鐵屋+Cafe ~島々ノ文化ノ風ガフク~ 現代アート 鉄彫刻家

鉄彫刻家の創作な日々と鐵屋+Cafeの島風な日々。『紅い鉄』『土へ還る鉄』を暮らしへと♪島文化薫るカフェとアートな鉄。

今日からカフェ。カフェ用。

2020年02月20日 10時53分42秒 | アート・文化

今日から、
カフェ用のユニフォーム。

選んだ時は、
面白いってなっていたけど、
いざ、着てみると、
恥ずかしくなってきた。

たまには恥じらいも良いと
鏡は見ないようにした。

不二家さんのキャラクターなので、
そこは、謙虚に謹んで敬意を。

夏は、
Tシャツが定番。
ミズサバ(ジンベイザメ)の
イラストTシャツと
Beatlesのイエローサブマリン。

冬はパーカーが定番なので、
色々探してしていたけど、
面白いイラストがなくて。
やっと、これいいねって
即決、衝動買いした。

今日から、カフェ。

本日の鐵屋ランチ♪

2020年02月20日 08時11分29秒 | 鐵屋+Cafe


本日の鐵屋ランチ♪

ごはんものは、
沖縄ポーク丼です。

島のサンドは、
黒糖レーズンパンから
メープルパンに♪

お待ちしております。

鐵屋+Cafe

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鐵屋オリジナル木製トレー。

2020年02月19日 19時58分07秒 | 創作・活動 





鐵屋オリジナルの
木製トレー。

ランチ用とカフェ用の2種類。

木製トレーは、
企画制作として、
毎年春頃頃から
鉄犬と鉄猫と共に
纏めて制作しています。
昨年は、店舗さまの
鉄造作が重なり、
夏頃までつくれなくて、
そのまま
年を越してしまいました。

今年は、早目に動こうと
予定していましたら、
オーダーが入りましたので
オーダー分のみを制作し、
追って、例年通りに
店頭販売用を制作していこうと
予定空けております。

鉄犬と鉄猫も
リクエストありましたので、
後手にならぬように
制作急ぎます。

僕にはしか出せない錆。

2020年02月19日 12時14分42秒 | 日記・エッセイ・コラム


錆を育てる。
24年も錆をどう伝えるのか?
考えている
今もずっと考えている。

脆く、煩わしい、汚ないという
イメージをどう?変えて、
鉄の表情のひとつとして
鉄の衣として、
錆のことを
好きになっていただけるのだろうか?

シャビーシックな
インテリアやエクステリアが
最近ではカッコいいと
錆も少しずつ受け入れられてきたので、
僕も作品制作がしやすくはなってきた。

でも、その価値観は、
エイジングによる加工であったり、
敢えて似せてる錆風も多く、
本来の鉄の表情は
曖昧なイメージの中で
受け入れ易いカタチに
なりつつある。
それはそれで、
風合いに惚れてくれる方々が
増えてくれるから、
嬉しいことではあります。

ホンモノの錆から
感じる時間を
僕は伝えていきたい。
ちょっと扱いづらいけど、
ひと癖、ふた癖あるけれど、
手間のかかる
めんどくさいことに
鉄がくれる時間ってものがあるから、
そこは、
僕にしか出せない錆がある。

ギャラリーに並ぶ僕の作品は、
完成形ではない。
そこが、わかりづらいのは
わかっている。
けれど、
暮らしへ連れていってくれた方と
一緒に錆を育てたいと願っている。
錆は環境で色んな表情を
つくってくれる。
色も質感も、
お天気でも毎日違った表情をする。
それを伝えたくて、
未完成であり続けたいんです。

それを、これからも
ずっと表現していきたい。

錆を育てて24年。

ここに通っていました。ハワイ大学マノア校

2020年02月18日 14時32分48秒 | 日記・エッセイ・コラム





ここに通っていました。

寮はショッピングセンターに変わったみたい。Googlemapのストリートビューで歩いた道のりを見たら、大きく変わっていなくて、鮮明に思い出しました。ワイキキへ向かうバス停近くのBURGER KINGがおそらくつくね屋という日本食屋に変わったような?寮の裏から抜け道を行ってハイウェイ下をくぐった所にコンビニみたいなショップがあって、大通りへ出ると大きなショッピングセンターがあった記憶。バス停降車もその辺りが多かった。行きはBURGER KING近く、帰りはショップ近く。

建物は30年前だけど、まだ健在の様なので、訪ねていきたいな。

2枚目の写真は、日本で云う生協みたいな所があって、この壁画前で写真を撮った。後日、アップします。ここで、ユニバーシティーオブハワイブランドの商品がたくさん売っていた印象が強いです。学舎はここから、東へ日本庭園近くであったと。授業前に自販機でドリンクを買って、教室に持ち込んでいたと思う。朝食や昼食は、寮近くの大学専用カフェテリアをいつも利用していた。夕食も。
コインランドリーで洗濯してる間に、コンビニみたいなショップへ行っていた。細い階段を降りて行く時の夜景がオレンジ光で悩ましかったのは今でもアメリカってイメージで変わらない。


3枚目は、お世話になっていた寮。窓からキャンパスへ向かう学生が見えて、受験を控えていた自分には、間違いなくアメリカの大学へという憧れであった。授業についていけなかったけどディスカッションスタイルや積極的に自己アピールする授業が多かったので、逆に勢いで乗りきっていた感じ。ボディーランゲージがほんとどで。文化交流の授業だけは、激しく英語力の必要性を痛感したのを覚えている。知りたいことが言葉の壁で知れないもどかしさは、きつかった。テキトーな感覚が誤解を与えたことがあったから。ナイーブでデリケートな政治感や思想要素あるディスカッションはほんときつかった

そんな経験は、今でも生きてます。

そして、ここで見た景色こそが、作品制作の原点であります。

文化は伝えるものではない、
伝わってゆくものだと
教えてくれたこと。
いつもそこを意識してます。