新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

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民主党代表選に思う 小沢について

2010年08月29日 | 日記
 菅vs小沢、民主党代表選。

 国民の8割は小沢不支持だという。ほんとうに?

 政治のイノベーションはどう可能かと、ときどき考えてみる。そのためにはまずマーケティングが大切だ。「小沢どうよ?」と労組の執行委員に聞いてみたことがある。

 女性執行委員の一人が、嫌悪感もあらわにして、

 「大嫌い! そういう自分はどうなん?」

 と、逆に質問された。

 「小沢もおれも、同族だからなあ。おまえら、新潟と岩手の区別つかへんやろ。東京もんや大阪もんよりは、小沢に親近感あるよ」

 と、答えたら、彼女も含め全員笑った。いい意味でも、悪い意味でも、似た者同士なところがあるといわれた。小沢と面識のある人によれば、腰の低い謙虚な人だという。

 小沢支持が2割といわれたら、そんなものだろうと思う。このバッシングの中で、2割も支持者がいるのはすごいことだ。しかしだからといって、それがイコール不支持8割につながるのか。「大嫌い」と即答した彼女も、日本にはやはり政治改革が必要で、そのリーダーシップをとるのは小沢くらいしか思いつかないといっている。

 「小沢に期待するか」というネットアンケートでは、「どちらかというと」も含めると、「期待しない」は59%と過半数だが、「期待する」も39%ある。
 http://seiji.yahoo.co.jp/vote/result/201008260001/

 このアンケートが正しいといいたいわけでない。しかし「小沢不支持が8割」という偏向報道を相対化する効果はあるだろう。

 『統計でウソをつく法』という統計学入門の古典がある。世論調査は設問や調査方法にも大きく左右される。「支持」か「不支持」しか選択肢がなければ、「不支持」と答えるしかないだろう。「期待するか」という言葉にかえれば、この調査のように反応も変わってくる。「実力があるか」という質問なら、逆転しないまでも、伯仲するだろう。そんなサンプルだ。小沢バッシングは、好きか嫌いかを超えた小沢待望論の裏返しにすぎまい。

 しかし小沢の代表戦出馬が伝えられた日、「菅体制支持」を表明したはずの鳩山が、その日のうちに「小沢支持」に180度転換というマスコミ報道には、とことんあきれた。いつもの鳩山の風見鶏かもしれないが、フライングもいいところだ。何も取材できていないし、分析もできていないだけではないか。記者クラブ制度にスポイルされ切った、情報カルテルのゆがみそのものだ。

 民主党のよいところは、2002年からフリーランス、雑誌記者、海外メディアにも記者会見を開放し続けていたところだ。自民党、首相官邸、全官公庁、警察・検察とちがって、記者クラブをクローズにしてこなかった。

 昨年3月、当時の小沢代表の公設秘書が、政治資金規正法違反による逮捕・起訴で、マスコミの総バッシングを受けていた頃もそうだった。「政権交代しても記者会見をオープンし続けたまま首相官邸に入るのか」というフリージャーナリストの上杉隆氏の質問に、 当時の小沢代表は、「私は政治も行政も経済社会も日本はもっとオープンな社会にならなくてはいけない。ディスクロージャー。横文字、カタカナを使えばそういうことですが、それが大事だと思っております」と回答していた。
http://diamond.jp/articles/-/7068?page=3

 この記者会見のやりとりは、見ていてとてもいい光景だった。ディスクロージャーこそ、マスコミや官僚たちの権力を無効化する最大の武器だろう。しかし、そうはいいながら、小沢自身は秘密主義者で、何を考えているかわからない面がある。

 「変革はひとつ起こると、必ずや次の変革を呼び寄せる」とマキアヴェッリは言った。政治家の仕事は、『君主論』で語られているように、愛されることではあるまい。さて、小沢は真のマキャベリストたりうるだろうか?


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