新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

78回目の敗戦の日に

2023年08月15日 | 日記
「あなたはどうして今も生きているの。あなたは戦争犯罪人なの。割腹して日本と世界の皆さんにお詫びしなさい」

テレビに映った戦没者追悼式典でスピーチするヒロヒトに向かって、亡母は絹さやの下処理の手を休めながら、笑顔で語りかけていたものです。

夏休みのこの日が来ると、あの日のことを思い出します。

「それをいうなら、日本に原爆を落としたトルーマンも、裏切って攻めてきたスターリンも戦争犯罪人でねっか?」

と、私も絹さやの筋を取りながら、ささやかながら反論すると、

「当たり前でねっけ!」

と、亡母は激昂していつもの新潟弁に戻り、例のごとく説教がはじまり、おやこ喧嘩です。小学生相手に同レベルで論争を挑んでくる、困った人でした。

絹さやの下処理も終わると、喧嘩も一時休止で、豚コマと絹さやの卵とじの他人丼の昼食となり、甲子園を見ながらゴロゴロしていると、書架で何やら探しものをしていたらしい亡母が渡してきたのが、講談社学術文庫の『フルシチョフ秘密報告 スターリン批判』です。本書が私が初めて読んだ政治の本、左翼本です。

私は長い間、この本は大学でマルクス経済学を学んだ父の蔵書だと思い込んでいました。書誌情報を調べると、本書は1977年刊行で、母の本だったようです。

今日、78回目のいわゆる終戦の日を迎えました。この日この時間に戦争が終結したとされているからです。

しかし、鈴木貫太郎内閣が終戦を最終決定したのは、8月14日です。

米軍も14日には攻撃を終結しています。




ミズーリ艦上において重光全権代表が連合国との間に降伏の調印を行ったのは、9月2日です。

8月15日正午とは、終戦の詔勅放送、いわゆる玉音放送があった日時というにすぎません。

「日本軍の降伏が正式に実行されていない以上は、極東におけるソ連軍の攻撃態勢は依然、継続しなければならない」

日本の終戦の意志の表明(8月14日)と、正式の降伏文書の調印(9月2日)のタイムラグを利用して、ソ連は、日本帝国主義の支配下にあった中国東北部(いわゆる満州)や朝鮮、千島列島に電撃的に侵攻します。スターリンが日本侵攻を急いだのも、ドイツの分割占領をめぐって、すでに米英仏とソ連の対立が激化しつつあったからです。

アメリカの統合参謀本部が8月16日に策定した日本分割占領計画では、北海道と東北地方はソ連の占領地区になる予定でしたが、米ソ対立が深まるなか、トルーマンは8月18日、アメリカ郡の連合軍最高司令官のもとでの一括占領に方針を急きょ切り替えます。日本本土はもちろん、千島列島もアメリカ軍が進駐して日本軍の武装解除にあたる方針でした。

しかしスターリンは先手を打って全千島列島にソ連軍を進駐。さらに中国東北部、朝鮮の北緯38度線以北、南樺太、千島列島を占領しました。またこれらの地域で武装解除された兵士はシベリアへ連行され、強制労働のため数万人が死亡しました。

戦争は終わっていなかったのです。

8月15日正午には、たんに天皇のラジオ放送があったにすぎないのに、この時間が終戦の日時とされているのも、この放送が当時の日本人にとって、決定的で衝撃的なものだったからでしょう。


下村は玉音放送が自分の発案であったと何度も記している。具体的に動き出したのも、まだ空襲が本格化していない1943年からであった。
鈴木貫太郎内閣が恐れたのは「一億玉砕」を叫びつづける国民であった。阿南惟幾陸軍大臣が最後まで戦争続行を主張したのも、この国民の頭をどうやって冷やすのか、手段がないという理由からであった。下村は、国民をそれほどまでに熱狂させているのはラジオだと見破り、ラジオの力をこの上なく強力にする方法として天皇による放送を考案した。その計算のとおり、天皇による放送は劇的な効果を発揮し、世論を一気に終戦へと変えた。マッカーサーは「最後の一人まで戦う」と絶叫していた日本人が、急に戦争をやめた様子を見て、世界史上まれに見る見事な終戦だと絶賛した。
(坂本慎一『ラジオの戦争責任』法蔵館文庫)

いわゆる玉音放送の仕掛け人が、日中戦争初期から早期終戦論者であり、軍部ににらまれながらも敗戦間際には情報局総裁という国の情報機関のトップに上りつめた下村宏(1875-1957)です。

『ラジオの戦争責任』は、いわゆる草の根ファシズム、国民の戦争責任問題を探求する、画期的なメディア論であり、戦争論です。大多数の国民が戦争に反対だったという歴史的事実は、どこにも存在していません。1942年12月の翼賛選挙は、残念ながら国民の大多数が戦争を支持していたことを示しています。本書の初版は2008年ですが、「新しいメディアは、未知の混乱をもたらす」という指摘は卓見です。

安倍・岸、麻生、現在の政権の支配者の顔ぶれが、戦前と変わっていないことには愕然たる思いです。戦後の日本人は、戦争犯罪人たる天皇の戦争責任を曖昧にすることで、権力者たちの延命を許し、中国・朝鮮・アジアへの侵略戦争を熱烈に支持し、「鬼畜米英」「一億玉砕」と絶叫していた自分たちの罪からも逃れてきました。

天皇のラジオを聞いた日本人の多くは、コロッと態度を変えて、恥知らずにも『はだしのゲン』の鮫島伝次郎になったようなものでした。鮫島伝次郎とは、戦争中は、戦争に反対するゲンの父親を非国民呼ばわりし、特高に密告し、中岡家の麦畑を荒らすなど嫌がらせの数々を行い、戦後は180度立場を変えて、戦争反対を叫び、地方議会の議員に収まる人物です。

「昨日までは日本軍部の圧迫に呻吟(しんぎん)せし国民の豹変して敵国に阿諛(あゆ)を呈する状況を見ては、義士に非(あら)ざるも誰か眉を顰めざるものあらむ」
(永井荷風『断腸亭日乗』1945年9月16日)

ラジオ嫌いの荷風は、1941年12月8日の「臨時ニュース」も知らず、8月15日の天皇の放送があったときも、岡山県勝山に疎開していた谷崎潤一郎夫妻に歓待され、岡山市の疎開先に戻る汽車の車中にありました。終戦を知らされるのは、岡山市に帰ってからです。

軍国主義に終始批判的だった荷風は、戦争に協力する作品・発言を残しませんでしたが、鮫島タイプの人間も許せなかったようです。「平和国家が実現すれば演劇界も活気づく」「一時は息苦しかったけれど良い作品を書きましょう」という手紙を送ってくる同業者の作家・演劇人には、嫌悪感を示し、「要するに広告の文章、御座なりの挨拶」「一点の真率の気味なし」と断罪しています。

敗戦後は、連合軍(その実質は米軍)は、1947年ごろまでは、自由主義者のみならず左翼までもが、占領軍を解放軍と見なし、アメリカ帝国主義のもとで〈民主主義革命〉が達成されるという、誤った考えが広くいきわっていました。「ポツダム革命」ということばを使う者さえいたくらいです。

マッカーサーは、「日本人は12歳の少年だ」と語りましたが、それも当然でしょう。

日本人は、沖縄を焦土と化し、全国の都市に無差別爆撃を行い、広島と長崎に原爆を投下した、この敵国の元帥を「解放者」と見なして、熱烈なファンレターを送ったのですから。その数は50万通におよぶといわれます。日本全国各地から文字通り老いも若きも、男も女も、旧軍人から共産党員まで。世界史に数多い占領の歴史のなかで、外来の支配者にこれほど熱烈に投書を寄せた民族はありません(袖井 林二郎『拝啓 マッカーサー元帥様』岩波現代文庫)。

戦後は手のひらを返して、「豹変して敵国に阿諛」した、同胞である日本人に、少年の日から私は怒り、絶望し、怒り、呪ってきました。しかも、朝鮮戦争とヴェトナム戦争の特需によって、いわば朝鮮人民とヴェトナム人民の犠牲で肥え太り、戦後復興と高度成長を成し遂げ、アメリカの核の傘のもとで「城内平和」を謳歌してきたのです。

無条件降伏などとんでもない、アメリとソ連の両大国を相手に本土決戦を貫徹すべきだったというのが、少年のたどり着いた結論でした。日本人が徹底的に抗戦しても、敗北して米ソに東西に分割されただけに終わったかもしれませんが、地上戦やゲリラ戦の悪夢を米ソに突きつけることができれば、その後の朝鮮戦争やヴェトナム戦争、アフガン戦争は避けられたかもしれません。私は、日本民族の再生のためには、この列島を焦土にする戦争が必要だと考えていたのです。当時の私の思想は、周囲の人や当時読んだ本の影響で、左右の思想がシャッフルしたものでした。

やがて、私は、自民党本部に焼き討ちを行った、反米反ソの「反帝反スタ」(反帝国主義・反スターリン主義)を掲げ、民兵組織と自衛隊内部に隊内組織を持つセクトと行動を共にしていきます。

「軍事的才能」があったらしい私は、頭角をあらわしていきますが、セクトの上層部は困惑していたようで、

「きみがなぜ左翼になったのか理解できない。きみは本来なら右翼になるべき人間だ」

と、お世話になった幹部の人にいわれたものでした。

幼稚で稚拙で、原始的なものではありましたが、私は権力と武力闘争をたたかったほぼ最後の世代です。闘争のなかで亡くなった人もいれば、重傷を負った人、死を選ばざるをえなかった人もいます。

だから、自分は傷つくことも、血を流すこともなく、戦争や軍事を弄ぶものたちの存在は許せません。

104歳の元兵士の中野さんの証言は、未来にわたって語り継がれていかねばならないものだと、中野さんから見たらたんに戦争ごっこをしていたにすぎない私もそう思います。インタビューの全文が読めるので、ぜひご覧ください。


中野さんの部隊では、傷つき病に倒れた兵士に上官が手投げ弾を渡し、「分かっとるな」と繰りかえした。

自ら死ね――。そう促していた。

中野さんが机の上に身を乗り出し、戦没者名簿をめくり始める。死亡日時の一部や場所が「不明」と記載されている名前を見つけて、指をさす。

「こういう場合、大抵自決させられている」

中野さんの次のことばも、非常に示唆的です。

「日本人の大半はウクライナ人に感情移入しますが、多くの元兵士が感情移入するのは、古い武器しか持たされず、知らない戦場に送られて死んでいくロシア兵です。『身につまされる。命令されたら行かざるをえないのだろう』と」

自公政権は、中国や北朝鮮の脅威を煽り、軍事大国化、戦争国家化を進めています。それも第二次安倍政権以降のテレビ・新聞・ラジオ、そして新興メディアであるインターネットも含めた、メディア統制、メディアの翼賛化なくしてはありえなかったでしょう。

どう生きていったらいいのか。

きのう、SNSをのぞくと、あるリベラル派の知識人が、「マルクス主義と天皇制の共存」を説いていました。

戦前の日本共産党の佐野・鍋山の転向声明も、要するに「マルクス主義と天皇制の共存」でしたね。

マルクス主義と天皇制(王制)の両立は、現在の日本共産党が象徴天皇制の存続に前向き(!)で、さらに北朝鮮という成功モデルがあります。現在の北朝鮮の個人崇拝・世襲的専制支配体制は、戦前の軍事天皇制をモデルにしたものです。中国はいまのところ世襲体制ではないものの、個人独裁そのままで、ひどいものです。

そもそも、人民みんなの幸せをめざす社会主義に、「マルクス主義」という個人名を冠すること自体が誤りなのです。

マルクス主義と天皇制の共存を説く方々は、あんな北朝鮮や中国のような社会を望んでいるのでしょうか。あんな社会で私たちに生きろというのか。

私はいやですよ。

荷風と同じく、戦時下は芸術的抵抗を貫いた太宰治も、戦後は、鮫島現象にうんざりしたようです。共産党に拝跪する知識人たちを痛烈に批判するようになります。

共産党を公然と批判した太宰は、新左翼の原点のような人であると同時に、「天皇制を倫理の儀表としたアナキズム」を提唱したという意味では、新右翼の始祖かもしれません。朝日新聞社で自決した民族派の野村秋介は、太宰ファンでした。

私は、天皇制も、個人崇拝も世襲制も認めません。天皇が「倫理の儀表」なんて、太宰も破れかぶれもひどすぎます。

いま、皇室は消滅の危機にあります。以前も書いたとおり、天皇制の基盤である稲作を営んできた村落農村共同体も、解体の危機にさらされています。稲作農家の多くは稲作をやめたくて仕方ありません。このままでは、天皇制も日本もどうなってしまうのでしょうか。

私は、天皇制を否定し、共和制社会を実現しなければ、地方も農村も死滅すると考えています。そのためには革命しかありませんが、人民を共同体として統合する、象徴天皇制に代わる新たな「倫理の儀表」が必要なのはいうまでもありません。

それはどんなものになるのか、私にもまだわかりませんが、農村で生きて働いていく実践を通じて掴み取っていくしかないだろうなあと思っています。農村で鍬や鎌を振るいながら、考えていきたいと思っています。

摩耶山青谷道登山口から、大阪方面の眺め(淀川花火大会当日)。




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4 コメント

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Unknown (angeloprotettoretoru)
2023-08-16 02:59:02
新たな「倫理の儀表」は当然ですが私には見えません。土とともに生きる中でそれが見えて来るかもしれませんね。農業が出来ないひ弱な私には死ぬまで無理かもです。恥ずかしいです。
問題なのは新たな「倫理の儀表」候補を見つける人がいても、どうやって大多数の日本人にそれを紹介し納得させ浸透させるか、がとてもとても難しいことです。
マスメディアには全く期待できませんし、ネット上でも思想性のあるコンテンツは全然拡がりを見せない現状。
くろまっくさんには、現時点でなにかその点についてのビジョンがありますか?
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Unknown (kuro_mac)
2023-08-16 18:50:54
@angeloprotettoretoru バロリスタさんへの返信を書いたあと、新しいコメントがあるのに気づいたので、新しく投稿し直します。

バロリスタさんは、いまは親御さんの介護で大変ですが、海外脱出のチャンスがあるからいいじゃないですか。お子さんも超優秀です。

私が、刹那的に楽しく生きていられるのも、裏返せばニヒリストだからでしょう。

しかし、性別や特性に言及してこなかっただけで、われわれの仲間には、女性も障がい者も、ひ弱な人もいます。「百姓の生きて働く暑さかな」で、あれこれビジョンを語るより、刈払機の扱いに習熟するほうが重要だと思っています。
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Unknown (農協牛乳)
2023-08-17 11:42:50
天皇は過去から今日に至るまで時の為政者の「無条件で権力を担保する存在」でしか無いと考えますけど、同時にこの国の住民がその精神性?に依存している事も確かなのかも知れません。
上手く表現出来ないのですが、巷に溢れるヘイトクライムやミソジニー等の諸問題の根底にこの仕組みが全てとは言わないまでも大きく関わっている事は間違いでしょう。
自分は少なくとも皇室を国家管理の枠組みから完全に外して政体を共和制に移行するべきだと考えますが、それはあくまでも外的な要因からではなくあくまでもこの国の住民が主体となって行われなければ無意味だと思います。
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Unknown (kuro_mac)
2023-08-17 12:39:51
農協牛乳さん

コメントありがとうございます。

おっしゃるとおり、差別排外主義、ミソジニー、世襲政治家や経営者の暴走などの根底には天皇制があると思います。

同時に、戦後の皇室はマイホームのモデルになり、雅子さんで精神の病に関する理解も広まった側面もあって、太宰風にいえば「倫理の儀表」の役割を果たしてきた側面も否定できません。

しかし、いま消滅の危機にある皇室が象徴してきた、世襲制、また家父長主義を引きずったままでは、日本の社会も経済も持たないのも明らかです。

天皇制は78年前の敗戦も含め、歴史上、何度か廃絶の危機がありましたが、そのたびに首の皮一枚繋がってきました。

今度はどうなるのか、また機会を改めて考察してみたいと思います。
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