恐怖日和 ~ホラー小説書いてます~

見よう見まねでホラー小説書いてます。
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恐怖日和 第十八話『転校生』

2019-05-23 11:42:56 | 恐怖日和

転校生

「きょうは三年二組に新しいお友達がやってきました。
 真崎すばる君です」
 串本先生がいつもの笑顔で黒板に名前を書いた。
 その子は頭でっかちで、みんなより少し背が低かった。
 先生が話している間ずっとうつむいたままで、挨拶をうながされても気弱な上目づかいで周りを見るだけで口を開くことはなかった。
 クラスメートたちはこれで真崎すばるを弱虫の変な奴だと認識しただろう。
 瀬田隆はこの子は完全に高木にいじめられるなと思った。
 高木は根っから意地悪だ。体格がよく、自分よりも弱くて小さい奴を見つけると必ずいじめの対象にする卑劣な奴だ。
 クラスメートたちも巻き込んで、いつまでもしつこくいじめ続ける。
 入学した頃から今まで数人の犠牲者が不登校になったり転校したりした。もちろん被害児の親が学校や教育委員会に訴えたが、学校側はいじめの事実はないと隠蔽し続けている。
 ご多分に漏れず高木の親が町の実力者だからだろう。
 いじめへの情熱を勉強に傾けたら、もっと成績が上がるのに。
 勉強が得意ではない高木に隆はいつもそう思っていた。
 だが、自分もただの傍観者でいられなかった。
 高木の一派ではなかったが、命令されるといじめに加担しなければ次に自分が標的になる。それはクラスメート全員同じだった。先生が守ってくれないのなら自分の身は自分で守るしかない。
 隆を含め、みんなしたくもないいじめをやらざるを得なかったが、高木は現在標的の南田に珍しく飽きが来ていた。
 反撃はしないが、中にはいじめをものともせず、ただひたすら無視し続ける南田のような奴もいる。
 もし完全に飽きたら次は誰が標的にされるのか、隆を含めみな戦々恐々としていた
 そこに真崎すばるが転校して来たのだ。
 やりがいのある新鮮な獲物に高木の目が爛々と光っている。
 案の定、その日の放課後、真崎すばるは高木一派に捕まってしまった。
 数人の男子とともに隆も仲間に加えられていた。高木に誘われ、断れなかったのだ。断れば確実に自分が対象になる。
 ごめんね、真崎君。
 隆は心の中で詫びるしかなかった。
 高木はランドセルを背負った真崎を校舎の裏に連れて行った。
 うつむいたままの真崎の表情はわからなかったが黙ってついてきた。
 隆はきょう一日真崎の顔をちゃんと見ていない。家に帰ってもきっとどんな顔していたのか思い出すことができないだろう。
 高木が裏庭の一角にランドセルを置く。
 みんなそれに倣った後、真崎を取り囲んだ。
 隆はできるだけ離れて立っていた。
 高木が真崎の大きな頭を小突く。
 初めは指一本で軽く何度も突いていたが、調子づいてくると両手で身体を突き飛ばし始めた。
 小さな真崎がふらふらよろけると相棒の三好がそれを受け止めてすぐ高木に突き返す。
 二人は楽しそうに真崎をキャッチボールした。
 それでも真崎はうつむき黙ってされるがままになっている。
 いじめられることに慣れているのかもしれない。
 隆はそう思った。
 高木の命令で一人二人とみな順番に加わっていく。
 次は僕の番だと隆は眉をひそめた。
 本当はこんなことしたくないのに。
 逃げ出したいが、後のことを考えるとそうすることもできない。
 真崎が隆の前に飛ばされて来た。
「ごめん」
 そうつぶやいて小さな体を高木のほうに押す。
 真崎が顔を上げた。無表情なゴムの面をかぶっているようでその奥に潜む真っ黒な瞳が隆をじっと見ながら、高木のほうによろめいていく。
 高木はとっさに身を引いた。
 受け手をなくした真崎が地面に尻餅をつき、隆以外のみんなが大笑いした。
「瀬田、お前も笑えよ。面白くないのか?」
 高木からすっと笑顔が消え、冷たい眼差しを向けてくる。
「お、面白いよ。はははは」
 誰が見ても取ってつけたような笑いだったが、高木は機嫌を良くして座り込んだままの真崎を蹴り始めた。
 隆が面白がっていようとなかろうと高木には関係ない。人を支配していることに意味があるのだ。
 みなが次々高木を真似て真崎を蹴った。シャツに付いた足跡のスタンプが重なりあって茶色に染まっていく。
 隆はさすがに躊躇した。
「おい瀬田、蹴れよっ」
 高木の一言でみな蹴るのをやめて隆に視線を送る。
 その隙に真崎がゆっくりと立ち上がった。
「誰が立てって言ったよ、このくそチビっ」
 高木が真崎の背中に飛び蹴りを喰らわせた。
 だがさっきとは違い、真崎はびくとも動じず、逆に高木が尻餅をつく。
「てっめぇぇっ」
 顔をいっきに紅潮させ、高木が勢いよく立ち上がった。
 真崎はゆっくり振り返ると口をぱかりと開け、
「ああああああああああああああああああ――」
 サイレンのような大きな声を上げ始めた。
「なんなんだよ、てめえうるせえよ」
 高木が耳を塞ぐ。
 真崎の異様な姿に隆は怖くなって逃げ出し、高木たちもみな散らばった。
 声を上げたまま真崎がみんなを追いかけ始める。
 隆は植え込みと塀の隙間にしゃがんで隠れた。胸が痛いくらい鼓動が激しい。
 口を開けた時の真崎の顔にぞっとした。あの声も気味が悪い。焼かれながら死ぬまで叫び続ける人の声みたいだ。
 もちろんそんな声など今まで聞いたことないが、そうとしか思えなかった。
 遠くなったり近くなったりしながらまだ真崎の声は聞こえている。
 横の植え込みががさがさ動いて隆は身を縮めた。
「なんだあいつ。気持ち悪ぃな」
 高木がしゃがんだ姿勢で入ってきた。
 急に真崎の声が止み、あたりが静かになる。
「やっと止まったか――
 あれがあいつの逃げ方か? 
 なあ瀬田、もう帰ったのか見て来いよ」
 高木が顎で命令する。
 確かに声は聞こえないが、隆は出て行く気になれなかった。
 首を横に振ってうつむくと、高木が小馬鹿にしたようにふんと鼻を鳴らした。
 だが自分も見に行こうとしない。
 三分ほど経ち、「お前もたいがい弱虫なのな」と業を煮やした高木が植え込みから出ていった。
 明日から僕がいじめられるかもしれない。
 隆はうつむいた顔をさらに沈めた。
「わっ」
 叫び声が聞こえ、隆は植え込みの隙間から覗いた。
 突っ立ったままの高木とその前に立つ真崎が見える。
 声はないが真崎の口は開いたままで、頬の皮膚が溶けたようにだらりと垂れていた。
「ああああああああああああああああああああ」
 再び声を上げ始めた真崎が蒼くなって逃げ出す高木を追いかけていく。
 二人の姿が見えなくなり、声が遠ざかって聞こえなくなっても、隆は植え込みの陰から出ることができなかった。
 やがてそれぞれ隠れた場所から三好たちが出て来た。
 それを見て安心して隆も植え込みから出た。
「もう戻ってこないよな」
 誰にともなく問う三好にお互い顔を見合わせたが、その答えは出ない。
 みんなそそくさとランドセルを持って帰っていく。
 三好が自分と高木のランドセルを持つと、隆に「じゃ」と言って帰った。
 残っているのは隆と真崎のランドセルだけだ。
 隆は少し躊躇してから二つのランドセルも持って校門まで来た。
 これ、どうしよう。
 真崎のランドセルを職員室に届けようかどうか迷った。
 だが、なぜそれがここにあるのか先生に問われてもどういえばわからないし、家に届けるよう頼まれても怖い。
 さっきの真崎の顔と声を思い出して隆はぶるっと身震いした。
 結局、ランドセルを門扉に立てかけ帰ることにした。

「おはようございます」
「おはよう」
 門の前に立つ先生に挨拶しながら隆は周囲を見回す。
 ランドセルはなかった。
 あれから真崎が取りに戻ってきたのか、先生か用務員さんが回収したのかわからないが、きっと本人のもとに返っただろう。
 一晩中気になっていたがとりあえず安心した。
 教室に入ると、昨日の連中は何事もなかったようにきょう発売の漫画雑誌や昨夜観たアニメの話題で盛り上がっていた。真崎も高木もまだ来ていない。
 自分の席に着いた隆に三好が近づいてくる。
「きのうさ、高木の家にランドセル届けたんだけど、まだ帰ってなかったよ。どこまで逃げてったんだろな」
 浮かない表情の三好に隆は「さあ」と首を傾げた。
 予鈴が鳴る寸前、ランドセルを背負った真崎が教室に入ってきた。
 初めての時と同じようにうつむいたまま席に着く。
 三好やその他の奴らはちらっと見ただけで何も言わなかった。
 串本先生が来ても高木は来ない。
 出席を取っていた先生は高木を抜かして次の生徒の名を呼んだ。
「先生。高木は?」
 三好が間に割り込む。
「えっ? ああ――
 そうそう、さっき連絡があってきょうは休むそうよ」
「どうしたんですか」
 三好の質問に串本先生は「さあ――」と困ったような笑顔を浮かべてそのまま出席を取り続ける。
 三好は何か言いたげにこっちを見たが知らんふりした。
 昨日あれから何があったのか。
 隆も気になって真崎のうつむいた横顔をじっと見ていると顔がゆっくりと隆のほうへと動き出したので慌てて視線を黒板に移した。

 高木はその日以降も学校に来なかった。
 先生に訊ねても要領を得ないし、家を訪ねても誰もいないんだと三好は心配していたが、日が経つにつれ次第に何も言わなくなった。
 真崎はいつまでたっても変わらずうつむいたまま日々を過ごしていたが、彼をいじめるものは誰もいなかった。



掌中恐怖 第二十七話『魚臭』

2019-05-21 11:23:59 | 掌中恐怖

魚臭

「あら、いやだ。マチ子さん、ほーんとあなた、魚の食べ方汚いわね」
 姑の声にわたしはいつものようにただうつむく。
 魚は見るのも食べるのも嫌いだった。あの生臭いにおいが我慢ならない。嫌々食べるから魚の食べ方がどうしても雑になる。
 マグロの値が高騰した、サンマの水揚げが悪いなどのニュースを見ても何とも思わず、むしろ、この世から魚が消えてくれてもいいとさえ思っている。
 なのに姑は毎日毎回嫌みを言う。
 だから子供たちの箸使いも下手になるのだと。
 そのせいで魚がもっと嫌いになった。
 同居した時、一つの家にふたりも主婦はいらないと姑は自分だけ自由に遊び歩き、家にいなかった。
 だが、わたしが魚料理を食べない、作らないと知るや出かけることがなくなり、一日中いて台所にしゃしゃり出てくるようになった。
 そして魚料理ばかりを食卓に並べ始めた。料理上手というわけでもないので下処理や味付けが悪く、生臭みがいっそう増している。
 誰もいない昼食にまで手の込んだ料理などいらないのに、菓子パンかカップ麺のほうがマシなのに、この女は毎日毎回わたしの目の前にぷんぷん生臭い魚料理を置く。
「さあ、マチ子さん、まだまだあるわよ。たーんとお食べなさい。魚の食べ方上手くならなきゃ。子供たちのお手本になれなくてよ」
 姑は焼き魚の皿を退け、煮魚を突き出した。
「わたしは魚が嫌いなんです――」
「えっ、なんですって?」
「魚が大嫌いなんです――」
「なに? ぼそぼそ言ってちゃ聞こえないわ」
「だぁかぁらぁ、魚もお前も大っ嫌いってんだよっ」
 流し台に置かれたままの出刃包丁を引っつかむと姑めがけて振り下ろした。

 魚は触れないし、さばいたことがない。
 これからも絶対触ることはないし、さばくこともないだろう。
 でも肉は好きだ。だから触れる。
 どんな肉でもさばける。
 さあみんな、きょうからずっと肉料理よ。

スイートホーム 最終話

2019-05-19 11:01:32 | スイートホーム



           ** 

 あれからひと月――
 エイジは目覚めないまま原因不明の意識障害でまだ入院していた。
 一人息子に何が起こったのかわからない両親は憔悴していたがダンダ、チャメ、ババクンの三人は何も語ろうとはしなかった。
 いじめや喧嘩によるものだと周囲は疑っていたが、エイジの母親は四人の仲がよかったのを知っているので、ダンダたちを責めることはなかった。
 だが、彼らが一様に口を閉ざしていることには困り果てていた。

 その後――
 チャメは一変して暗い性格になり、常に何かに怯えていた。
 心配する母親と口もきかず学校を休みがちになり、やがて完全に部屋に引きこもった。
 登校拒否になって三日目、異変に気付いた父親が施錠されたドアを蹴破って突入、ロフトベッドの柵に紐をかけ縊死している息子を発見した。遺書はなく、なぜ自死したのか理由は誰にもわからない。
 ババクンは両親や他の誰とも口をきくことはなかったが、それ以外は学校を休むこともなく普段通りの生活を送っていた。
 だが、チャメが自殺した二日後、悲鳴を上げながら何かから逃げるように路上に飛び出し、トラックに撥ねられ死亡した。
 ダンダも以前のような活発さが消え、あの日から学校を休んだまま日々ぼんやりとしているだけだった。
 真相を知りたくてエイジの両親が何度も訪れたが問いかけても返事はなく、チャメの自殺やババクンの事故死を知らせても何の反応もしなかった。
 彼の父親は息子に無関心のまま毎日飲んだくれていたが、ある日包丁で腹をえぐられ死亡しているのが見つかった。その日からダンダの行方はわからない。
 警察が重要参考人として捜索している中、隣県の海面で漂うダンダの衣服を発見、押収したが、ただそれだけで生死はいまだ不明である。
 彼らの身に一体何があったのか誰も知る術はなく、この先も永遠にわからないまま――のはずだった――

            **

 ダンダが行方不明になってから数カ月後、唯一生き残ったエイジが突然意識を回復し、泣き叫び暴れ狂った。
 彼の両親が病院に駆けつけた時はすでに鎮静剤を投与され興奮状態は収まっていた。
 二人は担当医と看護師長に立ち会ってもらい、ダンダたちの末路を内緒にしたままで、一体何が起きたのか訊き出そうとした。
 固く口を閉ざすエイジだったが、両親の説得でやがてぽつぽつと話し始めた。
 その告白は両親にも担当医たちにも信じられないものだった。
 夢か妄想か。
 何かドラッグでも使用したのだろう。きっとダンダが勧めたに違いない。
 母親は勝手に決めつけ憤慨し、チャメやババクンに申しわけないと思いつつもエイジが生き残ったことを喜んだ。
 だが翌日、ダンダの件で事情聴取に来る刑事の到着を待たず、頭が割れるように痛いと訴え、エイジはそのまま絶命した。
 両親の落胆は大きく、担当医に原因の追究を頼んだが、説明のつけられない事象が増えただけだった。
 エイジの頭部は外傷もないのに頭蓋骨が陥没し、脳の一部が破壊されていたのである。
 救急搬送された際やもちろん入院中にも何度も検査が行われ、意識障害以外の異常はなかった。
 にもかかわらず、硬いもので殴打されたような損傷が内部にあるのだ。
 医師たちは両親の了承を得てこの理解不能な死因を伏せ、エイジの死を病死とした。
 真相を知る一握りの関係者は幽霊屋敷の累を恐れて決して口を開くことはなかった。
 だが、どこからどう漏れ出たのか、エイジたちの件はウワサになり広まった。
 そして年月が流れ――

            *

 誰も住んでいない荒れ果てた一軒の小さな空き家。
 この家は幽霊屋敷と呼ばれ、様々なウワサが流れていた。
 夜な夜な老人が窓を叩いている――
 血に濡れた灰皿を持った女が仁王立ちしている――
 家に入り込んだ少年たちが全員不審死を遂げた――
 酒を持ち込んでどんちゃん騒ぎをした若者が互いを殺し合った――
 眠る場所を求めたホームレスが灰皿を振り回して町の人々を襲った――
 新しいウワサが生まれるとしばらくは誰も近寄らない。
 だが、恐怖が風化するとまたここに誰か来ては新しいウワサが一つ生まれ、幽霊屋敷は大きく育っていく。

スイートホーム 第十話

2019-05-18 10:35:04 | スイートホーム

 拳をいったん止め「お前らは誰だ? わしの家から出ていけっ」と叫び出し、さっきよりも強い力で窓を叩き始める。
「やべっ」
 ダンダは慌てて懐中電灯を消したが、男の視線は四人から外れることはなかった。
「どうする?」
 エイジは皆の顔を見渡した。
「あのおじさん、なぜかここに入れないみたいだからさ、このままずっとここにいる?」
 チャメが怖いことを言い出す。
「やだよ。幽霊にずっと睨まれてるなんて」
 ババクンがすぐさま却下した。
 エイジもうなずく。
「一気に窓から飛び出て全速力で逃げようぜ」
 ダンダが一人ひとりの顔を見て提案した。
「一気には無理だよ。特に最後は危ない。捕まったらどうする?」
 エイジが首を振った。
「俺が最後になる。あんな幽霊怖くねえし、捕まったら蹴り入れるさ」
 ダンダが頼もしい笑顔を皆に向けた。幽霊に蹴りを入れられるかどうかわからなかったが、笑顔につられエイジたちはうなずいた。
「わかった。オレが窓を開けて先に飛び出す。せーので行くぞ」
 エイジが素早く窓に駆け寄り「せーのっ」とサッシを引いた。だが、びくとも動かない。後ろに続いていた三人がぶつかり重なって、「何やってんだっ」とダンダが声を荒げた。
「あ、開かないんだっ」
 確かに錠はかかっていないのに一ミリの隙間も開かない。
 男がエイジの目の前に立つ。ガラスを隔てているとはいえ割れた頭と血まみれの顔がまともに見えて脚が震えた。
「わしの家から出ていけぇぇ」
 血の泡を飛ばし叫びながら窓枠に手をかけるが男にも開けられず、再び叫んでガラスを叩く。
 男の目がダンダの割ったガラスの穴に気付いた。
 タコのように柔らかく頭を変形させ、少しずつ中に入ってくる。
 穴の縁に削られこぼれ落ちる脳が筋を引きながらガラスを伝い、引っかかった眼球はずるずる神経を伸ばしぶら下がる。それでも男は入ろうともがいている。
 エイジは呆然として目を離せないでいた。
「おいっ」
 ダンダの声で我に返る。
 同じように放心状態だったチャメもババクンも正気に戻ったようだ。
「こうなったら玄関から逃げようぜ」
 そう言いながらダンダが急いでリビングのドアに向かい、エイジたちも後に続いた。
 だが、ダンダが開けたドアの向こうには真っ黒に腐敗した死体が立っていた。
 顔や手足がぱんぱんに膨らみ、強烈な腐臭を発散させている。さっきから漂っていた臭いだった。
 染みだらけのスカートを穿いたその死体は黒い体液を滴らせよろよろとリビングに入ってきた。
「まだ生きてたんかっ」
 握りしめた分厚いガラスの灰皿をぶんっと振り下ろす。
 先頭にいたダンダがとっさにそれをかわし、真後ろにいたエイジの脳天に凶器が落とされた。
 陥没した頭から血を噴き出し、エイジは悲鳴を上げる間もなく仰向けに倒れた。
「死ねっ出ていけぇぇ」
 叫んで灰皿を振り回す女を左右に交わしながらダンダが女の注意を引く。その隙にチャメとババクンは倒れたエイジを引きずってリビングから廊下に出た。
 声を上げて泣くチャメと蒼白になったババクンはそれでも手を緩めず、玄関に向かう廊下を血の線を描きながらエイジを引きずって進んだ。
 ダンダは廊下に飛び出ると同時にドアを閉め、女が出てこないよう全身で押さえた。
 がんがんと灰皿を打ち付ける激しい音が中から響く。
 玄関に到達した二人は扉を開錠し、エイジを外に引きずり出した。
 それを見届け、ダンダがいっきに走り出てくる。
 扉を閉める瞬間、灰皿を振り上げた女がリビングから出て来るのが見えた。
 衝撃がくるのを覚悟しながら扉を押さえていたが、何分経っても静かなままで、ダンダはそっとその身を離した。
「外まで、追い、かけて、こない、ね」
 意識がないままのエイジに寄り添うチャメがダンダを見上げる。
「ああ、きっと家の中だけの問題だったんだろ」
 吐き捨てるようにそう言うと、ダンダは大きなため息をついてエイジを見下ろした。
「おい見ろ」
 エイジの頭部には何の異常もなかった。陥没もしていなければ出血もない。
「あれ? 大丈夫だ」
 チャメが涙をぬぐって笑顔を浮かべた。
「ただの心霊現象だったんか?」
 ババクンもほっとする。
 だが、名を呼び軽く頬を打ったり肩を揺すったりしてもエイジはまったく目覚めない。
 チャメがまた泣き始めた。
「とりあえずここから離れようぜ」
 ダンダとババクンがエイジを肩に担いで門を出た。
 近隣の家々は来た時と同じでひっそりと静かなままだ。
「触らぬ神に祟りなしか――」
 最初からこの家のウワサは真実だと示されていたのだ。
 ダンダはそう思った。

 閉店間際のスーパーでは見慣れぬ少年たちが無断で置いた自転車が問題になっていた。
 そこへ戻って来た少年たちを店長が注意しようとした。
 だが、一人が意識不明の重体だと知り、すぐ警察に通報し救急搬送の要請をした。

スイートホーム 第九話

2019-05-17 12:29:07 | スイートホーム



            *** 

 気付くと、男は裸足で庭に立っていた。
 なぜこんなところにいるのか全く覚えがない。
 部屋に入ろうとしても窓には鍵が掛かっている。
 ガラス越しに妻を探したがどこにもおらず、玄関のほうへ回ろうとしたが、なぜか庭から出ることができない。
「おーい」
 ガラス越しに妻を呼んでみる。だが、来る気配はない。
「おーい。開けてくれ」
「おーい。おーい」
 男は何度も呼びながら、どんどんと窓ガラスを打つ。
 ずっと呼び続けても妻は来ず、いつまでたっても男は家に入れなかった――

            **

「こんな染み見たからそんな気がするだけだ」
 ダンダが笑った。
「ねえ、あれ」
 チャメが吐き出し窓を指さす。
 誰も閉めていないのにサッシが閉まっていた。だが、チャメの指しているのはそこではない。
 窓のそばに男が立っていた。 
 ダンダが素早く懐中電灯を消しが、もう不法侵入はばれているだろう。
 緊迫した空気がエイジの胸を締め付けた。心臓がどくどくと音を立て耳に届く。
 だが。
「あのおじさん、なんか変じゃな――」
 チャメが言い終わらないうちに男がガラスに張り付いて中を覗き込む。
 エイジは咄嗟に悲鳴を押さえた。
 チャメもババクンも口を押えている。
 男の頭が割れていた。砕けた脳が血にまみれ糸を引きながらこぼれ落ち、半開きの口からは泡状のよだれがとめどなく垂れている。
 飛び出た眼球がぐりぐりと部屋の隅々を見回すが、まるで焦点が合っておらず、エイジたちの姿は見えていないようだ。
 男はガラスを拳で叩き始めた。
「おーい、開けてくれ。おーい、おーい」
 サッシは閉まっているが錠は掛かっていない。
 もし男がそれに気付いて入ってきたらと思うと気が気ではなかった。
 呼びかけが「開けてくれ」から「開けろ」に変わる。
 目玉だけが上下左右に動いて視線が定まらない。
「おい、あのじじい、誰に開けろってんだ」
 ダンダが誰にともなく問う。
「おれたち、じゃないよな」
 ババクンが答える。
「これ――心霊現象か?」
「そうだろうな」
 エイジの質問にダンダが笑った。
 部屋に入ってくることもなく、窓を叩く以外なにもしない男への恐怖はだんだん薄れて来たが、近隣の住人に聞かれるとまずい。
「黙らせないとヤベェな」」
 そう言うダンダにエイジがうなずく。
 心霊現象も怖いが補導されるのはもっと怖い。
 だが、数分経っても近所の住人に気付かれた気配も通報された様子もない。
「ここだけの現象か?」
 誰にともなく問うエイジに「そうかもな」とダンダがうなずく。
 チャメもほっと息を吐き「カメラ持ってくればよかった、ちぇっ」と心底残念そうに舌を鳴らした。
「俺たちマジで心霊現象見てんだな」
 ダンダは不敵な笑みを浮かべながら懐中電灯を点け男の顔を照らした。光は雑草だらけの庭に丸い形を映したが、その中に男の影はない。
「うわっ、やっぱ幽霊だ」
 たいして怖がってるふうでもなくババクンがつぶやいた。
 その時、宙を見る男の目が光をたどり、エイジたちに焦点を合わせた。