必ずやってくること

昨日はとあるお世話になった方の通夜へ行ってきました。「出会い」とセットになるのが「別れ」、そして「生誕」とセットになるのが「死」。喜びが伴うスタートには快く向き合えるのに、悲しみが伴うエンドには快く向き合えないものです。快楽が伴うものは受け入れやすいのに、苦しみが伴うものは受け入れがたいのも同じですね。そして、向き合えない、受け入れられない、そのままに時間が過ぎてゆく。いくら願っても、その時の流れを止めることは出来ません。


時々考えます。人間は、発達した頭脳を得たがばかりに、苦しみをも知ることになったのではないかと。悲しみを感じないように心にフタをしてしまい、感情を押し殺して生きる人もいます。しかし、それを続けると、今度は精神的に病んでしまいます。


その通夜で、とある人と話している最中に弟から電話がありました。先日も書いたとおり、両親はそれなりの年齢、今後のことも色々と考えなければなりません。親孝行できたかどうかはわかりませんが(離婚とか、親不孝者だったりする:笑)、子どもとしてやれることをやるしかありませんね。





Editor CABEZÓN

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