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「忠臣蔵」幻想とゾルゲ事件

2011年12月14日 | 革命のディスクール・断章
  とかなくてしす。本当はこわいいろは歌。これが仮名手本忠臣蔵のネーミングの由来だった(赤穂義士も仮名も47)。『とめはねっ!』かな編で、JK(古い)大喜びの話を読んで、「ほう!」と一緒に感動していた。世の中知らないことばかりだ。

 思い出して、6年前に書いた文書を再掲してみる。新史料の発表が相次いだゾルゲ関連では、もう古びているかもしれない。

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 12月14日は大石内蔵助ら赤穂浪士47人が、吉良上野介邸に討ち入りした、義士祭の日とされている。『忠臣蔵』といえば、あの大雪の情景をだれもが思い出す。しかし江戸の初雪は例年十二月末で、大雪になるのは、二月、三月頃のことが多かった。それもそのはずで、太陽暦でいえば1703年1月31日である。1702(元禄15)年と表記したサイトもあるので、注意が必要だ。

 「四十七士」の伝統的なイメージは、講談・浪曲・映画などによって作られてきた。そして芥川龍之介から、山田風太郎・井上ひさし・森村誠一・池宮彰一郎などの作家が、人々が共有する「忠臣蔵」幻想に乗って意匠を競い、読者はそれを楽しんできた。

 丸谷才一の「忠臣蔵とは何か」(1984年)は、「忠臣蔵」論の古典というべきだろうか。赤穂浪士の仇討ちは、非業の最期を遂げた者の怨霊を鎮める祭祀儀式だというのが、その斬新な主張であった。忠臣蔵は、主君に忠義を尽くす「武士道」の物語などではない。将軍を殺害し体制を呪詛する『曾我物語』をルーツにした、王殺しの物語なのだ。本命は将軍綱吉であり、吉良上野介はスケープゴートにすぎない。この御霊信仰は、冬の王を殺し、春の王を迎えるヨーロッパにつながる世界性を有しているという問題提起だった。

 文化人類学の知見を駆使した、丸谷の祝祭的「忠臣蔵」論は、実証的な側面では、疑問が残る。丸谷の忠臣蔵論は、中曽根「戦後政治総決算」路線が、「国際化」を生き抜くための「ナショナル・アイデンティティ」を核心にしていたこととイデオロギー的に照応するものである。当時の国鉄のキャンペーンタイトルは、「エキゾチック・ジャパン」だった。

 「忠臣蔵」は、民衆の娯楽であると同時に、そのときどきの日本帝国主義の国民統合のイデオロギー装置として一役買ってきた。このことを戦勝国であるアメリカ帝国主義はよく理解していた。

 『菊と刀』をあらわしたルース・ベネディクトは、「日本の真の国民的叙事詩というべきものは『四十七士物語』である」と述べている。連合国最高司令官総司令部(GHQ)は、「日本の軍国主義」を一掃して「民主的な社会」を建設するために、封建的忠誠や仇討ちを称揚する映画や演劇の上演を禁止した(1945年9月22日)。「忠臣蔵」こそは「封建的忠誠と仇討ち」物語の究極である。

 歌舞伎では、中村吉右衛門が「芝居は武士道へ反逆する町人の芸能である」と総司令部の芝居愛好家のバワーズに交渉する。この交渉が奏功して、1947年に『仮名手本忠臣蔵』の上演が許可された。

 しかし大衆への影響力が大きいと考えられた映画で『忠臣蔵』が復活するのは、歌舞伎よりもはるかに遅れた。片岡千恵蔵主演の『赤穂城』の公開は、アメリカの占領統治が終わった1952年のことである。それも製作を始めるにあたっては、「大石ら赤穂浪人は封建制度打破の幕府に抵抗した民主主義者だ」という「釈明」が必要で、「忠臣蔵」というタイトルも慎重に避けられた。

 GHQは、羊のように従順な日本人たちが、大石ら赤穂浪人のように、無抵抗を装って復讐の機会をうかがっているのではないかと警戒していたのだ。それほど「四十七士物語」は、日本人の危険性を示す物語として警戒されていたのである。

 占領軍がそれほど「忠臣蔵」を恐れなければならなかったのも、四十七士の物語が皇道主義の青年将校の反乱と結びついていたからである。2・26事件当時、日本に滞在していたゾルゲはそのことを理解していた、数少ない外国人だった。

 「ゾルゲと二・二六事件の物語に、一つの余話を付け加えておかねばならない。多くの日本人の目には、天候の条件が、たまたまその蜂起に、特殊な歴史的意味を与えることになった。二月二十六日の早朝に降った雪は、暗殺事件の舞台背景になったが、それは、日本人には彼らの心に抱かれていた一つの情景……つまり、17世紀江戸のある冬の朝の、四十七人の浪人の復讐を想起させずにはおかなかった。」(『ゾルゲ追跡』)

 ゾルゲが国際ジャーナリストとして名をあげたのは、「東京における陸軍の反乱」だった。この論文を、ナチス党員のジャーナリストとして執筆したゾルゲが、「彼らは恨み重なる主人の仇に血に塗られた首を、主人の墓に供えて、それから自らの腹を切った。彼らは、自らの目的を酒とあてどのない放浪で隠してしまうことを知っていたのだ」と語っていたと伝えられる。ゾルゲが大石内蔵助に自分をなぞらえていたとすれば、また違った感慨も湧いてくる。もう日本人が二度と立ち上がらないなどと、そんな幻想にとらえられているのは、世界中で実は私たちだけなのかもしれない。


【参考文献】
『近代日本と「忠臣蔵」幻想』 宮澤誠一(青木書店)
『カレンダー日本の天気』 高橋浩一郎(岩波ジュニア新書)
『ゾルゲ追跡』 F.W.ディーキン+G.R.ストーリィ(岩波現代文庫)
『二つの危機と政治』 リヒアルト・ゾルゲ/石堂清倫他訳(御茶の水書房)

(2005年12月14日初掲)

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