今年のご朱印めぐりは、≪なにわ七幸めぐり≫
毎年、何人かで巡るのですが、今回足のトラブルがあり、
ゆっくり時間をかけて、リハビリも兼ねて、お参りしてきました
≪なにわ七幸めぐり1≫
≪四條畷神社≫(心願成就)
駅から結構歩きました
参道もゆる~い坂道で、長~い道のり・・・
到着するまでに、挫折しそうでした・・・
鳥居の前で、長い階段を見て、こけそうに?なりましたが
最初からゆっくりペースって、決めていたので、
「リハビリ」って、掛け声をかけながら上りました
やっと、本殿に到着~~\(^o^)/
自分自身で、すごく値打ちのあるご朱印めぐりになったな~と思いました
本殿の隣に張り紙が・・・
西側のお社は、御妣(みおや)神社と言います。
正行公の母上をお祀りし、正成公亡き後、
御兄弟を南朝の忠臣として育て上げた女性で、
賢母の誉れ高く、安産の神として、崇敬されております。
御本社に引き続き、お詣り下さい。
父の意志を継いで戦った
楠くすのき正まさ行つらを祀る神社
忠義の武将を尊崇し 地元民が協力して創建
四條畷神社の御祭神・楠正行(くすのみ まさつら)公は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて、不利を覚悟で南朝側に立って戦った武将、楠正成公の嫡男です。
明治以降、父は大楠公、息子は小楠公と呼ばれ、親しまれました。
正成公は最後の戦いとなった湊川(現神戸市中央区)に出陣する際、桜井(現大阪府三島郡島本町)で遺言します。
「父の死後は足利の天下となるだろうが、どこまでも正統の天皇をお守りせよ。それが父への孝行となる」と。これが有名な"桜井の別れ"です。
▲楠父子の「桜井の別れ」の石像
父の死後、後を追って自害しようとした正行公でしたが、母に諭されて奮起。十三回忌を終えると挙兵し、足利尊氏が仕向けた軍を撃破します。
しかし、四條畷で高師直・師泰の大軍と戦って惨敗し、弟の正時光と刺し違えて自刃したのです。明治になって、地元の神主たちが神社創建を嘆願。明治二十二年(一八八九)に現在地に創建の勅命が下り、四條畷神社という社号が下されました。
地元民は大変喜び、金品の寄進や労力奉仕を惜しまず、翌年、見事な社殿が完成し、鎮座祭が執り行われたのです。HPより
帰りも、長い階段をこけないように?ゆっくり降りました~(笑)
今年のご朱印めぐりは、すべてスマホ撮影です