検察庁法改正案で政治と検察の関係に注目が集まるきっかけになったのが、今年1月、政府が慣例を破って閣議決定した東京高検の黒川弘務検事長(63)の定年延長だった。野党などから「官邸の守護神」とやり玉に挙げられている黒川氏とはどんな人物なのか。
黒川氏は東大卒業後の1983年、検事に任官。97年からは東京地検に在籍し、特捜部などで4大証券事件や薬害エイズ事件の捜査・公判に携わった。98年に法務省に異動。約37年間の法務・検察人生のうち半分以上の約19年間を政治家と接点が多い法務省で勤務した。
出世コースとされる刑事局の課長や秘書課長などを歴任し、同期の林真琴・名古屋高検検事長(62)と並び、早くから総長候補として名前が挙がっていた。裁判員裁判などにも取り組んだほか、2010年の大阪地検証拠改ざん事件の後には、「検察の在り方検討会議」の事務局を務めるため、松山地検の検事正を2カ月余り務めただけで呼び戻されたエピソードも。検察に厳しい外部の有識者らとの調整役を務めた。
異色さが際立つのは、民主党政権時代も含めて7年超にわたって官房長と事務次官を務めたことだ。この間、共謀罪法案や外国人労働者の受け入れ拡大を進める出入国管理法改正案の成立に関わった。いずれも安倍政権の肝いり法案だった。「危機管理能力が高く、与野党問わず相手の懐に飛び込むのにたけていた」(検察OB)と法務・検察内での評価は高い。
一方、この時期には小渕優子・元経済産業相や甘利明・元経済再生相ら「政治とカネ」にまつわる事件や疑惑が相次いで発覚したが、政治家本人はいずれも不起訴に。森友学園をめぐる公文書改ざん問題でも財務省幹部らが不起訴になった。こうした経緯があるため「黒川氏が事件をつぶしたのではないか」との観測もある。
だが、複数の検察幹部は「事件に口を挟んだことはなく、そもそも決裁ラインにいない」と証言する。かつて上司だった検察OBは、黒川氏が「官邸に近い」と批判を浴びていることに「政治家の相手をやらせすぎた。我々も反省しないといけない」と話す。
東京高検検事長には19年1月に就任。就任会見では「検事の魂は失ったことはない」と話し、カジノ汚職事件を指揮した。黒川氏をよく知る別の検察OBは「政府に簡単にのまれるような男ではない。今回の問題でさらし者にされた黒川が犠牲者だ」とかばう。ただ、検察は政治からの中立性や「公正らしさ」が求められるだけに、検察内部からは「もう辞めるしかないのでは」との声も漏れる。
一連の騒動後、黒川氏は公の場で発言していない。周囲に「私の知らないところで物事が動き、名前ばかり出ている。仕方ないことなんだけど……」と困惑気味に話しているという。
■黒川弘務・東京高検検事長の略歴
1981年 司法修習生(35期)
1983年 検事任官。東京、新潟、名古屋などの地検で勤務
91年 法務省に異動。以後、東京地検勤務などを挟んで、刑事局の課長、秘書課長、官房審議官などを歴任
2010年 大阪地検の証拠改ざん事件を受けて設置した「検察の在り方検討会議」事務局
11年8月 官房長
16年9月 事務次官
19年1月 東京高検検事長
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