2日休んで、どうにかデスクワークできるくらいには回復しました。
ただ、いつもの階段二段飛ばしで息切れがします。まだ本調子とはいえないようです。
一年前の記事にリンク。
江戸城の見えない日本橋──安政江戸地震後の江戸を歩く
丹波の農作業の帰りに、書店で見かけた『北斎 富嶽三十六景』(岩波文庫)を買い求めた。身体を動かすと、脳みそも刺激を欲するようだ。『富嶽三十六景』を画集で観るのは、9年前に仕事......
今年もまだ大谷の話題で持ちきりなんですね。
でも、いい大人なんですから、政治にも興味を持たないとだめですよ。
「お江戸にはカタストロフは似合わない。
江戸の終焉は、壮大な破局ではなく一場のアナストロフ(躁状態的破滅)のうちに到来した。舞台では社会各層の感情波動がすべてばらばら、めいめい勝手に進行していた。喧騒はひどかったはずである。しかし、ほとんど異様なまでに静穏に感じられるのは、もっと重苦しい超低周波の地鳴りがほかを圧倒していたからである。
……このアナストロフの地平には、幕府が地震後十二年にわたって百三十万人口のうちに培養したラディカルな能天気、支配層への期待感ゼロ状態、とことん徹底的な政治無関心が広がっていた。幕府は自分で、いかなる政治勢力にもまるで役に立たない膨大な人口集団を作り出していた。それが幕末『都市』問題のハイライトであった。そして間違いなくここには、液状化した地盤の奈落に国家権力が自重で沈降してゆく日本政治の原風景がある」
(野口武彦氏『安政江戸地震』より)
全く江戸時代から進歩していないようです。
しかし、安政江戸地震の復興事業を見る限り、江戸幕府のほうが現在の自公政権よりはるかに優れていたといわざるをえません。震災の翌日には被災者のための仮設住宅が完成しているのですから。
大火や台風で災害慣れしていたこともありますが、幕府は大きな被害を受けた江戸城の復旧より、住む家を失った江戸庶民の救済事業を優先しています。この点だけ見ても、江戸幕府のほうがましですね。
もちろん、政府中枢は無能でも、官庁にも自治体にも、まじめで誠実な役人さんが大勢いるでしょう。日本の庶民も、捨てたもんじゃありません。そろそろ方向転換のときではありませんか。
それでは、おやすみなさい。