何だか怒涛の一か月過ぎました。ええ、夫の死後の手続きがあれもこれもとありましたから、けれど、殆どは終わりそうです。後は固定電話に関することだけ。ん~~、よくぞここまでと、ちょっと自分を褒めましたよ(笑)
光熱費の名義変更に始まって建物や車の共済、登記相続、年金、生命保険など、まぁ次から次とやることの多い事。一家の主がなくなるという事の大変さを身を以て経験したという事ですわな・・・悲しんでいる暇なんかありゃしない。ま、子供らが居るのでご飯は作らにゃならんし、買い物にも行かねばならんし、手続きはやらないかん。今までお気楽主婦で暮らしてきた付けが一気に襲ってきた感じでした。
まぁ、ワタシだけが大変なのではなく、世の中にはご主人を無くした奥様は沢山いらっしゃるでしょうから、皆さん、こうした経験を否応なく受けて立つという事態を凌いできてるのですよねぇ・・・ワタシの友人らにもそういう経験者はいて、その時にワタシは彼女らに何もできなかった・・・それを乗り切った友人らがあれこれ気に掛けてくれて助けてくれるのは申し訳ないような気分になりました。自分はあらためて無力であったなぁ・・・と。
普通にお気楽な主婦をさせてもらっていた時間が長い訳で、今まで役所の事から叔母の事に至るまで、大変なことは皆亭主が請け負っていた訳ですから、今更感謝しても始まらないのですけどね(苦笑)
手続きをしてる中で、こんなにも世の中に係らないと人は暮らしていけないという現実も今更ながら知って、なんぼか世の中の嵐から亭主が家族を守っていたのかをも遅まきながらも知った訳です。
ホントに世間知らずだったなぁと思う我が身に呆れもしましたけどね・・
フジコ・ヘミングさんの「魂の言葉」の中に、
『死ぬ人は、その人が死ななければ贈れない最善の贈り物を後の人に残していく。それを受け取った人は不思議な力を受け、新しい生涯が始まる。母の死は、そんなことを教えてくれたね』ということばがあります。
彼女の言葉が身に染みる日々を一か月過ごしました。
やっと買った小さな仏壇に毎日手を合わせる子供らを見ると、言わなくても子供らも何某かを感じて考えたりしているのだろうと。
娘は作業所に通う毎日を過ごし、息子はワタシを助けて買いものにも付き合い、重い荷物を持ってくれたり何処に出かけるでも気遣いの言葉をラインでくれる。ある時はその言葉に泣けたりしてさ・・・(#^^#)
今まで感じなかったようなありがたさをあれこれ感じている。
この子らが残っていることが今のワタシの宝物。全てを失った訳じゃない。残されたものがまだあることに感謝してる。