歴婆のなかで、よく福井という地名をだすのですが、
子供のころに歴史にふれたのが、
福井だったのです。
遠足か社会見学か?
継体天皇の像と
石棺(当時は外ー簡単な屋根がついていたと思う)
不思議と名前を憶えていて、
笏谷石もしゃくだに(石)と変わった名前だったので記憶にあります。
そんなに高い山ではないので、
たまに家族で登ったり(この時はバスだったか、タクシーだったか)
一人で登って行ったこともある。
桜の名所でもあり、ふもと近くに流れる九頭竜川の桜並木の土手を手前に
選挙?ビルから、足羽山の眺望をたのしんだこともありました。
あと、足羽山の丸いドーム状の建物
仏舎利塔というのだと母上に教わったりもしました。
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http://obito1.web.fc2.com/fukui.html
足羽山古墳群
県史跡。福井市の足羽山一帯に分布する前方後円墳1を含む61基からなる古墳群で、そのうち、首長墓と見られる大型の古墳からは地元産の笏谷石製の石棺が多く出土し、畿内との交流をうかがわせる遺物が多く出土しています。
■山頂古墳
足羽山の東端の山頂にある径60mの大型円墳で、墳頂には現在、継体天皇の巨大な石像が建てられています。そのすぐ下あたりにあった竪穴式石室から地元産の笏谷石製の舟形石棺が出土しています。棺身には直弧文が線刻されていて、現在は福井市立郷土歴史博物館に展示されています。
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引っ越しが多く、新潟・東京・三方(3回)・美浜・敦賀(気比神宮のうしろくらいに居た)福井
(順不同)
と、福山にきても、すでに4回www
持ち家になったので、もう引っ越しはお空にいくときくらいでしょww
継体天皇というと、どうしても、福井・足羽山になってしまう代理が居ます。
その遠足にいったのが、日ノ出小学校からなのですが、
担任の先生が、よく面倒をみてくださったのですが
(と、いうか、担任を困らせたというべきか)
ある日、先生から
モデルになってくれないか?と、言われたのです。
確か・・・
小学校のガチョウのスケッチをしている先生をみかけて
ちかよっていった時だったと・・・。
自宅が近かったこともあり、3~4回通った覚えが。
その絵の「少女」のポーズをとってくれ・・といわれた。
そのポーズは、まあ良いのだけど、
目線を思い切り、斜めにもっていってくれ。
と・・・・。
その絵にはガチョウがかいてあって
女の子はガチョウに餌でもやっていたか・・
そのすがたのまま、目線だけ斜め後ろのなにかを見る。と、いうもので・・・
「もう、それ以上、後ろ見れない?精いっぱい?」
と、言われたのを覚えています。
ガチョウでもそうだったけど・・・
目線一つでも、実際のものを写す・・の、ですね。
絵を描いている人なら
ある程度の予測でかけそうなのに?と、思ったのも覚えています。
そんなモデルの話をききつけた同級生の女の子が
先生にねじこんで、私がモデルになる。と、一回きたことがあり、
その日はお休みになって
あとから、先生は、
「仕方がないから、こさせたけど・・」
と、言葉をにごした。
先生のイメージではなかったのだろう。
だいたいの代理の顔立ちは、子供のころはwww
そこそこに、モデル顔だったのではないかな?と、思うのですね。
と、いうのが、中学生のころに
「これ、あんたにそっくりやない?あんたじゃないの?」
と、いわれたのが、ランプトン君
そんなふうな、顔立ちが先生のイメージに合致していたのかもしれない。
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そんなことを思い出して、
先生が教鞭をとっていたのが、子供心に40歳くらいかなあという感じにみえたので
(たしか、中学生のお子様がいたような・・-そのころにー)
生きてたら90歳こしてるか・・
あの絵のしあがったのもみてないし・・
もしも、もっていたら、売ってもらえないだろうか?
いや、それより、絵・・つづけていたのかな
ご存命だろうか?
などと、思いながら、あまり、期待せず
先生の名前
ー佐川文子ーで引いてみた。
もしかしたらと思い、福井・絵画・・も、つけたして・・・
結果・・
続けていないどころか・・
*****https://ameblo.jp/onsen-okami/entry-12009819250.html
卒寿の年 描き続けられた60年
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