新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃんとお父さんの日々。

梨花れんと百合問題

2019年08月14日 | まどマギ・マギレコ

 ふたりは、何かお母さんを心配させるようなことをしてしまったのだろうか。画像は、マギレコ2周年カウントダウンストーリーより。さて、タアモさんの『アシさん』に出てくるBLまんが家・山猫先生がアシスタントの主人公に渡すキスシーンの大ゴマの下書きは、自作品のキャラでなく、いまハマっているアニメ『バレボー』の「鳥哲」である。ペン入れするときは、ちゃんと自分のキャラに直すというが、いったい、何を考えているのか。

 「自分のキャラは 子供みたいな ものなんだよ」
 「自分の子供が キスとかセックスを するのを 見たくはないだろ?」
 「そこで 萌えキャラ なんだよ」

 山猫先生の笑顔は今日も素敵だ。主人公は「何を 言っているのか わからねぇ」といつものようにドン引きするが、このセリフだけは、少しは理解できるような気がした。梨花れんに出会っていたからだ。もちろん、私の場合は、ファン心理として、ということだが。

 『マギレコ』の梨花れんは、友情なのか恋愛なのか百合なのか。ファンの間で議論になりかけたこともあった。しかし私は思う。自分の娘がキスしたりセックスしたりなんて、考えたくない。ふたりが結婚報告に来たら、いきなり反動化して、反対するかもしれないが、最終的には本人が幸せでさえあればいい。親の願いはそれだけだ。孫の顔は見たくなることがあるかもしれないが、それもふたりが決めることで、親の関知するところではない。

 エイズで死んだ哲学者フーコーの、セクシャル問題関連のインタビューや座談やエッセイを収録した『同性愛と生存の美学』という本がある。本書のキモは、フーコーに向かって、カミングアウトを迫るゲイ雑誌の編集者に対して、フーコーが断固として回答を拒否するところだ。ゲイかそうでないかなんてちっとも大切でない、自分が関心があるのは、孤独に生きるしかない人間に連帯は可能なのかという問題だけだというのだ。

 そう、梨花れんが友情か恋愛か百合かなんて、どうだっていい。この二人は、ひとりぼっちで生まれ、ひとりぼっちで死んでいくしかない孤独な人間にも、「連帯」そして「愛」が可能だということを教えてくれる。

 最後に、その清楚な出で立ちで多くのパパママを虜にした、れん私服ver.を。その日、梨花と一緒に魔女を倒し、女性を助けることができたれんは、文房具屋さんに色鉛筆を1色買いに来る。彼女はこれを「恒例行事」と呼ぶ。「自分自身へのご褒美」のような、浮き浮きした楽しい買い物ではない。また誰かひとり助けることができたら、引き出しに色鉛筆が1色ずつ増えていく。それが絶望に満ちた暗闇の世界に「彩り」を取り戻していく再生への祈りであり、「儀式」というと大げさだけれど、中学生らしく慎まやかでかわいらしい「行事」なのだ。れんがその日買ったのは、梨花が好きなピンク系の色鉛筆。




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