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〈革命の尊厳死〉に関する覚書

2012年09月22日 | 革命のディスクール・断章
 差別と暴力に関するメモの断片。

 古き中核派(「良き」とはいわない)なら、差別も「共同性の対立的表現」あるいは「他者への対立を媒介として表現されたところの共同性」であり、「それゆえ、その止揚はその人間史的分裂の止揚を意識的に推進する過程をとおして実現されねばならない」というところだろう。

 『暴力の復権のために』の「暴力」を「差別」と言い換えてみると、華青闘告発の七・七自己批判以降、中核派が倒錯した「血債思想」に陥っていった思想的な根拠も了解可能なものになる。

 この基本論文は、「個に死して類に生きる」というフレーズで知られる。このスローガンは「一人はみんなのために」を極左的に愚直に言い表したものであり、結局は中核派が戦後民主主義の行動極左集団にすぎなかったことを示すものである。

 「侵略戦争を内乱へ」というスローガンを支えた「アジア人民の血の債務」を担保したのは、「革マル殲滅の血の債権」であったといえるだろう。

 「人間社会がその分裂を止揚しえていないかぎりにあっては、他者との対立という粗野な契機のもとでではあれ、暴力が共同体を内的に規制し、その英雄主義を鼓吹する人間的表現である」

 いいかえれば、革共同がその分裂を止揚していないかぎりにあっては、革マルとの対立という粗野な契機であっても、内戦が党を内的に規定していたわけだ。同志本多は、自らの死をもって英雄主義を鼓吹する人間的表現を示したのであった。

 〈個〉〈類〉〈死〉〈共同性〉という超歴史的・超時間的な概念こそ疑われねばならない。近代ブルジョア・イデオロギーにとどまっている意味で、没階級的であるといいなおしてもよい。これが中核派を「戦後民主主義の極左版にすぎない」とわれわれが批判しなければならない理由である。
 
 同志本多は間違えていた。死一般は存在しない。死は代理不可能であり、死は各々に固有の死としてのみとしてしかありえず、またわれわれは他者の死亡を経験することはない(ハイデガー)。

 海老原虐殺の時点では、まだやり直しも可能だったであろう。早稲田解放闘争において、大衆運動を防衛しようとした中核派の〈良心〉もまた疑うことはできない。しかし革マル戦争開戦を選んだ中核派には、もはや死ぬことしか残っておらず、それも心臓死を選ぶか脳死を選ぶかの選択肢しかなかった。そして中核派は〈個に死して類に生きる〉脳死を選んだのだといえよう。



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