誰かがコメントくれたようにもうすぐ49日を迎えます。
今の時代は35日で区切りをつける方もいるやに聞きますが、でも何故49日なのかなぁ~と、日々考えたりしていました・・・気持ちを整える為の時間かもしれない・・・とか、冷静になる為の時間かしら?とか、ただ、供養するためだけではない気がしてる。昔の人は良く考えているのだろうなぁ…と思ったりします。
ワタシにはこの長い時間が人の心を落ち着かせてくれる最適な時間なのかもしれないと実感しているところです。
手続きをし終えるのでも、直ぐに出来るものと時間の必要なものがあるのですね・・・実際に名義変更をしても、直ぐに新しいワタシの口座から引き落とされる訳でもない・・・これもある程度の時間が必要なようで・・・(苦笑)それでも変更が受理されました、いついつから引き落としになりますの通知を受けるとホッとします。で、あぁ、これでワタシはついに「世帯主」になるんだぁと当たり前の事実をやっと受け入れられる気がするのです。
大体、旦那が生きてた頃は「世帯主」という概念がほぼ無いに等しく、自覚できるのはただ亭主がその任を社会的に引き受けているのだということだけ。それも役所からの通知などを見てそう思うだけで・・・それが今度は自分の名前で通知が来たりすることにちょっと驚いたりしてるんですわ…(苦笑)自分の中に自覚がないのと、まだどこかしら他の人の事の様に思えたりして、あ、ワタシか?!などと思いなおしたりするので、自分でもオカシイなと感じています。
いつぞや、脳科学者が37歳で脳卒中になったという実話を読んでから、人の心がちゃんと形式的に整理整頓されるのは左脳のお陰なのだと知りまして、右脳だけだと茫洋と感じるとかの意識や感情はあっても形として捉えられないのだと知ったのですが、ワタシの今まで動いていた脳は右脳よりも左脳だけが優先してたような感じです。中国時代劇のドラマの様にいつまでも誰かの事を思ったりその感情に支配されるような感覚は自分の中に無いのねぇと知りました。意外にワタシって冷たいのかもしれない(笑)
以前、友人の旦那さんが亡くなった時の友人はワタシのようでなかったなぁ・・・もっと感情的になり、冷静さがあるように見えて全くそうではなかった。少し異常な感じもあったと思い出しますと、人の感情としてはそれが当たり前で普通な事なのかもしれないと思う。その乱れが自分の中に見つけられないのは単に気が張ってるせいなのか?今のワタシが少し異常なのか?
こうして49日近くにもなると、どうして夫はあんな亡くなり方をしたのかとふと思ったりもする・・・あまりに健康体で元気一杯でしたから、誰もかれもが信じられないと言います。勿論、ワタシらもですが・・・
プライドの高い人だったから、家族にもみっともなくなる老後(介護状態)を見せたくなかったのかしら?とか、長患いをして苦労させたくなかった?とか、色々考えることはありますが、あの突然死がきっと彼には最善の死に方だったのではないのかなぁとも感じるのです。
ワタシはずっとピンピンコロリを自分の理想的な死に方と思っていたのですが、それを先にやられてしまったと感じている。あいやっ!しまった~~と。
で、何故遺体で会館にいる間は穏やかな顔だったのに、焼き場での亭主の顔が笑っているように見えたのか、周りの人も笑ってるような顔だねと言っていたが・・・その意味を、見つけられないワタシなりの答えにしようと思っているが。
思えばつくづく幸せな人だったと思うのだ。
憲法記念日の祭日に生まれ、正月の2日に亡くなった。大晦日には自分で注文した我が家には過ぎた豪華なおせちも食べた。年末には和牛のステーキも家族と食べた。食べたい美味いものを一杯食べた人だ。大食らいで満腹になるまで食べる人で、たまには休肝日も作らないとねという忠告も無視し、毎日の晩酌を止めたことは無い。好きなもの、旨いものに目が無かった。欲しい道具もほぼ手に入れて、やりたいことをやってたと思う。これで満足しない人はそうそう居まいさ。(笑)
ん~~人の一生って、確かに其々なんだろうけど、きっとこんな自分勝手に生きて幸せだった人もそうは多くないだろうと思う。
ただ、ワタシのこれからは子供たちに出来るだけの負担が避けられるように準備したいなぁとあらためて思うと、ピンピンコロリもいいが、前触れだけでもした方がいいのかとも思うようになった。終活をしなきゃ・・・ね(笑)
はははは~笑って過ごしたい残りの人生は。・・・なんてね(^^;)