今日は敗戦の日だ。だから、たまには左翼ブログらしいことを書いてみよう。
私はまんがやアニメについてだけ語っていたい。本業の労働組合活動家としては、まじめに仕事をしていると思うから、別にブログくらいいいだろう。病気をして、人生の残り時間を意識してからは、特にそうだ。しかし残り少ない命だからこそ、若い人たちがこれからも平和に生きて、いつまでもまんがやアニメを楽しめる世の中にしていかねばならない。
ある人が、「左巻き」の人は「敗戦の日」というが、「終戦記念日」のほうが、日本人の心情には近いだろうという意味のことを語っていた。私は自分の言い方を変えるつもりはないが、なるほど、と思う。
日本が連合国に対する降伏文書に調印したのは、9月2日で、今日は「終戦の詔書」を告げる「玉音放送」があったという日にすぎない。しかし、この日が「終戦記念日」とされてきたのも、死者たちがあの世から帰ってくるお盆と重なるからだろう。戦争を天災のように見なす大衆の幻像にとって、終戦は台風一過で壊された街と青い空だけが残ったように受け止められているにちがいない。それはわかる。
玉音放送といえば、『日本のいちばん長い日』だ。私は2015年のリメイク版がテレビ放送されたときに滞在先で偶然見た。調べると2016年8月14日放映だったようだ。公開の翌年にはもう地上波に流れたらしい。
偶然だが、この年の1月に、仕事のついでに本作のロケ地になった舞鶴を訪ねている。「提督」でもない私が急に舞鶴を訪ねたのも、この地が海軍に徴集された祖父の青春の地で、亡母や伯母たちが訪ねたがっていたのを思い出したからだ。舞鶴の街を歩き、海軍カレーを食べ、ロケ地となったレンガ館で、映画のスチールや撮影風景を記録した展示パネルを見た。
先日、天保期以降の幕府による表現規制と、今日の問題を重ねて論じた記事のタイトルを、ヘンリー・ダーガーの『非現実の王国で』をもじって、『非実在の民主国で』としてみた。
戦後民主主義の欺瞞は、「象徴天皇制」とワンセットになった「象徴民主制」にあると私は断じてきた。民主主義がいいものだとはちっとも思わないが、左翼セクトの意志決定システムや乱脈財政を、「資本主義以前、ブルジョア民主主義以下」と批判することもあった。そういう私は、象徴的なものであれ、少なくとも日本の政体を「民主国家」と見なしていた時期もあったわけだ。今はどうだろう。この夏の参院選で、実在しない「民主党」をしきりにバッシングする者がいたが、いつからこんな「象徴」と呼ぶことさえためられわれるガラクタ集団に成りはてたのか。
村上春樹が、河合隼雄との対談で、『ねじまき鳥クロニクル』のモチーフをこう述べていた。ノモンハン事件を取り上げたのも、「軍隊」という、近代ではもっともシステマチックであるべきものが、日本ではカオスであるところに恐怖を感じたというのだ。
私はこの話に、名古屋城天守閣で見たパネル展示を見た日のことを思い出した。米軍の爆撃で破壊されるまで、名古屋城には江戸期の大小の天守や櫓などが残り、姫路城に並ぶ歴史建築物だったという。この大天守が爆撃され完全崩壊するまでの様子をとらえた、米軍による連続写真の前で、私は突如御しがたい怒りに捉えられた。
城好きというほどでもないから、封建制度の遺物が破壊されたこと自体は、別にどうとも思わない。私が怒りを感じたのは、米軍がきちんと記録写真を残しているという点であった。戦前の日本政府や日本軍は、こうした「科学」の目や「システム」の思考を持ち合わせていただろうか。
歴史修正主義に明け暮れる保守政治家や論客たちは、なぜ戦争に負けたのか、検証したことも反省したこともない連中ばかりだ。慰安婦の問題でも、「日本は悪くない」「どこの国もやっていた」という子どもじみた言い訳をするばかりだ。何が「歴史戦」だ。『魔法少女リリカルなのは』でもないくせに、勝手に時空管理局を名乗るな。
「保守」とか「愛国」を名乗りたいなら、今度こそ負けないこと、次こそ勝つことを第一に考えなければならないのに、おまえらは言い訳ばかりではないか。戦士になりたければ、敵に恐れられてこそなんぼのものだ。愛されたり理解されたりしようとは思ってはならないのである。
孫子にもあるように、「戦わずして勝つ」ことがいちばん賢い。戦争とは、国家の支配者や権力者同士が、敵国の労働者に自国の労働者を殺させて、自分たちの支配を貫徹しようとするものだ。若い人たちはみんな賢い。賢い若い人たちが、こんな愚かな争いに加わることはないだろうと私は信じている。だから、希望を持っている。戦争に行くくらいなら、革命にたちあがろう。
『日本のいちばん長い日』は、1967年の岡本喜八版も観たはずなのだが、断片的な記憶しかない。いつかちゃんと観てみたいと思う。