっ? 中学生は無料なんですか。
園児からも金をむしり取る米帝ユニットバス・スタジオとは大違いだな。
はい、チケット。得しちゃったね。帰りにアイス食べて帰ろう。
れん ぅん…! ぁ、美術館でも出品目録配っているんだ…。私はサイトでプリントアウトして、予習してきた…んだ。「時を捉える」「時を想う」「時を旅する」の3つのテーマに分けられて展示されています。
お父さん 『時を旅する』かあ。蕪村の書画を見に来るのは20年、正確には21年ぶりか。前回は大阪市立美術館で『蕪村 二つの旅』だった。今回の展覧会では「時」にフィーチャーしたんだね。
おや、最初の絵は漢画だ。
「桃林騎馬図画賛」(とうりんきばず がさん)
お父さん 襄陽(じょうよう)と、淀川堤の浪花のダブルイメージかあ。たしかに「春風や堤長うして家遠し」の「春風馬堤曲」(しゅんぷうばていのきょく)の世界だ。
蕪村は大坂郊外の旧淀川沿いの毛馬村の出身なんだ。天神祭の屋形船に乗った場所の対岸のあたりだよ。
れん ぁの日は岡田嘉夫先生もぉ元気でした…はぃ。襄陽は諸葛孔明さんが住んでいて、劉備玄徳さんが三顧の礼で迎えに来たところだね…!
お父さん ほう。れんちゃん、『三国志』に詳しいね。
れん ぅん…! 生徒会の美凪さんが『三国志』にハマっていて、ご本を貸してくれるんだ…。大阪みたいに水の都で、とても風光明媚な場所なんだって。
空にはもうぉ月さまが上っていて、ぉ馬さんに乗った人とぉ伴の人が進んでいくね…。
ぉ伴の人は笑顔で楽しそう…家に帰れるのがうれしいのでしょうか、それとも、ぉ出かけするのが楽しいのでしょうか?
お父さん さあ、どちらだろう。この賛の漢詩を読めば、わかるかな。
でもタイトルには「桃林」とあるけれど、葉桜ならぬ葉桃だねえ。
れん ほんとだ…花は半分ほど散って、もう若葉が見えています。
ねぇ、ぉ父さん、この漢詩の意味、わかる? 唐代の官人、竇鞏(とうきょう)さんがぉ友達に贈った『襄陽寒食寄宇文籍』なんだそうです。
阪急文化財団さんのフェイスブック、プリントしてきたんだ…。はぃ、どぅぞ。
煙燧初銷見万家
東風吹柳嫩條斜
前堤欲上誰相伴
馬踏春泥半是花
お父さん 漢文は苦手なんだ……ん? アンチョコ書き込んでくれたんだ。「煙燧」(スイエン)はのろし、「銷」(ショウ)は溶ける、「嫩條」(ドンチョウ)は若い枝、って意味か。
ふむ。のろしで万家が溶けて見え出した? やばいじゃん。東風が吹いて、柳の若枝も斜めに傾げてしまったよ? かなんなあ。この前の堤を上るのに、誰か同行したいやつはいないか。ま、いないよね。馬が踏む春泥は半ばこの散った花である、と。花も散ったら大地に帰るわけだ。
こんな感じ? この詩を読む限りは、苦労して友人のところを訪ねようとする男の歌のような気がするな。
れん 大体のイメージはつかめました…でも、私は瀬戸内寂聴先生や岡田嘉夫先生を感心させた「無頼庵訳」で聞きたい…んだ…はぃ。
お父さん 死神ラッコのブライアンかぁ。だったられんちゃんはぼのぼのくんだね。
じゃあ、大阪弁で訳してみようか。蕪村はなにわの人だったし、この絵は淀川の浪花もイメージしているそうだからね。意味なんか適当だよ。
えらい霞やなあ 町がどこだかわからへんようになった
わやな風やでぇ 柳の枝みたいに振り回されっぱなしや
こんな土手を上って行くんは わしくらいのもんやで
花も馬に踏まれてばばたれみたいになっとるがな
れん くすくす。最後はあまり上品じゃないけど、ぉ父さんらしい訳です…はぃ。
お父さん ありがとう。最後は尾籠な訳になってしまったけれど、この漢詩の最後のフレーズは秀逸だね。蕪村も眼のつけどころがいい。花吹雪とか落椿が季語となり詩歌で詠われるのも、きれいなうちにだれか掃除する人がいるからだよなあ。
ふーん。蕪村はこんな絵も描いていたのか。
「晩秋遊鹿図屏風」
お父さん このシカの絵もすごくリアルだなあ。蕪村が生きたのは、本草学で博物学が盛んになった時代だったね。なぜ晩秋なのに、白い斑の残った夏毛のままなのかはわからないけれど。
屏風の右の絵は、牝鹿に振られた牡鹿がイライラした感じで自分の右足に噛みついているところなのかな。シカにも自傷行為に走るものがいるそうだよ。奈良公園を訪ねた人のブログで、壁に頭をぶつけ続ける牡鹿の話を読んだよ。
れん この牝鹿さん、クイアなのかも…。男の人に興味がないとか…。
お父さん ほほう…。
れん いまのなし…。やっぱり、このシカさんたちは、家族なんじゃない…かなぁ? 右はぉ父さんとぉ母さん、左は娘さんだと私は思った…んだ。シカのぉ父さんは、ひとりぼっちの娘が心配で仕方ないんだよ、きっと…。
お父さん ほほう。それもおもしろい。学者さんや学芸員さんたちにも聞かせてあげたいね。
れん 蕪村さんは、子ぼんのうだったそうです…。結婚したのは四十五歳で、ひとり娘のくのさんが十五歳でぉ嫁にいったときには、蕪村さんはもう六十歳を過ぎていました…はぃ。でも、くのさんは嫁ぎ先の老舗料理屋さんで、体調を崩して半年ほどで離縁されてしまった…んだ。有名な「さみだれや大河を前に家二軒」は、蕪村さんがくのさんを連れ戻したときに詠まれた句なんだそうです…はぃ。
お父さん それは知らなかった。なるほど。制作年がわからないけれど、この絵には愛娘への切ない想いが籠められているのかもしれないね。
れん ぅん…とても切なくて温かくてやさしい作品だと思います…はぃ。
お父さん 見てごらん。この絵もすごいね。
『墨竹図』
れん ものすごく力強い作品です…はぃ! 墨痕鮮やかというのは、こういう絵のことをぃうのでしょぅか…?
お父さん この竹、『とめはねっ!』の最終話の「ただ一本の線を書く」で、結希(ゆき)ちゃんが書いた線を思い出さない?
れん ほんとだ! 結希(ゆき)ちゃんが書いた線そっくりです…はぃ!
「『とめはねっ.!』14巻より。結希ちゃんの勢いのある線は竹を思わせます…はぃ!」
お父さん 筆でまっすぐな線を引きたくても、途中で墨継ぎも必要で、墨もかすれる。蕪村は墨が途切れる部分を竹の節に見立てたことがあったんじゃないかな。
しかし、この絵には力強さのなかにも洗練された精密な技巧があるね。このカスレの部分、どうやって筆を使うんだろう?
れん うん…! すごく計算され尽くされている気がします…。
ぁ、ぉ父さん、みて!
これ絶対ぉ父さんの好きな絵だ!
『暁雲鳶鴉図』
(残念ながら画像が見つかりませんでした…はぃ)
れん トンビさんを、二羽のカラスさんが、カアカア鳴きながら追いかけているね…はぃ。しかしトンビさんはカラスさんたちを一切相手にしていません。視線はまっすぐ、嘴もギュッと閉じて、まっすぐに飛んでいきます。トンビさんもタカ目タカ科なんだよ…ね。誇り高さを感じます。
お父さん うん。これは好きな絵だ。むかし観た屏風絵を思い出したよ。たしか記念切手になった重要文化財の絵だ。雪が深々と降るなか、右にトンビが一羽、左にカラスが二羽いて、お互いに睨み合っているんだ。このトンビとカラスは、あのときの連中かな?
ぉ父さんの見たのは『紙本墨画淡彩鳶鴉図』という作品でした…はぃ。
(逸翁美術館のこの蕪村展には出展されていません)
お父さん 海辺でも、京都の鴨川あたりでも、ユリカモメとトンビがエサをめぐって争ったりすることもあるようだ。テリトリーの重なるカラスとトンビが喧嘩になることもあるだろうな。この絵もそんな自然観察から生まれた作品かもしれない。
ほほう。俳句の短冊があるね。
うくひすのあちこちとするや小家かち(鶯のあちこちとするや小家勝ち)
ほたむ散てかさなりぬ二三片(牡丹散りて重なりぬ二三片)
すゝしさや鐘を離るゝ鐘の声(涼しさや鐘を離るる鐘の声)
春の夜や宵暁の其中に(春の夜や宵暁のその中に)
れん 私は朔太郎さんも取り上げていた、ウグイスさんの句が好き……。「小家勝ち」は小さな家がたくさん並んでいるようすだそうです。小さな村をウグイスさんがちょこちょこしている感じがかわいいです。
鐘の句も好き…! 大晦日に鐘を撞かせてもらったときのことを思い出したよ…。鐘の中で生まれた音のうねりで、足の爪先まで痺れた感じになるのに、澄んだ鐘の音が空の彼方に飛び立っていくあの感じ。
お父さん 蕪村はいい句を詠む人だねえ。いまの鐘の句はおもしろい。
「春の夜」の句は、清少納言の「春はあけぼの」や蘇軾の「春宵(しゅんしょう)一刻値千金」に対抗して、宵でも暁でもない、その中間の時間帯がいいといっているのか。
れん 夜明け前のかはたれ時のことかなぁ。私もあの時間帯がいちばん好き。
お父さん だからって、ひとりで夜に散歩に行くのは危ないよ…えっ、過保護?
蕪村という人そのものが、宵でも曙でもない、聖でも俗でもない、近世でも近代でもない、間(あはひ)にある越境的な時間を生きた人だったような気がするよ。
II「時を思う」
れん 今度は「時を思う」のコーナーです。ぁれ? ぉ父さん、どうしたの?
お父さん ふむ! これこそ真のプロレタリア絵画だな。ハイホー、ハイホーだよ、れんちゃん。
「移石動雲根」図
れん ぅん! ハイホー、ハイホーです…はぃ…! 七人のこびとさんのぉ仕事も、鉱山で宝石を掘ることだったね…!
お父さん うん。この職人たちは、すごくいい面構えだ。このおっちゃん連中はいい仕事をするぞ。
れん 昔の中国の人は、雲は山の岩石から発生すると考えたんだよ…ね。だから雲根です…はぃ。
お父さん 石を移して雲根を動かすか。諸侯や素封家は、庭園に石を移して、雲海が湧く仙界気分を楽しむわけだ。しかしその庭園趣味、岩石趣味を満たすために、山では石を切り出す職人たちがいる。その職人たちに注目した視点がユニークだね。
そういえば、蕪村には石工を詠んだ句があったはずだぞ……スマホで検索中……これだ。
「石工(いしきり)の鑿(のみ)冷し置く清水かな」
れん 「石工」と書いて、石切さんと読むんだ…ね? 鑿を冷やすと削りやすくなるの?
お父さん そうともいえる。石を加工すると摩擦熱が発生して、鑿が持てなくなるほど熱くなるから、清水で冷やすんだね。石の研磨は冬でもダイヤモンドの砥石に水をかけ流しながら行うよ。
清水は夏の季語だから炎天下だ。石切り場には日陰なんかない。鋸山の石切場跡に行ったから覚えているよね。周囲を石に囲まれて天然のサウナみたいなもんだ。猛烈な暑さで、壮絶な重労働だったろうなあ。
れん ぅん…! このぉじさんたち見ていたら、七人のこびとさんたちの気持ちがわかる気がする…。
お父さん ハイホーの歌の旧訳の「仕事が好き」も、新訳の「みんなで楽しくいざ」も、ブラック企業の求人広告そのままだ。この石切りのおじさんたちも、仕事終わりには、原詩のとおり(Hi ho, Hi ho It’s home from work we go.)、「やれやれ、やっと仕事が終わって家に帰れるだ」といいそうな顔をしているよ。
れん ぅん…! ぁっ! この絵、ぉ父さんも知ってるよ…ね! 蕪村菴さんのホームページのイメージキャラクターです!
蕪村菴さんは、京都六角にある、おいしいおかき屋さんです…はぃ。
『又平に』句讃
お父さん 又平は実在の人でなくて、近松門左衛門の書いた『傾城反魂香』の登場人物なのか。私は行けなかったが、れんちゃんはお母さんと歌舞伎に行っていなかったっけ?
れん ぅん…! 連れて行ってもらった…! 又平さんはお人好しで、絵の腕は抜群なのに、生まれついての吃音の障害がぁるんだ…。だから、真面目にがんばっていても、お師匠さんにわかってもらえません…はぃ。
何をやっても認めてもらえない又平さんが、死ぬ覚悟で最後に描いた自画像が、ぉ師匠さんにも認めてもらえるんだ。このシーンは、最後に奥様から与えられた紋付袴を身に着けて、お徳さんの叩く鼓に乗って祝いの舞を舞っているところなんだそうです…はぃ。
私も、どもってばかりで、辛い思いをしたことがあるから、又平さんの辛さが、わかる気がしたんだ…はぃ。ぁのころは、応援してくれて、ぁりがとう…。
お父さん れんちゃんも又平も、とてもつらかったね。でも自分の力でなんとか乗り切れて、優しく強くなることができた。
私はこの絵をたんなる酔っぱらいの楽しそうな絵だと思っていたよ。そうじゃなかったんだね。
「菊の露」句讃
れん 「菊の露うけて硯の命かな」だそうです…。昔の御所では、不老長寿を祈って、重陽の節句に菊の花を浸した菊酒をいただいたんだよね。
お父さん 筆・硯・墨・紙の「文具四宝」でいちばん長持ちする硯が、菊の露でさらに寿命が延びて、その持ち主も長寿になりますように……ということか。
書簡「筏士の」「嵯峨へ帰る」句
お父さん ほほう。れんちゃんのいったとおりだ。
れん どうしたの?
お父さん この展示。蕪村の死後、離縁されて実家にいたひとり娘の「くの」の再婚資金を得るために、弟子たちが師匠の句を画にしたり、讃をつけたりして、売ってお金にしたんだそうだ。れんちゃんが鹿の家族の絵に感じたように、蕪村は愛娘の行く末が心配でならなかったんだろうな。
埋火句稿(うもれびくこう)
「埋火やありとハ見えて母の側」
ほう。この句は「母」と「帚木」(ははきき)を掛けているのか。この解説にある藤原俊成は「源氏見ざる歌詠みは遺恨のことなり」といった人だね。この句は太宰の「ねこ」のエピグラフを思い出させるな。「母恋い」というテーマで、フェミニズム的な見地から男流文学論が書けるかもしれない。
れん 帚木は源氏物語にも出てくる、近寄ったら消えてしまう伝説の木だよね。蕪村さん、幼くして亡くしたぉ母さんを想う気持ちは人一倍だったそうです…はぃ。
III「時を旅する」
お父さん よし。きょうのメーンイベントのゾーンに来たぞ。
芭蕉翁経行像 座右之銘
蕪村は芭蕉像もたくさん書いているねえ。芭蕉が俳聖といわれるほど評価されるようになったのも、蕪村の宣伝活動の賜だな、きっと。
これだ、これ。前にも見たぞ。
奥の細道 画巻
れん 前期と後期で、上巻下巻に分けて展示するんだそうです…間に合ってよかったね。
岩波文庫ワイド版の『おくのほそ道』忘れてしまいました…きのうまで読んでいたのに…。
ぁ、プリントしてある…! 逸翁美術館さん、さすがです…!
お父さん これはうれしいねえ。しかし蕪村の書は見事だね。
れん ぁ、ぉ父さんの指、臨書している…!
お父さん うん。真似したくなる。下手の横好きだけれど、何十年ぶりかに筆を握りたくなったよ。
しかしこの文字、つい昨日書いたもののように見えない? さっきは硯がいちばん長生きするという作品があったけれど、墨の生命力もすごいものがあるね。
れん ぅん! ……ぁれ? ここから字体が変っている…よ? 書き出しは太くて堂々としていたのに、ここは細くてちょっと自信がない感じ。
江戸から遠く離れた、芭蕉さんのさびしさや不安を表現しているのでしょうか…?
お父さん パソコンでも書体を変えて雰囲気を表現することはできるけれど、こころの細やかな動き、息遣いまで伝えることができるのは、やはり手書きの文字だね。
れん 私もそう思う…! 文字ってやっぱりぉもしろいです…はぃ。
お父さん この蕪村の書はいいけれど、『おくのほそ道』そのものは、そんなに名作なのかなあと思ってきたんだ。
れん そうなの?
お父さん 『おくのほそ道』がわからないのは、たんに私が風流を解さないアホなんだからだろうなあと思ってきたんだ。
柏木隆雄先生のエッセイで知った、板坂耀子さんの『江戸の紀行文』という本を読んで、はじめて合点がいったよ。
『おくのほそ道』は江戸の紀行文学の代表作といわれる。しかし紀行文学としては異質な作品で、「迷」作になっていた可能性もあると板坂さんはいうんだ。
板坂さんは『おくのほそ道』の芭蕉の旅を、ドン・キホーテの騎士物語の旅にたとえている。
芭蕉は古代や中世の紀行文作家になりきって、都を離れる恐怖と悲しみ、日常を捨てて非日常を生きる不安と緊張を再現しようとしたわけだけれど、やっていることは騎士物語の世界の再現をめざしたドン・キホーテそのままだ。
上田秋成には「この泰平の世に、戦乱の時代を生きた西行や宗祇の真似をするなんて理解しかねる」といわれてしまった。
れん でもぉ父さん、ドン・キホーテさん、好きだ…よね?
お父さん もちろん!ドン・キホーテは大好きだとも! 私だって、みんなから見たらドン・キホーテのなかまだろうね。
芭蕉もおもろいやっちゃと思うよ。
ほう。上巻は「平泉」で終わるのか。
芭蕉は武将が好きだったみたいだねえ。
れん 「夏草や 兵どもが 夢の跡」です…
曾良さんは「卯の花に 兼房みゆる 白髪かな」です。
「白い卯の花を見ていると、主君の義経さんのために戦って死んだ、老臣の兼房さんの白髪が思い出される…」という意味です…はぃ。
お父さん 「五月雨の 降りのこしてや 光堂」かあ。
五月雨も降りかかることができない、光堂は気高いことだなあ、って?
芭蕉、おまえ何わけわかんねーこといってんだよ。
今は昭和の鉄筋コンクリート製だけれど、早くから光堂(金色堂)を風雪から守る「覆堂」が作られてんだから、光堂が五月雨に濡れるわけねーだろ。芭蕉、おまえも地の文でここに書いておろう、ここに。
れん むぅ。ぉ父さん、口が悪すぎです…
蕪村さんが描いた絵がとてもいいと思います…はぃ。芭蕉さんはじっと目を細め口も閉じて、感慨にひたっています……曾良さんは片手で目頭を押さえています…はぃ。
国滅びて山河あり、北の都は跡形もなく、戦場の名残もありません…春の草が青々と繁っているだけです。蕪村さんはその景色をそのまま描くのでなく、物思いに耽るふたりを描くことで読者に想像を委ねているところが、いいと思います…はぃ。
お父さん 芭蕉、よかったな。蕪村もいい絵を描いてくれたし、れんちゃんもほめてくれたぞ。おれはほめねーけど。
ほう! これは芭蕉の句懐紙か。
「このほたる たことの月に くらへみん」(この蛍 田毎の月に 比べ見ん)。
れん 広重さんも田毎の月の絵を描いていた…ね。
『六十餘洲名所図会』の「信濃」です…はぃ! 棚田の田んぼを一枚一枚月が移動していくから、「田毎の月」なんだ…よね?
お父さん ほう。よく知っていたね。
れん ぉ父さんがエッセイで取り上げていたから…。広重さんが描いた姥捨岩のこと、「自分が岩になってしまったことにも気づかず、わが子が再び迎えにくれるのを待ち詫びながら、月を眺めている」と書いていたところが好き。ぉ父さんはときどき詩人です…はぃ。
お父さん そうか、読んでくれたのか。ありがとう。この句は芭蕉が石山寺で詠んだ句だったかな。瀬田の蛍は、あの田毎の月と変わらぬほど美しいと。
れん わあ。この絵すごい!
『白梅図屏風』(呉春)
蕪村さんの生涯最後の句の「しら梅に明る夜ばかりとなりにけり」をビジュアル化した作品だそうです…はぃ。
お父さん 呉春作? 呉春って池田の地酒だよな? 谷崎が愛飲したとかいう…。一升瓶しかないから、スーパーでは売っていないんだよなあ…。
れん 池田には中国の呉から渡来した織姫の姉妹の伝説が伝わっていて、「呉服(くれは)の里」と呼ばれたんだそうです…はぃ。この呉と、中国でお酒を意味する「春」を組み合わせて、「呉春」と名づけられたんだって…ぉ父さんは一年中春です…はぃ。
蕪村さんのお弟子さんの呉春も、この「呉服の里」にちなんだ雅号だそうです。
お父さん この白梅の句も、さっきの「春の夜や宵暁のその中に」と一緒だね。もうすぐ朝だ。しかしまだ夜は明けきっていない。薄明のなかで白梅が星のように輝いている。
うん。呉春は死の床の蕪村が瞼の裏に見たであろうイメージを、みごとに映像化している。
さあ、お腹へったね。駅に戻って、ランチにしようか?
れん うん…! この絵、また見に来たいな…後期も来ようね!
>逸翁美術館
確かに。あの坂道は難儀ですね。でも常設展示の白磁類にはとてもいいのがあると思います。
>蕪村展
やっていたのですか。なかなか外出の機会がないので残念。ちなみに私の場合、水墨画は雪舟のコピーから始めました。
それはそれとして、お父さんとれんちゃんの会話が面白いですね。で、芭蕉の句はね、今は昔となってしまった旧名所を訪れてただ単なる感想を述べたってわけじゃなくて、俳句形式へ変換、たいへん鮮烈な印象のキャッチ・コピーを作成して紀行文の中へ溶かし込み、多くの人たちに読んでもらえる旅のガイド・ブックへ仕立て上げたところに優等生的な粋のこころを感じます。それに比べて芭蕉の弟子たちの句はキャッチ・コピー的なものとはずいぶん違っていますし。
蕪村は始めから句だけでなく、表現したいもののためにわざわざ画とセットで一つという、まったく新しい文学形式を見出した俳人に見えます。渋い、ですよね。
ところで、くろまっくさんは短歌や俳句を作ったりされるのですか?何かの折りに見せて下されば楽しいかなと。
私の場合、俳句でなく自由律俳句の立場にいます。というのは、定型句だと季語を活かさないといけないかのような風潮に付いていけない感情があるんですね。さらにあくまで個人的な意味でですが、複雑骨折的な自分とその世界を言葉化する作業が落ち着きという精神的価値をもたらしてくれるからです。
でもね、れんちゃんはとっても良いお父さんに恵まれたようで、ついつい微笑ましく読めてしまいます。仲良くね。草々
ふだん大阪で平地しか歩いていないので、坂を登るのは久しぶりでした。
逸翁美術館も常設展はやっていないようです。2009年に新設・移転してからでしょうか。
蕪村の次が歌舞伎絵のお化け絵の納涼企画、その次が食器がテーマだそうですから、白磁も出展されるかもしれません。
ただし絵の展覧会がメインのようで、茶器や漆器、退蔵されるコレクションも増えそうです。
後期展も行ってきました。今度は酒豪のお母さんも出てくる予定です。芭蕉の話の続きはそこでまた。